国際交流基金 The Japan Foundation Performing Arts Network Japan

Presenter Interview プレゼンターインタビュー

2009.12.4
撮影:大河内禎

Homeless and Artists Working Together
Streetwise Opera

イギリス

ホームレスとアーティストが協働
ストリート・ワイズ・オペラ

マット・ピーコック Matt Peacock
ストリートワイズ・オペラ
チーフ・エグゼクティブ

ストリート・ワイズ・オペラ(SWO)は、2002年に設立されたイギリスのソーシャル・アート団体。ホームレスとプロのアーティストの協働により年1回本格的なオペラ公演を行うほか、ホームレスセンターと連携し、音楽ワークショップを通じた彼らの自立支援を継続的に実践。そのSWOの創始者が、ゴードン・ブラウン首相の著書「ブリテンズ・エブリティ・ヒーローズ」で“イギリス人社会活動家30人”のひとりにも選ばれたマット・ピーコックだ。未だ30歳代半ばの彼は音楽ジャーナリストとホームレス・シェルターの職員という二足のワラジの生活を数年間続けた後、ホームレスに対する一般の人々のイメージを変え、自分が専門としている音楽を通じて、彼らが前向きに社会と関われるようになることを目的としてSWOの活動をスタートした。イギリス各地の100名を超えるホームレスの人々とつくり上げた初めての映像作品『マイ・シークレット・ハート』を携えて来日した彼に、SWOの活動について聞いた。
聞き手:岩城京子

英国においては現在、約500人のラフ・スリーパー(路上生活者)と、約40万人の臨時保護施設などで暮らす人々を含め、何らかの保護手当が必要とされる世帯が約70万世帯存在すると言われています。ストリートワイズ・オペラ(以下SWO)はそうした過酷な環境下で生きる人々を対象に、音楽を用いて支援を行うことを目的に2002年にロンドンで設立されました。この団体の創設者であり、かつチーフ・エグゼキュティブであるあなた自身の言葉で、現在の活動概要を教えてください。
 SWOの現在の活動は大きく分けて2つあります。まずひとつは、プロのアーティストとホームレスがワークショップを重ねて創作を行い、ホームレスの人たちが歌や演技や裏方も担う年1度の舞台パフォーマンス。これは02年にベンジャミン・ブリテンの楽曲を用いてウエストミンスター寺院で上演された『カンティクルス』以後、毎年行っていますが、旗揚公演から全国紙の劇評で五つ星を獲得するほど芸術的に高い評価を得ています。同紙面に掲載されたマドンナのライブ公演は星三つでしたからね(笑)。つまり私たちは、今までの多くのソーシャル・アート団体のように「参加することに意義があり、公演自体の質は問わない」という姿勢とは一線を画しているわけです。確かにホームレスの人々が芸術活動と名の付くものに参加することは、それだけで自尊心や社交性などを回復することに繋がり、意味があります。けれど私はそれに加えて、客観的に見て芸術性の高いものをつくりたいという思いがある。なぜなら、そのほうがより多くの恩恵を参加者に授けることができるとわかっているから。実際、SWOの参加者たちは、この年間公演によって普段は感じることのできない「尊敬」を獲得できると語っています。
そして我々のふたつ目の活動であり、この年間公演以上に大切なのが、全国11カ所のホームレスセンターで開催する定期的なワークショップです。我々は今約30名のプロの音楽家でもあるワークショップリーダーと提携して仕事を進めていますが、彼らが毎週同日同時刻に、決められたホームレスセンターに向かい、2時間のワークショップを行います。この「継続性」が実に大切。なぜなら多くのホームレスの人々は、一般の人々以上に年に1度の舞台公演に熱意を注ぐため、公演終了後にひどく落ち込んでしまう。この状況を目の当たりにしてから、私は、ホームレスの人たちを精神的に支えるためには継続性が何より大事だという確信をもつに至りました。現在のところ、この2つが主な活動です。まとめるならば「尊敬(Respect)」と「継続性(Regularity)」という活動指針をもってプロジェクトを進めているといえます。
