井上ひさし

組曲虐殺

2010.08.26
井上ひさし

井上ひさしHisashi Inoue

作家・劇作家。1934年山形県東置賜郡川西町(旧小松町)生まれ。上智大学外国語学部フランス語科卒業。在学中から、東京・浅草のストリップ劇場「フランス座」の文芸部兼進行係となり、台本を書き始める。放送作家として64年からNHKの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』の台本を共同執筆。現代的センスによる笑いと風刺で多くの人々に愛された。69年、劇団テアトル・エコーに書き下ろした『日本人のへそ』で演劇界にデビュー。72年、江戸戯作者群像を軽妙なタッチで描いた『手鎖心中』で直木賞を受賞。同年、『道元の冒険』で岸田國士戯曲賞および芸術選奨新人賞受賞。戯曲『しみじみ日本・乃木大将』『小林一茶』で紀伊國屋演劇賞と読売文学賞(戯曲部門)を受賞。84年に自身の作品を上演する「こまつ座」を旗揚げし、『頭痛肩こり樋口一葉』『きらめく星座』『闇に咲く花』『雪やこんこん』『人間合格』『黙阿彌オペラ』『連鎖街のひとびと』『兄おとうと』ほか、多くの戯曲を書き下ろして上演。戯曲、小説、エッセイなど勢力的かつ多才な活動を展開した。87年には、蔵書を生まれ故郷の川西町に寄贈し、図書館「遅筆堂文庫」を開館。戯曲 『父と暮せば』 が英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、中国語など6カ国語に訳されている他、『化粧』『藪原検校』『ブンとフン』など小説も含め多くの作品が翻訳され、海外公演でも高い評価を得ている。2010年4月9日没。

http://www.komatsuza.co.jp/

『蟹工船』など世界的に評価の高い小説を執筆したプロレタリア文学の作家であり、共産主義の活動家でもあった小林多喜二。少年時代をプロローグに、多喜二がわずか29歳で拷問により、虐殺されるまでの2年9カ月を、井上ひさし作品独自の歌を織りまぜたプレイ・ウィズ・ミュージックのスタイルで描く。音楽はジャズ・ピアニスト小曽根真の生演奏によるオリジナル。
井上ひさし『組曲虐殺』
井上ひさし『組曲虐殺』

こまつ座&ホリプロ公演『組曲虐殺』
作:井上ひさし 演出:栗山民也
(2009年10月3日〜25日/天王洲 銀河劇場) 撮影:落合高仁
Data :
[初演年]2009年
[上演時間]3時間15分
[幕・場面数]2幕9場
[キャスト数]7人(男3・女3/ピアニスト1)

 プロローグは6人のキャスト全員が歌う「代用パン」から始まる。多喜二一家は伯父が営む小樽一のパン屋・小林三ツ星堂パン店に身を寄せている。一家に恩を着せ、こき使うだけの伯父。多喜二は働きながら、一番安い代用パンが売れ残ることを疑問に思う。やがて多喜二は、その安い代用パンを買う小銭まで貧しい人々から奪う世の中仕組みに気づき、その矛盾を告発するかのように歌い上げる。

 その14年後、大阪・道頓堀近くの島之内警察署取調室。特高刑事である古橋と山本が入ってくる。山本は昨夜、共産主義者の雑誌「戦旗」の講演会に潜入し、小林多喜二とおぼしき弁士を逮捕してきたのだ。だが男は完全黙秘状態。古橋は、神戸から共産主義者摘発の手腕を買われてきた腕利きの刑事。二人は取り調べを始める。

 脅しには屈しない男も、古橋による家族や伯父の話題には口を閉ざしていられなくなり、ついに多喜二であることが発覚。だが多喜二は悪びれず、辛い居候時代の話を始める。釣られたように自分たちの記憶を喋り出す古橋と山本。すぐに我を取り戻し、刑事たちは多喜二に普通の小説を書けと迫る。多喜二は出版された自分の本の伏せ字の多さを憤り、「伏せ字ソング」を歌う。彼を待っていたのは、太いロープで打たれる拷問だった。

 1カ月後、杉並町成宗にあるプロレタリア作家同盟員・立野信之の借家。掃除をする伊藤ふじ子の姿が見える。そこへ多喜二から便りをもらった姉・佐藤チマと、許嫁の田口瀧子が訪ねて来る。

