ヴァル・ボーン

創設者ヴァル・ボーンが語る
フェスティバル「ダンス・アンブレラ」とは?

2005.09.23
ヴァル・ボーン

ヴァル・ボーンVal Bourne

ヴァル・ボーン氏は、ロンドンで27年続いているダンス・フェスティバル「ダンス・アンブレラ(Dance Umbrella)」の創設者・芸術監督である。

コンテンポラリーダンスの紹介者としてその名を世界に知られている同氏に、トヨタ・コレオグラフィーアワードの審査員として来日していた折りを利用して、インタビューを行った。
(7月8日、渋谷にて。聞き手:塩谷陽子[ジャパン・ソサエティー 舞台公演部部長])
「ダンス・アンブレラ」は、もう四半世紀も続いているフェスティバルですが、まずは年代を追って今日までの経緯を伺いたいと思います。
私がまだ国の機関であるアーツ・カウンシルの若手スタッフだった時に、「英国の小さいカンパニーを率いるコレオグラファーたちを紹介するショウケース型のフェスティバルをロンドンでやる必要がある」という企画書を組織に提出したんです。その後、私はアーツ・カウンシルを離れて、当時その管理下にあったグレイター・ロンドン・アーツという団体に就職しました。その頃のグレイター・ロンドン・アーツには「ダンス&ドラマ」という担当者が一人しかいない部署があるだけだったのですが、ダンスに多くの動きがでてきているということでスタッフを増員することになり、私が雇われたのです。
そんなある日、古巣のアーツ・カウンシルから「あなたの企画が採用されました。どうしますか?」という電話がかかってきたんです。フェスティバルの準備期間は5カ月しかありませんでした。すごい時間の無さですよね(笑)。でもスタッフを何人か付けてもらって、他の多くの仕事と平行しながら準備を行い、1978年の11月に最初のフェスティバルを実施しました。
第1回目からダンス・アンブレラ」という名称を使っていたのですか?
そう。でもこれは私が考えた名前ではありません。ニューヨークにあった同名のフェスティバルから拝借したの。その当時、ニューヨークには「テクニカル・アシスタント・グループ」、通称TAGという団体があって、ここが「アーツ・サービス」というもうひとつの団体──こちらはスティーブ・ライヒとかフィリップ・グラスとかダグラス・ダンとか、あるいは多くのコレオグラファーたちのマネージをする非営利の団体でしたが──と一緒になって、「ダンス・アンブレラ」というフェスティバルを開催していました。ニューヨークでこれを見た人から教えられて、あぁいい名前だなと思って、拝借しちゃいました(笑)。
「ダンス・アンブレラ」は、1回だけのフェスティバルとして実施されたのですが、それが大成功した。あまりに予想以上の成功だったので、2回目をやろうということになりました。15カ月ほど間を置いて、翌々年の1980年春に開催しました。でもまぁいろいろな理由で、春にやるのはすごく苦労が多かったので、3回目の1981年からはまた秋の開催に戻しました。
その3回目は、「グレイター・ロンドン」の下ではなく、ご自分で開催されたんですよね。
そう。2回目が終わったところで、グレイター・ロンドン側は、このフェスティバルには思っていたよりもものすごくお金がかかるということに気づいたのです。当時はEメールどころかファックスも無い時代でしたから(笑)、大西洋を越えた電話のやりとりや、郵便代などがものすごく嵩んだ。で、もうやってられない、と。だから独立したんです。
国の組織が「金がかかりすぎる」といって放り出したプロジェクトを、個人でやろうとしたなんて、ものすごい勇断ですね。
いえ、実はニューヨークのアーティストたちと色々と話をしていた時に、前述の「アーツ・サービス」というアーティストの代理人として彼らのビジネスをマネージするNPOと、そして「ペンタクル」というやはり似たようなNPO──こちらは今もニューヨークにある──とを比べて、「アーツ・サービス」のやっている事業をモデルにしたものをロンドンにも作りたいと思い立ったのです。このマネージメントの方の事業プランに対して、ポルトガルのグルベンキアン財団が援助をしてくれることになり、この仕組みによってフェスティバルを継続することが資金的にも可能になりました。その後8年間、その時々でいろいろ入れ替わりつつ常に4〜5くらいのダンス・カンパニーのマネージャー役をする「アーツ・サービス」の事業を平行しながら、毎年フェスティバルを開催しました。