日本ではホームレスの約9割が男性、うち8割が50歳代以上です。対する英国では約9割が男性という点は同じものの、年齢的には8割が45歳以下と大きく異なります。英国ではホームレス化の主な原因として、どのような理由が挙げられるのでしょうか。
 ホームレスに至る原因は、複数の要因が絡みあっていることが多いです。ですから、ひとまとめにすべてを語ることはできないのですが、その上であえて分析するなら、大多数の人々は私たちが言うところの「Institutionalized(施設に収容された)な人々」、つまり児童養護施設であれ、刑務所であれ、軍隊であれ、何らかの施設で人生のいっときを過ごした人が多いです。興味深いことに路上生活者の多くは元軍人です。戦争体験による精神的なダメージを受けたため、あるいは何年にもわたり衣食住を支給される環境下にあったため、退役したのち彼らは一般的な生活に適応できずにホームレスになってしまうわけです。
女性の場合は、「Women’s Aid(ウーマンズ・エイド)」という家庭内暴力や性暴力の被害から女性を守るNPO組織の世話になった経験のある人が多いです。移民の場合は、社会保障制度の外にあぶれてしまう人たちがホームレスになるケースが多いですね。また「Marriage Breakdown(結婚崩壊)」もホームレスになる大きな一因と言えます。結婚が破綻すると、英国ではほぼ自動的に住居が女性の所有物となります。子どもがいる場合はなおさらです。その結果、男性はどうなるかというと、住む場所を失い、仕事を失い、後にアルコールにはまっていき、というスパイラルダウンを辿っていくわけです。
ちなみに私たちが全国のホームレスセンターで関わる人々の、だいたい40%は何らかの精神衛生上の問題を抱えています。それは学習障害や、統合失調症、さまざまな段階の鬱症状、あるいは診断未確定の精神病などです。また容易に予測できることですが、路上生活を続けることで彼らの精神状態は悪化していきます。最近のデータによると、路上生活者の約80%が自傷行為あるいは自殺行為に走るそうです。
ただ、これらホームレスの人々に対しての英国のサポート構造は、非常に整備されています。最初は各地の教会によるささやかな慈善活動として始まったわけですが、今では全国に組織だったホームレスセンターが設けられ、ここを訪れることで住宅手当、保護手当、特別手当などの手続きを進めることができます。運良く永住宿泊施設の申請リストに早い段階で名前を載せてもらえれば、半年で住居を得ることも可能です。とはいえ本人が新たな生活にむけて100%前進する準備ができていなければ、住む場所を与えても意味がないんですけどね。
英国ではコミュニティアート活動(地域活性化あるいは障害者・老人・児童などの生活向上のためにアートが役立つという考えのもと展開されるクリエイティブ活動)が30年以上も前から盛んです。ホームレス支援に関しても、アートの力を借りて改善していこうという流れが以前からあったのでしょうか。
 私がSWOを立ちあげるに際して触発された団体のひとつ「Cardboard Citizens」などは、18年も前からホームレスの人たちと共に芝居をつくる活動を続けています。ほかにも2、3ホームレスを支援するアート団体はあります。ただ彼らがつくり上げているものの多くは「フォーラム・シアター」と呼ばれるもの。つまり実際にホームレスの人たちが直面している問題、例えば薬物問題などを、芝居の題材にするわけです。だから、ブリテンやマーラーの楽曲でオペラを作る私たちとは大きく方法論が異なるといえます。
