コンブリ団『ムイカ』
Data
:
[初演年]2010年
[上演時間]1時間20分
[幕・場面数]1幕12場
[キャスト数]5人(男1・女4)
はしぐちしん
ムイカ
はしぐちしんShin Hashiguchi
鳥取県米子市生まれ。本名・橋口晋。俳優、劇作家。立命館大学在学時より、演劇活動を開始。90年時空劇場の旗揚げに参加。俳優として主な作品に出演する。時空劇場解散後も桃園会やジャブジャブサーキット等の劇団に出演をする。2007年第9回関西現代演劇俳優賞を受賞。劇作は時空劇場時代からユニットにより発表を続け、97年京都演劇フェスティバル奨励賞を受賞。2004年コンブリ団を結成。現在まで4本の作品を発表、その全ての劇作・演出を担当している。
まずは口上がはじまる。ご多分に漏れず、「本日はご来場頂きまして、誠にありがとうございます。携帯電話についてもご配慮お願いします」などは通り一遍の流れだが、話は携帯カメラの機能についてや、昔はそれがポケベルだったこと、さらには自分が演劇に関わりだしたのは大学の頃で……と少しずつ話題を変えていく。
口上はいつしか弁者の故郷である広島の話になっていく。そして、まるで広島市内を走る路面電車に乗っているかの様に、車窓の風景を語っていく。
が、さすがにスタッフから「長いよ」と声がかかり、開演。
舞台は能舞台のごとく四角くかさ上げされた空間。具象的なものは何もない。
女Aが横たわっている。病室のようにも見える。見舞いに現れたとおぼしき男女4人が「たとえばここが…」とその空間を映画館、電車の中、美術館、病院に見立てて次から次へと戯れる。
こんなセリフが語られる。「想像すれば変容する、それがこの世界のルール」。
途中女Aは起き上がり会話に加わるが、どこか戸惑い周囲に翻弄されている感じだ。
「例えば、こうだったら?」とか「もし、こうだったら?」と言う会話が続く中、しかしこの世界はいつでも戦争があるという話題がにじみ出してくる。
親しい物同士のささやかな諍いから、国や民族による戦争や紛争まで、世界にはいつも殺戮がある。
そしてそこにはいつも大義名分があった。広島に原爆が落ちた日も、今に至るどの戦争、紛争、テロにおいても……。
私達はいつもどこかで戦争のある世界を生きている。
「たとえばここが」の遊びの風景は、やがて終戦の年の8月6日、広島の町の夜明け前になる。
女Aにはやはりこの世界が今一つよく分からない。自分の妄想の中なのか……と訝る。
女Aは思い出す。この場所で自分が幸子という少女であること。家族みんなからかわいがられていること。その日、たった一人自分だけが生き残ったこと。そして、それ以来自分が死んだものと共に生きて来たことも。
病院。冒頭と同じく女Aが横たわっている。
周囲が「おばあちゃん、気分はどう」「大丈夫」などと声をかける。
今までの出来事は、老女Aの心象だったのだろうか…それは分からない。
周囲の男女は子供や孫かと思うと、また死んでしまった家族にもなる。
死んだものたちが言う「生きるのをやめることも出来る。でも生きていたら想像することが出来、想像すれば世界は変わる」
それがこの世界のルール。
女Aはあの日の朝に戻り、この世界を生きることを選びなおす。 柔らかな朝の光が、登場人物全員を、世界を包み込んだ。 8月6日は今年も、これからもやってくる。
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