当時はそうすると、「アーツ・サービス」の事業が主体だったのですか?
いえ、どちらも均等でした。ただ困ったことは、「アーツ・サービス」の方のマネージメント業がすごくうまくいけばいくほど、そして私たちの扱っていたカンパニーがビッグになればなるほど、ブッキングやツアーが増えて、そのカンパニーのために割かなければならない労力や時間が増大してしまったこと。そんなわけで、1988年には「アーツ・サービス」の事業はもう十分やりつくしたなということで、この事業の方は終了することにしたのです。つまり、アーティストやカンパニーが大きくなれば、彼らは選任のマネージャーを自分で雇うことができるでしょう? 私たちの扱っていたアーティストの場合、多くがこういう経緯をたどったということです。
80年代の終わりから90年代にはロンドン以外でもフェスティバルをオーガナイズしていらっしゃいましたが、近年はロンドンだけに力を注いでいらっしゃる?
はい。ただ95年以来、フェスティバルに招聘したカンパニーのうちひとつを、大規模なツアーにして英国の各地を巡回させるということもしています。なぜかアメリカのカンパニーが多いのですが。最初の大型ツアーはマーク・モリスのカンパニーでした。スティーブン・ペトロニオやトリシャ・ブラウンのツアーをしたこともあります。昨年はマース・カニングハム。今年は4度目のマーク・モリスのツアーです。米国以外ではベルギーのローザスやイスラエルのインバル・ピント、フランスのモンタルヴォ・エルヴューらもツアーさせました。来年からは、とある財団から3年間の助成金をもらいまして、年に2つずつ、小さな劇場向きの小規模のツアー・プロジェクトも新規にスタートさせることになっています。ロンドンでのフェスティバルと各種のツアー、これが現在のダンス・アンブレラの主要な事業です。
今年のフェスティバルには大きな援助をフランス政府からもらっているようですね。10種類ものフランスのカンパニーが含まれている…
そう、これも初めてのことです。1989年、つまりフランスの革命時の「人権宣言」の200周年を記念して、《フランス尽くし》をやったことがありましたが、あの時にはフランス政府の援助はもらっていませんでしたから。春に、プレイス・シアター(The Place Theatre = ロンドンのダンス専門の小劇場)を運営するジョン・アッシュフォードが5つか6つくらいのフランスのカンパニーを招聘し、私たちが同じくらいの数を秋のフェスティバルで招聘したというものでした。
今度のは「France Moves」というテーマのフェスティバルです。数年前にニューヨークで同じようなのが行われたでしょう? 今年のは、私たちのフェスティバルの中の一部として行われるいわば《副次的フェスティバル》です。参加する10カンパニーの中には、パリ・オペラ座のバレエ団(Paris Opera Ballet)──演目は、アンリ・プレルジョカージュ振付けの『Le Parc』ですが──や、フィリップ・ドゥクフレ振付けの『Tricodex』を上演するリヨン・オペラ・バレエ団という2つの大きなプロダクションが含まれています。
「France Moves」の幕開けは「英・仏合作」の世界初演です。フランス人のシルビー・ギエムと、イギリス人振付家ラッセル・マラファントのデュオ。ラッセルは以前、シルビーと(英国で「バレエ・ボーイズという名で知られる)ジョージ・パイパーというグループをやっている2人の元ロイヤル・バレエ団のダンサーのための作品を作ったことがあるんです。でもラッセルとシルビーが“2人で踊る”のはこれが初めて。
ダンス・アンブレラの、フェスティバルを貫くテーマというか、根幹を説明していただけますか?
