文慧/呉文光

現代中国のインディペンデント・アートの草分け
北京・草場地ワークステーション

2008.03.31
文慧

Photo: R PRODUCTION

文慧Wen Hui

ダンサー・振付家

呉文光

Photo: R PRODUCTION

呉文光Wu Wenguang

映像作家

今、中国で少数ながらも台頭しつつある舞台芸術のインディペンデント・アーティストたち。ダンサー・振付家の文慧(ウェン・ホィ)と映像作家、呉文光(ウー・ウェングアン)は、その草分け的存在だ。今、世界的な注目を集めている北京郊外の798芸術地区の近く、草場地という村に、2005年に念願の活動拠点「草場地(ツァオチャンディー)ワークステーション」をオープンした。自らの活動で使用するに留まらず、同志であるインディペンデント・アーティストにも開放することを方針にしている。ワークショップやフェスティバル、若手アーティストを支援するプロジェクトなど数々の活動を展開し、国内外の注目を集めている。設立に至る経緯と活動について現地で話を聞いた。
(インタビュー・文 菊池領子: R PRODUCTION 代表・文化事業プロデューサー)
まずは、草場地ワークステーション設立の経緯を簡単にお聞かせください。
文慧(ウェン・ホィ):草場地ワークステーションは、1994年に始めた私たちの活動の延長線にあります。当時、私は東方歌舞団の振付家でした。東方歌舞団は中国屈指のダンサーの集まる、文化部直轄の大舞踊団です。でも、そこでの表現に飽き足らず、自分たちの日常生活を反映した作品を創りたいと思い、当時すでにテレビ局を離れフリーランスの映像作家として活動していた呉文光(ウー・ウェングアン)とプライベートで「生活舞蹈工作室」という名の活動を始めました。名前から察すると芸術団体を設立したように思われるかもしれませんが、そうではなく、これは当時の自分たちの表現活動自体を指したものです。2人だけでしたし、作品を発表するときに使ったのがこの名前でした。
活動が継続し、作品の発表機会が増えるにつれ、生活舞蹈工作室はインディペンデントの製作・上演団体として認知されるようになり、私たちの活動を支持する人達も出てきました。そのひとりが、ここを提供してくれた友人です。この草場地(ツァオチャンディー)の土地建物を借りて改修し、自分の経営する会社の事務所以外の空間を私たちに無償で提供してくれました。こうして2005年4月に活動拠点が完成し、「草場地ワークステーション」と名づけました。
友人の会社というのはどんな会社ですか。
呉文光(ウー・ウェングアン):モーターショーなどの展示会の企画・設計を手がけている会社です。草場地ワークステーションのある借地全体で年間25万RMB(約360万円。約15円/1RMB)かかるのですが、それを彼らが全て負担しています。こういうと、大企業だと思うかもしれませんが、実はわずか2名の小さな会社です。要は人、人徳でしょう。大企業だからといって出来ることではありません。中国では企業が私たちのようなインディペンデントの芸術活動を支援する習慣はありませんから、彼らのような支援を行う企業はごくわずかです。その上、彼らはきちんと立場をわきまえていて、特別な要求をすることもありません。私たちが稽古場や劇場を必要としていることを理解し、心から支援してくれているのです。
草場地ワークステーションはどのような施設ですか。
文:私たちにとっては自分の表現をどこまでも追及できる実験室みたいなところです。また、自分たちが使うだけでなく、環境や情報が十分でないインディペンデント・アーティストにも提供しています。とはいえ、公共劇場や娯楽施設とは違いますから、入り口に目立つ看板は出していません。中庭を囲むように建物が建ち、住まいと創造のための空間が一体となっています(写真1・2)。
施設は、映像のためのスペースとパフォーミングスペースがあり、それぞれ作品製作から、ワークショップ、上演から座談会まで一連の内容が開催できます。また、いま私たちが話をしているこのスペースは、国内外のダンス、演劇等の映像資料及び書籍が1000部以上も収集されている図書室です(写真3)。奥にあるパフォーミングスペース(写真4)は、雛壇式の観客席や照明機材等、時間をかけて少しずつ整えました。観客席は160名ほど入ります。更にその奥に事務室があります(写真5)。映像スペースは門を入って正面に見える建物です。それから、この建物の入り口の方に食堂(写真6)があります。大学の学食を小さくしたみたいでしょう。私たちの住まいは、この建物の2階です。海外のアーティストが来る時は、タクシーで5分、バスで2駅ほどのところにある大山子(ダーシャンズ)というエリアに提携しているホテルがあり、そこを案内しています。
草場地ワークステーションの目指すのはどんな空間、どんな作品ですか。
呉:いわゆる演劇やダンスではない、様々な芸術的要素が融合した作品を創造する「コンテンポラリーシアター」です。生活舞蹈工作室が手掛けている作品も、既成概念のダンスではなく、身体表現と言語や音楽等、様々な要素の融合した総合芸術ですから。また、私たちが重視するのは、日常生活における現実を見つめることで、芸術のための芸術といえるような作品を創ることではありません。自分の身の回りで起きた出来事や感じたことを題材にしながら、共感を呼ぶ作品創りをする空間を目指しています。
草場地ワークステーションのスタッフは何人ですか。