いずれにしろ政府がアートを用いてホームレスの人々を助けられる、と本当に理解し始めたのはここ5年ぐらいの出来事です。それ以前は、私の意見では支援の仕方がとても即物的でした。さあ彼らに家を与えよう、仕事を与えよう。そして、ピカピカの鍋とフライパンと共に新しい住まいを提供する。でも多くの人はそこで暮らし続けるだけの社会的スキルがないため、すぐさまホームレスの状況に戻ってしまう。そこで、新たな生活に向かわせるよりも前の段階として、彼らをメンタル面で助ける必要があるんじゃないかという意識がもたれ始め、徐々にアートがホームレス支援に介入する余地が生まれていったわけです。
実際にSWOのクリエイティブな活動に携わったことにより、人生で大きく前進することのできたホームレスの方の事例などがあったら教えてください。
 とても長い間ホームレス生活を続けていた、ある男性の話をします。彼はとても深刻な精神的問題を抱えていて、いつも同じジャケットを着て、いつも自分の持ち物をその上着のポケットにしまいこんでいました。それが彼の全財産だったんです。そして彼はどんなことがあっても、決してその上着を脱ごうとしなかった。10年間ずっとです。でも彼がSWOの公演に参加することになったとき、どうしてもその上着を脱いでもらう必要が出てきた。そうしなければ衣装が着られないからです。そこで私は彼にお願いしに行ったんです。「あなたがジャケットを脱ぎたくないのはわかります。でも、もしできるならお願いできませんか」。そうしたら彼は、目の前で上着を脱いでくれました。ホームレスセンターの人たちは仰天していました。ジャケットを脱ぐなんて大したことじゃないと思えるかもしれませんが、なにせそれが彼の過去10年における最大の変化だったわけですから。つまり彼はそのとき初めて、ジャケットがいらないと思えたわけです。たいがいアートが人に与える影響というのは計測不能な場合が多く、とても曖昧なものとみなされます。でも時には人間のことを、もう少しホリスティック(全体的)に考える必要がある。家に住めた、仕事が得られた、といった物理的側面だけでは計測できない何かが人間の中にはあるのです。
現段階で、SWOが政府と協力して行っているプロジェクトは何かありますか。
 近年、英国コミュニティ・地方自治省(以下DCLG)がSWOの活動に興味を示してくれています。DCLGの中にホームレスに対してのポジティブ・アクティビティーに取り組む部門が新たに設けられたため、私たちはその部門担当者との会話を通じて、政府にアートの価値を正しく認識してもらうための教育を進めているところです。ちなみに英国政府はロンドン・オリンピックが開催される2012年までに「街からホームレスを一掃する」というマニフェストを掲げています。この心がけ自体は称賛に値すべきものです。けれど少し皮肉めいた見方をするなら、疑問視せざるをえない部分もなくはない。なぜなら路上生活者が街からいなくなれば、おそらく政府は「よくやった」とその成果を讃えられるでしょう。けど、それで国からホームレスが一掃されたわけではないからです。イギリスには臨時保護施設などの屋根の下で暮らす隠れたホームレスたちが、路上生活者の800倍もいます。彼らの孤立した人生を解決せねば、本当にホームレスの問題が完治したとは言えないでしょう。とはいえ、私は政府のポリシーがすべて悪いといっているわけではありません。明らかに政府は以前よりも、我々SWOのようなアート団体の活動を認めてくれています。そして、どんなかたちであれ国がSWOに注目してくれるのは嬉しいことです。なぜなら、それだけで私は活動資金を集める際に「私たちの活動は政府の方針に沿うものです」と言って、よりたやすく資金援助者を説得することができるからです(笑)。
SWOの現在の年間予算と、その内訳について教えてください。
