永井愛

歌わせたい男たち

2005.11.28
永井愛

永井愛Ai Nagai

1951年、東京都出身。劇作家・演出家。桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科卒業。81年に大石静と共に二人だけの劇団・二兎を設立。92年より永井の作・演出作品を上演するプロデュース劇団・二兎社となる。社会批評性のあるウェルメイド・プレイの書き手として「言葉」や「習慣」「ジェンダー」「家族」「町」など、身近な場や意識下に潜む問題をすくい上げ、現実の生活に直結したライブ感覚あふれる劇作を続けている。97年『ら抜きの殺意』で第1回鶴屋南北賞、99年『兄帰る』で第44回岸田國士戯曲賞、2000年『荻家の三姉妹』で第52回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞。02年より、日本劇作家協会会長を二期にわたり務めた。また『時の物置』が英国ブッシュシアターで、『萩家の三姉妹』が米国ジャパン・ソサエティで英語によってリーディング上演されるなど、日本の演劇界を代表する劇作家の一人として海外でも注目を集めている。07年秋には米国ミネアポリスのプレイライツ・センターなどが主催した「日米劇作家・戯曲交流プロジェクト」で『片づけたい女たち』がリーディング上演され、また韓国では『こんにちは、母さん』のリーディングも行われた。

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歌わせたい男たち
©Nitosha
日本では、1999年に「国旗及び国家に関する法律」が制定され、教育指導要項において公立学校の卒業式などでの国旗掲揚と国歌斉唱が義務づけられるようになった。東京都教育委員会では2003年にこの職務命令に従わない教職員に対する処分を通達。憲法に謳われた「思想・良心の自由」を侵害する問題として、現在、裁判にもなっている。「歌わせたい男たち」はこうした日本の教育現場を舞台にしたコメディである。

Data :
[初演年]2005年
[上演時間]1時間50分
[幕・場面数]1幕
[キャスト数]5人(男3・女2)

 舞台は、東京の都立高校の保健室。卒業式を数時間後にひかえた早春の一日。

 校長の与田是昭が、花粉症の薬を求めてやってくると、新任の音楽講師・仲ミチルが半裸に近い格好に掛け布団を巻き付けて休んでいる。

 彼女は、卒業式での校歌や君が代のピアノ伴奏を、初仕事として仰せつかったのだが、音楽室で練習中にめまいを覚えてコーヒーを服にこぼし、養護教諭の按部真由子に乾かしてもらっているのだという。ミチルは、シャンソン歌手の夢をあきらめ、やっと教師の職にありついたばかりだった。

 問題は、よろけたときにコンタクトレンズも落としてしまったこと。ミス・タッチとまであだ名されるほどの未熟な演奏ぶりの彼女には、楽譜が見えなければ演奏は危うい。視力の近い社会科教師の拝島則彦から眼鏡を借りればいいとのミチルの発案に、乾かした服を持って登場した按部と校長は、なぜか二人とも思案顔。

 実は拝島は、国歌斉唱に反対で、今日の卒業式にもたった一人不起立、不斉唱を貫こうとする校内の異分子だったのだ。案の定、僕の眼鏡で演奏してほしくないと、断られる。

 この学校は、去年、4人の教師と卒業生のほとんどが不起立で新聞にまで取り上げられてしまっている。今年こそ教育委員会の指導に従い、なんとか穏便に卒業式を終えたいと願う校長。

 そこに英語科教師の片桐学が顔色を変えて飛び込んでくる。定年退職後も学校に勤務するはずだったのに、国歌斉唱に反対して採用を取り消された桜庭という老教師が、不起立を訴えるビラを校門でまこうとしているというのだ。

 あわてて出ていった二人と入れ替わりに、ミチルを訪ねて拝島が保健室にやってくる。不起立を貫こうとする拝島の身を案じるミチルに、「シャンソン歌手を夢見ていたあなたはもっと自由な人のはずだ」と訴える拝島。

 そこに戻ってきた校長・・・。鳴り響くパトカーのサイレン・・・。ビラを撒いていた校庭から連行される桜庭・・・。

 そのとき、生徒たちが不起立を画策しているという情報が入る。拝島が黒板に書いた文章と桜庭のビラから自分たちには「内心の自由」があると知ったからだ。そのビラに書かれていたのは、校長自身が10年以上も前に雑誌に発表した「内心の自由」の主張だった。

 校長はひとり校舎の屋上に立ち、かつての自分の考え方がいかに間違っていたか高らかに演説する。そして、そのせいでもし一人でも不起立者が出たらここから飛び降りてお詫びする、と訴えかける。

 ミチルが「どうすんの? 飛び降りてしまったら、あんたのせいになってしまう」と問いかけるなか、拝島は、眼鏡をはずしてテーブルの上に置き、保健室を出ていく。

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