 ふじ子は絵の勉強のため上京し、舞台の背景幕を描く仕事を通じて立野と知り合い、運動に身を投じた身の上を語る。妻のように多喜二の世話をしているふじ子の話を聞き、激しい嫉妬にかられる瀧子。だが互いの境遇を語るうち心はひとつになり、月を見上げて「豊多摩の低い月」を合唱。

 そこに身分を隠した古橋と山本両刑事が現れるが、ふじ子はすぐに嘘を見破る。彼女は機転を利かせ、多喜二の帰宅を留める合図を玄関に出すことに成功するが、多喜二の逮捕が近いことも予感し心を曇らせる。

 半年後、多喜二は豊玉刑務所の独房にいた。誰とも話せない独房暮らしの心の支え・手鏡に向かって、紡績工場の少女や夫を囚われた若い母など、貧しくも心優しい人々のために「独房からのラヴソング」を歌う。

 その7カ月後。出所した多喜二は杉並町馬橋の借家に住んでいる。訪ねて来るチマ。母が多喜二と同居するための準備に上京してきたのだ。三畳間には山本刑事がいる。特高の新たな作戦で、共産主義者を徹底的に監視するため古橋と交代で下宿しているという。多喜二の原稿取りとして新聞社で働いているふじ子と、遅れてきた瀧子も来宅。

 賑やかな多喜二の家に、さらに郵便物を持って古橋刑事がやって来る。そこには熱烈なファンからの手紙や、「出版社に売り込んでくれ」という手紙の添えられた小説があった。ふたつの封書は刑事たちによる画策だった。多喜二たちと刑事は、不思議な共感を感じつつ「蟇口ソング」を歌う。

 10カ月後。新宿近くの空き地で古橋と山本が、自分たちが国家の忠実な番犬であるとする「パブロフの犬」を歌っている。彼らは手ぬるさを指摘され、多喜二の担当を外されたのだ。気合を入れ直せ、と自らに言い聞かせるよう歌い続ける二人。

 その4カ月後、多喜二とふじ子は麻布区のアパートをアジトに、地下活動に従事している。暗号を言い交わし、入って来たのはふじ子とチマ、瀧子。資金源を絶たれた多喜二らに、チマはカンパを持ってきたのだ。つかの間、家族の情愛に触れる多喜二。自身の使命に心新たにした多喜二は「信じて走れ」を歌う。

 二人を送ったふじ子が買い物をして戻って来る。手にしていたのは変装用のかつら。そこへ古橋、山本両刑事が踏み込んでくる。とっさにかつらで変装し、歌の稽古を装う二人に虚を突かれ、退室する刑事たち。そのすきに多喜二たちは、窓からの逃亡に成功する。

 2カ月後、麻布十番商店街のパーラーヤマナカ。多喜二とチマを会わせるため、ふじ子と瀧子が店員に扮装して待機している。だが情報は筒抜けで、隣室には大学の応援団員に変装した古橋、山本両刑事が潜んでいる。そこへマッサージ師に変装したチマ、チャップリンのサンドイッチマン姿の多喜二も到着。

 やがて始まる大立ち回り……と思いきや、凄む古橋の隣で山本は自作の小説を多喜二に添削してもらうまで逮捕を見合わせようと言い出すなど、どうにも緊張感に欠けた状態。多喜二は「小説は身体全体でぶつかって書くもの。そうすれば胸の映写機が動き出し、その人のかけがえのない光景が、銀のように原稿用紙に映し出される」と語り出す。

 互いを暖めあうように身を寄せ合いながら各人の「大切な光景」が語られ、「胸の映写機」を全員で歌う。

 3カ月余り後の2月末の夜。特高の拷問で多喜二は既に亡き人となり、告別式も済んでいた。母を小樽に連れ帰る支度をするチマ、手伝う瀧子。そこへ突然山本刑事が現れ、多喜二の逮捕から最後の瞬間までを報告し始める。

 話が拷問に及ぶや遮るチマ。遺体を清めながら、弟がどんな酷いことをされたかはこの目で確かめた、「あんたもこうして来てくれた、もういい……」と。

 山本と入れ替わりに現れたのは古橋。彼は山本が全国交番巡査組合をつくり、署内でビラまきをしている、悪くすれば逮捕ものだと告げて去る。顔を見合わせるチマと瀧子。力強く歩き出す二人の後ろ姿に、「胸の映写機」の歌声が再び重なる。

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