 年間予算総額はおおよそ50万ポンド(約7,400万円)。内訳は、約20%がアーツカウンシルなども含めた国からの助成金、約60%が30ほどの異なる社会事業団体から得る助成金、そして残りの20%が各地ホームレスセンターや企業からのサポートです。年一度のパフォーマンスの制作費も、これら助成金で9割が賄われています。昨年度初めて公演でチケット代を回収することを試みましたが、その売上げも全体予算の1割ほどにしかなりませんでした。しかも、それはそのまま来年度の制作資金に回される。あくまでもチャリティ団体であるSWOは、剰余金は認められても利潤を生み出してはいけないのです。ちなみに我々にはコアとなる大きな収入源がありません。ある部分では意図的に、資金調達に際してなるべく幅広い組織から少しずつ資金を得るようにしているからです。これは一種のリスクヘッジです。最大規模の助成金でさえ3年契約で終わってしまうため、ひとつの大きな助成金にすがってそれが切れたとたん活動を休止せざるを得ない、という事態を避ける必要があるからです。
英国アーツカウンシルからは、具体的にどのようなサポートを得ているのでしょうか。
 アーツカウンシルは常に協力的な姿勢を崩さずにいてくれました。感謝しています。ただ我々の場合に難しいのは、活動がどこかひとつの部門にフィットするものではないということです。例えばここには、音楽やビジュアルアートなどの芸術一般を司る部門があり、さらにアートを用いて社会活動を促す部門があります。私たちはこの双方の部門とやりとりをしています。またアーツカウンシルにはもちろん本部と地方支部があり、私たちはオフィスがロンドンにあるため基本的には本部の人たちと話を進めているわけですが、最大規模のワークショップ活動はニューカッスルで行われているため、これもまた少しややこしかったりします。つまり窓口がひとつでないために、コミュニケーションが少し滞ることがあるのです。ただそうした事情があるにしろ、アーツカウンシルは毎年私たちに対して助成金を増額してくれています。将来的には、現在毎年獲得しているプロジェクト型助成金に併せて、継続的助成団体(Regular Funding Organization)のひとつに組み込まれるようになればと願っています。
ニューカッスルをはじめ、ロンドン、ルートン、ノッティンガム、マンチェスターなど、SWOがワークショップを開催している全国11カ所のホームレスセンターとはどのようなパートナーシップを築いているのでしょうか。
 各センターで働くサポートワーカーの方々に参加者を精神面から支えてもらい、私たちはそこにアートだけをもって入る。そのような関係性を築いています。サポートワーカーの力なくしては、我々の活動はありえません。だからこそ我々は、そうしたサポート体制が整っているホームレスセンター内でしかワークショップを行わないのです。全国11カ所という数に関しては、特に意味はありません。また特にアートに対して理解のあるホームレスセンターを選んでいるわけでもありません。むしろ、芸術活動のようなものに全く縁のない地域、特に恵まれない人々の多い困窮したエリアに出向くほうがチャレンジングで面白いです。
実務的側面だけから言えば、来年度から全国50カ所のセンターと一気に仕事をし始めることも可能です。我々が今まで全国のホームレスセンターで行ってきた活動は、かなりの高評価を得ているので、その評価を武器に活動を拡張していくことも可能なわけです。けれどそうして規模を拡大することだけに目を向けていくと、活動の質が劣化する可能性がある。私は、自分自身が質を把握できないほど多くのホームレスセンターにまで活動規模を広げることにためらいがあるのです。だから今は戦略コンサルタントと話し合いを進め、今後どのようにSWOを成長させていきたいか作戦を練っているところです。
さて、少しあなた個人の話をうかがえればと思います。02年にSWOを設立する以前は、昼はプロの音楽ジャーナリスト、夜はホームレスのサポートワーカー、という二足のわらじの生活を続けていたと聞きました。
 そうです。ただ私は最初、医者になることを目指していました。でも医大に入るだけの成績を修めることができず、たまたま電話帳をめくっているときに芸術大学の存在を知り、そこの試験を受けて音楽を学び始めました。音楽とは医学よりも相性が合いました。大学卒業後はパリで数カ月、ユーロ・ディズニーランドの歌手として働いたりもしました。ただ自分がプロの歌い手としてキャリアを築けるとは思えなかったので、ロンドンに戻り、音楽雑誌の広告部で働き始めました。でも私はもちろん、もっと良い職に就きたいと思っていた。そこである日、ある仕事に履歴書をファックスしたわけですけど、それがどういうわけか私の働いていた会社の最上階、『Opera Now』の編集長のデスクに届いた。で、編集長がその履歴書をもって広告部まで降りてきて「アシスタントエディターになるか」といきなり訊ねてきたんです。これ、嘘みたいですが本当の話です(笑)。