呉:フルタイムのスタッフは私たち2人を含めて10名です。皆ここが気に入り集まってきたスタッフで、いわゆる雇用関係とは違います。休館日や勤務時間という概念はありません。世間からみたら変わり者の集まりでしょうね。80年代生まれの若者が中心です。公演を行う時は更に臨時スタッフを集めます。また、閑散期は、わずかな費用を払ってここに寝泊りしながら創作活動をするアーティストがいます。
草場地ワークステーション設立前はどこでどのような活動をしていたのですか。
文:場所の確保は最も頭の痛いことで、いろいろなところを転々としていました。作品はというと、生活舞蹈工作室の初めての作品は、約10名の友人たちと一緒に創りました。作品製作にはそれなりの費用がかかります。自分たちの稽古場も劇場もなく、製作資金も十分でない私たちが、ギャランティーを払ってダンサーを起用するわけにはいきません。友人たちの職業はカメラマン、演出家、教師、記者等、と実に様々。プロのダンサーは私だけでした。上演は、北京にある電影学院という大学の教室で行いました。1994年のことです。
翌年は、呉文光と2人だけで小作品を創り、広東省で開催された「実験小劇場内部公演」に参加しました。トイレを題材に自分たちの日常を表現しようと、2人で構成を考え、2人で演じました(写真7)。呉は映像作家ですが、生活舞蹈工作室の作品では、コンセプトメイクから構成まで手掛け、彼自身も演じます。
その後、99年までの4年間は資金の目処がつかず、残念ながら中国国内で作品製作を行う機会はありませんでしたが、準備期間として、新作のためのインタビュー調査を手掛けていました。インタビューは無料で出来ますからね(笑)。中国の女性を取り巻く生活環境や成長の過程を表現しようと考え、話を聞く切り口として出産を選んだのです。ブルーワーカー、編集者、作家、助産婦、主婦と、さまざまな職業の、出産経験のある25歳から約90歳までの幅広い年齢層の女性にインタビューを行いました。それをもとに製作したのが99年の『出産報告』(写真8)です。その後続く「報告シリーズ」(写真9・10)の先駆けとなりました。
『出産報告』は何を契機に製作に踏み切られたのでしょうか。
呉:この『出産報告』は私たちにとって転機となった作品です。作品を探しに北京に来ていたオランダのディレクターが、生活舞蹈工作室に新作を創ってアムステルダムのフェスティバルに参加して欲しいと言ってきたのです。彼女たちの資金のお陰で、私たち2人でやるしかなかった状況からダンサーを起用できる環境へと変化し、音楽、装置など様々な分野のアーティストとのコラボレーションも可能となりました。オランダの友人たちとはこれを契機に交流が始まり、2005年の草場地ワークステーションオープン後は、そこでの活動の重要なパートナーとなっています。
『出産報告』の中国公演は、北京の中央に位置する公共劇場、北京人民芸術劇院の小劇場を借りて3ステージ行い、その後は欧米各地のフェスティバルに招聘され、これまで延べ40ステージ以上公演しています。
インディペンデント・アーティストの立場で、中国での公演の機会はありましたか。
呉:今もそうですが、社会主義の中国では、公共の芸術団体以外の作品が上演の機会を得るのは非常に難しい状況です。公共の芸術団体は自分たちの劇場を持っていますし、上演許可証もある。私たちのようなインディペンデントの活動団体はそのいずれもないのです。チケットを売ることもありますが、1枚50RMB(約700円)程度で数回の上演では採算はとても合いません。回収できないことを覚悟でお金を払って劇場を借りなければ、上演の機会はないのです。北京のアーティストであるにもかかわらず、海外公演の機会はあっても北京で作品を上演する機会がないというのが現実です。『出産報告』が2度目の中国国内上演の機会を得たのは、初演から4、5年後のことでした。
自分たちの作品を制作し上演できる空間を私たちが望んだのは、こうした状況からです。それを理解して提供してくれる友人がいたのは幸いでした。私たち2人で他の場所を探すことも不可能ではありませんが、これほど大きな空間を手にするのは難しかったと思います。
こうして空間を手にすることが出来たからには、自分たちが使うだけでなく、同志であるインディペンデント・アーティストの活動を促進する活動をしていかねばと考え、草場地ワークステーションを活動拠点にワークショップや講座、フェスティバルの開催を始めました。
ワークショップの状況をお聞かせ頂けますか。
呉:海外から講師を招いてのワークショップは、1週間から10日を1つの期間として組んでいます。2005年4月に行った第1回は、オーストリアのダンサー、ウィリー・ドーナーを招きました。
毎日13時から17時まで、4時間。全て無料です。毎回10人から20人の人が参加します。全期間通して参加することが原則ですが、無料だと参加者の意識が甘くなり、欠席者が出やすくワークショップの運営に影響が出ます。今は保証金として100 RMB(約1,500円)をとることにしています。効果てきめんです(笑)。
この他、私たち2人によるワークショップも開催しています。これは週末の午後の開催で1、2ヶ月のコース。参加費はやはり無料です。これまでは演出家による表現のワークショップを行ってきましたが、2008年は音響等、技術面のワークショップを開催したいと考えています。将来はドキュメンタリー映像のワークショップも手掛けたいですね。
