永井愛

書く女

2006.10.30
永井愛

永井愛Ai Nagai

1951年、東京都出身。劇作家・演出家。桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科卒業。81年に大石静と共に二人だけの劇団・二兎を設立。92年より永井の作・演出作品を上演するプロデュース劇団・二兎社となる。社会批評性のあるウェルメイド・プレイの書き手として「言葉」や「習慣」「ジェンダー」「家族」「町」など、身近な場や意識下に潜む問題をすくい上げ、現実の生活に直結したライブ感覚あふれる劇作を続けている。97年『ら抜きの殺意』で第1回鶴屋南北賞、99年『兄帰る』で第44回岸田國士戯曲賞、2000年『荻家の三姉妹』で第52回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞。02年より、日本劇作家協会会長を二期にわたり務めた。また『時の物置』が英国ブッシュシアターで、『萩家の三姉妹』が米国ジャパン・ソサエティで英語によってリーディング上演されるなど、日本の演劇界を代表する劇作家の一人として海外でも注目を集めている。07年秋には米国ミネアポリスのプレイライツ・センターなどが主催した「日米劇作家・戯曲交流プロジェクト」で『片づけたい女たち』がリーディング上演され、また韓国では『こんにちは、母さん』のリーディングも行われた。

http://www.nitosha.net/

日本で初めての女性職業作家であり、現在はお札の顔として馴染みの深い樋口一葉を取り上げた作品。一葉(本名夏子)が残した日記をもとに、小説の師・半井桃水への狂おしいまでの恋心や、さまざまな人々とのダイナミックな交流を創作のエネルギーへと昇華させ、「書く女」として自立していった様子を描く。

Data :
[初演年]2006年
[上演時間]3時間
[幕・場面数]6幕
[キャスト数]12人(男5・女7)

 時は明治24年。19歳の樋口夏子は、朝日新聞の小説記者・半井桃水のもとを訪れる。父と長兄が相次いで亡くなり、次兄は勘当されていたため、この若さにして戸主となった夏子は、母(たき)と妹(くに)を養うべく、小説を書いて生計を立てたいと思ったのだ。夏子が通っていた歌塾・萩の舎の姉弟子、田辺龍子が小説を出版して多額の原稿料を得たことがきっかけだった。

 初めて会った桃水は長身の美男の上、優しくて謙虚だった。小説の師匠となることを了解してもらい、喜ぶ夏子。だが桃水は夏子の雅文調の文体は新聞小説向きではないと言い、もう少し俗っぽく書くように勧める。

 そんな時、桃水を紹介してくれた友人・野々宮菊子がショッキングな知らせをもたらした。桃水宅に下宿していた娘が子どもを産んだという。実は桃水の弟が産ませた子だったのだが、夏子は「こどもの父親は桃水かもしれない」という菊子の言葉を信じ、桃水に対して生涯わだかまりを持つことになった。

 夏子が初めての小説「闇桜」を持って、雪の降る日に桃水の隠れ家を訪ねた時のこと。桃水は自らお汁粉を作ってふるまい、自分が近々創刊する同人誌「武蔵野」で、夏子の小説を掲載したいと告げる。また、釜山での特派員経験があり、優れたジャーナリストでもあった桃水は、一葉を相手に日本の朝鮮占領政策を嘆くのであった。夏子は桃水の優しさと率直な物言いに感激したが、「今日は泊まっておいきなさい」との誘いを振り切り、高揚する気持ちを抑えて雪の中を帰っていく。

 この頃、萩の舎では、桃水と夏子のよからぬ噂が広がっていた。この時代の結婚前の娘にとって、このような噂は致命的だ。夏子は桃水との絶交を決意する。桃水とは別れたものの、桃水を思う夏子の気持ちは増すばかりだった。会いたい、しかし会えない──狂おしいほどの思いを抱えながら、一葉は「書く」ことに情熱を傾けた。まるで桃水のいない欠落感を、創作へのエネルギーに転化しているようであった。

 ほどなく田辺龍子の紹介で、夏子は雑誌「都の花」に「うもれ木」を発表した。この作品に目をつけて樋口家を訪れたのが「文學界」編集部の平田禿木である。禿木は、夏子と文壇の人々との橋渡し的な役割を果たすことになった。

 小説家としての名は知られ出したというものの、家計は逼迫するばかり。夏子は生活のために荒物屋を営むことに決めた。食べるために小説を書くのではなく、本当に書きたいことだけを書こうという、文学的意志を貫くためだった。

 こうして夏子たちは、吉原遊郭に近い龍泉寺町に引っ越した。駄菓子を買いに来る貧しい家の子どもたち、遊郭の客、遊女と縁のある人々。慣れない商いに加え、かつてない世界が夏子の目の前で展開されていった。

 しかし、零細な商いでの暮らしは成り立たず、わずか8カ月で夏子は廃業を決意する。商売にかまけていては、いい小説は書けないという、8カ月前とは真逆の文学的意志も働いていた。一家は本郷丸山福山町に引っ越し、これまで以上に苦しい生活に戻ることになる。丸山福山町は銘酒屋街であり、そこに身を置く娼婦たちの手紙の代筆をしたり、相談にのったりしたことは、夏子の人間観・世界観をさらに変えた。恋の極意は「厭う恋」にこそあると考えるようになった夏子は、その苦しみの果てに残るものを見届けたいという気迫を持って、休むことなく執筆を続ける。

 この頃から、平田禿木、馬場孤蝶、川上眉山を始め、文学に関わる青年たちが頻繁に樋口家を訪れ、文学談義に花を咲かせるようになった。そして樋口一葉の「奇跡の十四カ月」と呼ばれる季節が始まった。庶民の生活をリアルに描いた「大つごもり」「たけくらべ」に始まる作品群は、文学界に大きな反響を呼び起こす。そして、あれほど恋いこがれた半井桃水は、一葉にとってもはや会う必要のない人となっていった。

 しかし、夏子は次第に病に蝕まれていく。熱に浮かされたその脳裏にはこれまで交流のあったさまざまな人々が去来し、最後に桃水が姿を現す。自分に対する恋はどこに消えたのかと尋ねる桃水に、夏子は「作品の中にだわ!」と答える。桃水を思う気持ちを、作品に書き尽くしてしまったのだ。それが彼女の言う「厭う恋」の果てだった。

 「あなたはやっぱり小説の師です。もしあなたと出会わなければ、私に恋が書けたでしょうか? 恋の愉悦と苦しみ抜きに、一葉文学はありえません。私はあなたから最大の影響を……」

 夏子との別れを惜しむ桃水を振り切り、夏子は「……さあ、次は何を書こうか?」と再び墨をすり始めた。

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