同時に私は、パリでもロンドンでもいつも路上生活者に興味を抱いていました。彼らの孤独から目が離せなかったんです。それで当時のルームメイトに「おまえはいつもホームレスの話をしているけれど、自分はそれについて何もしてないよな」と言われたことに触発されて、週1回、ヴィクトリア駅近くにある夜間保護施設でボランティアとして働き始めることにしました。それが96年頃ですね。後に私はサポートワーカーとしての訓練を受けて、昼は音楽ジャーナリスト、夜はサポートワーカーという、2つのプロフェッショナル仕事を掛け持ちするようになりました。
でも徐々に私は、高尚なオペラの批評を書くことにあまり興味がもてなくなっていったんです。より社会のためになる活動に興味が傾いていったんですね。で、そんなときにある政治家が「ホームレスとは、オペラハウスから出てきた観客が跨いで歩かねばければならない人々のことだ」という暴言を放ち、それがホームレスセンターで大問題になりました。そのお陰で、私はSWOの着想をもつに至ったわけです。つまり、政治家の言う権力構図を逆転させて、ホームレスの人々でオペラをつくることも可能なんだということを示したくなったんです。それで、00年に試験的に子どものためのオペラ『リトルプリンス』を上演しました。結果は、劇場前に行列ができるほど大盛況。この成功を受けて、02年にSWOを自分ひとりで設立し、活動を継続していくことにしました。現在では、6人の正社員と2人の契約社員、そして30人のフリーランスのワークショップリーダーと共に働いています。
SWOの雇用するワークショップリーダーは、オペラ歌手やピアニストなど、みなプロのアーティストたちです。なぜ一流のアーティストの手に、ホームレスの人たちを預けてみようと思ったのでしょうか。
 ホームレスの人たちの何が問題かと言うと、彼らはいつも最低レベルのものしか手に入れることができないということです。例えば洋服ひとつとっても、彼らはセンターに送られてくる古着しか入手できない。あるいは食事にしても、賞味期限が1日過ぎたサンドイッチを食べることになる。そこで僕は逆に、ワーストではなくベストなもの、英国屈指の一流アーティストを彼らに与えてみようと思ったんです。それだけでも彼らは、自分たちが特別に扱われていると思えるはずですし、それに、アーティストがワークショップを手がけることによって「その場で音楽をつくり上げていく」ということが初めて可能になる。だから私はワークショップリーダーを選ぶときは、とにかくできる限り最高のアーティストを選ぶようにしています。ワークショップリーダーとしての資質はあまり問いません。少しばかり外向的な性格をもっていればそれで十分です。
ワークショップリーダーたちには9週間のトレーニング期間が設けられていると聞きました。
 9週間と言うより9回のセッションと言ったほうが正しいですね。まず最初の2回のセッションでは、ただ見ることに徹します。すでに訓練を終えた一人前のワークショップリーダーが取り仕切る現場を実地に見ることにより、ワークショップの全体像を理解するわけです。そして3回目からは、ワークショップの一部を担当するようになっていく。例えば「Run at the Chair Game」(牛歩の速度で歩く鬼は、部屋の中でひとつだけ空いている椅子に向かう。他の人たちは鬼が椅子に座ることを阻止するため、鬼の近くの椅子が空席になった場合はそこにダッシュして席を埋める。すると鬼は向きを変えて、別の空いた椅子めがけて牛歩を始める)だったり、「Night Fever」(参加者全員で輪をつくり、中央にひとり指示出しの人間が立つ。