草場地ワークステーションに来るのは主にどのような人達ですか。
呉:ダンスと演劇の分野に分けていうと、ダンスの人達は、専門養成機関でダンスを学んでいる学生か、卒業生が多いです。演劇は、専門機関で学ぶ学生や卒業生は見かけたことがないですね。研究者はいたかもしれませんが、演技や演出を専門に学んだ人は誰もここへは来ません。方向性が違うのでしょうね。彼らはテレビドラマや映画の仕事で忙しいのでしょう。表現を専門に学んでいない人の職業は、教師や雑誌編集者、設計士、学生といろいろです。全体としては、インディペンデントで作品を創り表現したいという若い人が目立ちます。年齢は20代から30歳ぐらいまでの人が中心です。
フェスティバルの概要をお聞かせ頂けますか。
文:春と秋に開催しています。春は「五月芸術祭」、秋は10月に開催する「交叉芸術祭」です。内容はそれぞれドキュメンタリーフィルムとパフォーミングアート、そして2006年から始めた「青年演出家プロジェクト」で構成しています。
パフォーミングアートの部分を詳しく教えてください。
呉:まだ始まったばかりなので、2005年の開催から毎年、内容、規模、そして会場も変わっています。2005年の春は講座とワークショップを草場地ワークステーションで開催し、公演は草場地の隣接エリアである大山子で、「大山子国際芸術祭」の企画として開催しました。798時態空間という旧工場を改造した1200平米ほどのアートスペースが主な会場でした。2005年秋の「交叉芸術祭」は、第1回ということで、上演作品はわずか3つ。1つは生活舞蹈工作室のもの、あとの2つはオランダとオーストリアの作品です。草場地ワークステーションのある朝陽区の文化会館を公共劇場として整備して、スタートしたばかりの9個劇場の小劇場で上演しました。
それが2007年は、北京が計4作品、上海2作品、広州1作品、そして海外作品としてイタリアが1作品、オランダから2作品。合計10作品の上演にまで発展しました。会場は、2007年から公演、ワークショップ、講座と全てのプログラムを春秋とも草場地ワークステーションで開催しています。
秋の「交叉芸術祭」は、2006年から上海のフェスティバルとの提携を始めました。張献(ジャン・シエン/ *1 )が企画する「越界フリンジフェスティバル(*2)」です。いずれも身体表現の探索を中心に、実験的な作品をラインナップするフェスティバルです。2都市でフェスティバルを同時開催し、作品を双方で上演すれば、お互いのプログラムが充実しますし、アーティストにとってもより多くの観客と出会えるメリットがあります。
2006年から始めた「青年演出家プロジェクト」とはどのような内容なのでしょうか。
呉:私たちの活動のパートナーがオランダの友人たちであることは先に述べましたが、これもオランダの助成金を得て行っているプロジェクトです。かつての私たちのように自由な立場での作品創りを切望している若手のインディペンデント・アートティストを支援するために、製作の企画を公募し、選考して、2,000 RMB(約30,000円)程度の製作支援金と稽古場を提供するというものです。作品製作費としてはわずかな金額ですが、動機付けとなる貴重な支援です。こうした機会を利用して若い人達がステップアップしていくことを期待しています。
第1回の2006年は、8企画が資金を得て製作され、「五月芸術祭」で公演を行いました。そのうち3作品は、更なる発展を期待され、奨励金が与えられ、秋の2都市のフェスティバル、「交叉芸術祭」と「越界フリンジフェスティバル」にも公演の機会を得ました。
2回目の2007年は中国各地から20企画の応募がありました。ジャンルはダンス、演劇、文学、映画、ビジュアルアート、建築、電子工学、経済など様々です。私たち2人にもうひとり加わった3人で選考し、14作品に春の「五月芸術祭」での上演の機会を与えました。多くても8作品としていた当初の予定より相当上回る数になりましたが、これも若手アーティストに出来るだけ多くの上演機会をという思いからです。
海外から作品や講師を招聘する際の費用はどのように捻出しているのですか。
呉:各アーティストの所属する国の大使館や企業などに、私たちが直接かけあって活動資金を支援してもらっています。アーティストが自分で助成金や協賛金をとってくる形式ではありません。
私たちが海外からの招聘を行っているのを知って、舞台設営費など現地費用を私たちが負担する条件でという話がときどき持ちかけられますが、私たちは政府から年間予算のつく公共劇場ではありません。個人の運営施設ですから、そんな負担はとても無理です。むしろ制作費や舞台設営費を頂かないと、人件費や宣伝費などをまかなえない状況なのです。
自分たちの生活費を稼ぐのは問題ありません。私は企画や撮影を引き受ければいいし、文慧はテレビ局などが開くパーティで踊る仕事がたくさん舞い込みます。今は忙しいので数を減らしましたが、それでも十分です。
日本のパフォーミングアートへの関心は?
呉:もちろんありますよ。最も好きなカンパニーはダムタイプです。
文:北京留学中に生活舞蹈工作室に参加した日本人パフォーマーがこれまでに2人います。1997年にロンドンで知り合ったのをきっかけに、若手の日本人照明家も作品に参加したことがあります。呉:でも、残念ながらこれまで日本の作品は招聘したことがありません。費用の問題は大きいですね。