その彼/彼女が『サタデー・ナイト・フィーバー』の有名なポーズをはじめいくつかの特徴的な動きをする。それをまわりの参加者が真似る)だったり。そして週を追うごとに受け持つセクションを増やしていき、9週間後に独り立ちするわけです。ひとつひとつのゲームが有効であることは既に立証されているので、個々のパーツを覚え全体の流れさえつかんでしまえば、ワークショップを仕切ることはさほど難しくありません。むしろ難しいのは、参加者たちとどのような距離感を保つか。私自身、最初の頃はそのさじ加減が分からず、誰かれかまわず自分の携帯電話番号を与えたりしていました。でもそれはフェアじゃない。なぜなら私は全員と友達になることなどできないわけですから。しかも相手にしているのは、心が非常に傷ついた人たちですから、下手に友達のようにふるまうのは逆によくない。それが5年ほどの歳月の後にわかってからは、参加者との間にプロフェッショナルな境界線を設けられるようになりました。
「エバリュエーション・ツリー」と呼ばれる、ワークショップ参加者の進歩を数値化する評価方法について教えてください。
 まず、この効果測定モデルを構築するにいたった経緯からお話します。私は常々アートが人にもたらす成果を、誰もがわかる形で定式化したいと考えていました。なぜならアート業界の人々はそうしたことがとても苦手だから。我々よりも前に障害のある人々と仕事をしていたアート関係者にしても、アートがもたらす感情や喜びをうまく社会に説明できている事例はありませんでした。だから私はSWOの活動を始めた頃に、よく資金提供者たちに質問されました。「私たちがあなたに5万ポンド(約740万円)払いますよね。それでどんな成果が得られるんですか? 他人がただ楽しい思いをするだけですか?」ってね。これは実際、的を射た質問です。そこで私は一度エバリュエーション・コンサルタントと話し合う機会を設け、自分たちのワークショップから派生する成果のパターンを探っていくことにしたんです。なぜなら当初から私たちには、ホームレスの人たちの人生を何らかの形で変えているという手応えはあったものの、それら手応えの因果関係を読み解き、ひとつのしっかりとした構造モデルを導くにまで至れていなかったからです。そこで私はコンサルタントと何度も会話を重ね、それまでにも何人かの参加者にインタビューをしていたのでそこから成果を洗い直していき、またキーワードをいくつか選びだしていった結果、この「ツリー・エバリュエーション」が完成しました。
成果パターンから得られたキーワードは、ツリーの根になりました。それは次の6つの成果です。[1]自信の回復、[2]自尊心の獲得、[3]学習意欲の向上、[4]社交ネットワークの拡張、[5]社会活動に参加する喜びの増加、[6]芸術活動に対しての意欲の増加。そしてこれらの根の先に、個々人によって全く異なる枝葉が広がっていくことがわかりました。それは先ほど言ったジャケットを脱いだ男性の例だったり、また薬物の使用量を減らすことができた人であったり、ワークショップに参加することさえためらっていた人が千人の観客の前でソロを歌えるようになったことであったり。実にさまざまです。ちなみにこれらエバリュエーション・ツリーに関しては、担当のワークショップリーダーとサポートワーカーが共同で「パーソナル・ディベロップメント・プラン」と呼ぶ育成計画を策定し、両者の観察とインタビューにより随時参加者の評価を行っていきます。
02年以後続いている年1回のパフォーマンスに関してうかがいます。05年度までは、ブリテン、マーラー、ヘンデルとジミ・ヘンドリクスなどの既存曲を使用してオペラ作品を上演されていました。しかし06年度以後は、現存する作曲家に委嘱するかたちで新作オペラをつくられています。どのような基準で参加アーティストは選ばれているのでしょうか。