*1
インディペンデントのアートディレクター。自らもダンスカンパニー「組合嬲」(ズーホーニャオ)を主宰。
組合嬲

*2
2005年に開始。第3回の2007年には、R PRODUCTION菊池領子の企画で初めて日本の作品が参加した。日中共同製作作品1本と併せて合計4作品の参加。
・OM-2『作品No.5』
・田中泯
・マレビトの会『クリプトグラフ』

写真1.草場地ワークステーション
右手が草場地ワークステーションの主な建物。中央は映像スペース Photo: 毛然

写真2.草場地ワークステーション
敷地奥から入り口側を臨む
Photo: 毛然

写真3.資料室を兼ねたミーティングルーム
Photo: R PRODUCTION

写真4.パフォーミングスペース
Photo: R PRODUCTION

写真5.事務室
Photo: R PRODUCTION

写真6.食堂
Photo: R PRODUCTION

写真7.「生活舞蹈工作室」作品『トイレ』
Photo: 張志偉

写真8.「生活舞蹈工作室」作品『出産報告』(1999年11月)
Photo: 凌幼娟

写真9.「生活舞蹈工作室」作品『身体報告』(2002年12月)
Photo: 黄大智

写真10.「生活舞蹈工作室」作品『37.8℃報告』(2005年10月)
Photo: 黄大智

写真11.「生活舞蹈工作室」作品『出稼ぎ労働者と踊る』(2001年8月)
Photo: 張建平

写真12.「生活舞蹈工作室」作品『出稼ぎ労働者と踊る』(2001年8月)
Photo: 張建平

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