 嬉しいことに、この仕事に就いてから劇場に足を運ぶ時間に恵まれるようになりました。だから私は、有望なアーティストについてかなり早い段階で情報を得ることができるわけです。とにかく私はなるべく実験的なことがしたいんです。『ラ・ボエーム』や『カルメン』をつくったって面白くありません。むしろ最新作『マイ・シークレット・ハート』で楽曲提供してくれたミラ・カリックスのような、前衛的な若手作曲家と仕事がしたい。また今後は『マイ〜』と同じように、映像を使った作品を増やしていきたい。それで、より多くの人々にSWOの作品にふれてもらえればと思います。次回作では、6名の作曲家と6名の映画監督と仕事をするつもりです。そして彼らに「寓話をつくってください」とだけ指示を出すつもり。あとは完全に彼らの自由です。私の信念として、アーティストにはアートのことだけに集中していてもらいたいんです。だからいつでも万全なインフラを整えて、ワークショップリーダーとサポートワーカーと参加者を用意して、彼らアーティストには自由な気持ちで作業に臨んでもらうようにしています。彼らにはただ、参加者たちをその才能でインスパイアしてもらいたいんです。
アーティストとホームレスの人たちとの、実際の創作作業はどのように進められていくのでしょう。最新作『マイ・シークレット・ハート』を例に説明していただけますか。
 まず私が作曲家のミラ・カリックスと映像作家のFlat-eと大枠の打ち合わせをしました。そしてこちらからは「アレグリ作曲の『ミゼレーレ』を使いたい」という提案をしました。創作面に関しては、あとは完全に彼らの自由です。すぐにFlat-eが「360度スクリーンの映像インスタレーションにしたい」というアイデアを出してきてくれて、私は「いいね」と頷いているだけでよかった。で、だいたいのビジョンが見えてきた時点で、私は各地のワークショップリーダーたちにアレグリの楽曲を参加者たちに練習してもらうように指示しました。なぜならこれはラテン語の楽曲だから、そんなに簡単なものじゃない。ミラとFlat-eが稽古場に来る3カ月前から少しずつ稽古を積んでおいてもらうことにしました。そして6月頃に、アーティストたちが稽古場に入って実際の録音作業などを進めていきました。1週間はニューカッスル、1週間はロンドン、1週間はその他のミドルランド地域。それで夏の間に、アーティストたちも、参加者たちも、個々にやるべきことを仕上げて、10月にスイスでプロトタイプ作品を発表しました。そしてその結果も踏まえて、正式に100人の参加者たちと共に、12月にロイヤル・フェスティバル・ホールで世界初演を迎えたわけです。
最後の質問です。今後のSWOの目標を教えてください。
 まず第一に、そして何よりも、活動を継続できるだけの資金を集めることです。来年も同じことができていると自信をもって言うことは誰にもできませんからね。もちろん私はそれが実現可能なように、できる限りのことをするつもりです。そしてその第一の条件が満たされた上で、次に将来的にどのようにSWOを成長させていくかを考えていかなければと思います。もちろん、私は現在のSWOが達成している成果にかなり満足しています。今は年間公演とワークショップのバランスが非常にうまく保たれています。また自分たちの公演とワークショップの質にも満足しています。ただ私はもう少しだけ地理的に活動を広げることに興味がある。だから今後は、スコットランドやウェールズ、また世界にも目線を向けていこうと考えています。また私たちのワークショップに参加することによって、何らかの資格を得られるようにもしたいですね。参加者全員にSWOの認定書を与えるわけです。でもこれらはすべてまだ未確定なことです。とにかく将来どうなるかはわかりませんが、私はひとりでも多くのホームレスの人たちを助けたいと考えています。

横浜市・寿町の住人を対象に行われたワークショップ(2009年9月2日)
撮影:大河内禎

横浜にぎわい座で開かれた、アーティストやワークショップリーダーとして活動している人々を対象にしたワークショップ(2009年9月3日)
撮影:大河内禎

ストリートワイズ・オペラ 『マイ・シークレット・ハート』 My Secret Heart
(C) Rob Slater/Flat-e.com