漠然としてバカげて聞こえるかもしれませんが、とにかく「Excellence(絶品さ)」、ですね。それと「Diversity(多様性)」。“国別”という風な考え方はもっていません。「フランス」というテーマが今回はありますが、だからこそこれが初めてのことになるわけです。といったところで、今回だって米国のマーク・モリスも入っているし、米国人でドイツにいるフォーサイスもいる。カナダのダニエル・ルヴェルもいるし、そのほか8つの英国のカンパニーが混じっています。だから「これこれの国のダンスをテーマにしています」というような機軸はまったくありません。まぁでも、もしも国別という考え方でテーマを組んだら、おそらくフランスとアメリカくらいしかテーマになり得ないでしょうね。この二つの国からであれば選択肢は十分にありますから。実際、今回ももっと予算があればフランスから持ってきたいものはもっとありましたね。
イギリスという国は、一般には「ダンスの国」というよりも「演劇の国」という風に認知されているように思うのですが…。劇場の数をとってみても、ダンスの劇場はいくつかあるだけですが、演劇をやる劇場は数限りなくあります。
確かにそうですね。何しろシェイクスピアで始まっていますし、我々の文化は「文字」というか、文学をよくする国です。ただ、ダンスは急成長しています。私たちがフェスティバルを始めた78年には、イギリスには12個のダンス・カンパニーと4人のソリストたちがいるだけでした。でも今はダンス・カンパニーが少なくとも300はありますから。
現在のダンス・アンブレラの「使命」は、イギリスのアーティストをプロモートするというのではなく、とにかく「Excellent(絶品)」なものをプロモートする、という姿勢なのでしょうか?
「Excellent」なものをプロモートするのと同時に、イギリスのアーティストを国際的な文脈の中で紹介するということも大切な使命です。よその国から作品を探す時には、英国産のそれより優れているものを選ぶという視点と、英国内では見られない種類のものを選ぶという視点とがあります。つまり、「どこかしら違って」いて、しかも「特別なアイデンティティーやキャラクターがある」ものを選ぶわけですね。と言っても私がたったひとりで選ぶのではなく、同僚のベッツィー・グレゴリーと一緒にものを見て一緒に選ぶわけですが。または私が見たことの無いものでも彼女が選んだものを──彼女の目を信用していますから──そのまま採用したりもします。
「今年はじめて」という話をするならば、もうひとつ『Brief Encounter(簡潔なる遭遇)』というシリーズがありますね。これは新人のアーティストをサポートするための新企画ですか?
ふたつの路線を狙って作ったものなんです。ひとつは、新人のため──かつて一度もダンス・アンブレラに参加したことの無いアーティストのための参加の場所として──つまり、フェスティバルの構成の枠を広げて若いアーティストも取り込もうという試みです。もうひとつは、中堅や大物クラスのコレオグラファーでも、見せたいものが一晩ものの作品ではなく20分とか30分とかの小品であれば、そんな作品も取り上げていきたいという思いで企画しました。実はローズマリー・ブッチャー──もう20年か25年くらい活躍しているエスタブリッシュしたイギリス人のソロの振付家ですが──が、今年はすごく小さな20分くらいのソロを作るというので、それをこの『Brief Encounter』に含められればと思っていたのですが、結局彼女はもっと長い作品にしたいということになり、そんなわけで、第1回目の『Brief Encounter』は新人ばかりになりました。
『Brief Encounter』には、ちょっとした仕掛けがあります。サドラーズ・ウェルズ劇場とベイリス・スタジオとは、入り口は別々ですが同じビルの中にあるでしょう。だから、例えばメインの劇場のサドラーズ・ウェルズで7時半開演のプログラムを見る予定の人が、どうせだから、と、その前早くに出かけてきて6時半から始まるベイリス・スタジオでの小さな出し物をついでに見る。ベイリスでの演目は20分とかせいぜい30分の小作品が一本だけですから「ついで」に寄ることができるというわけ。サドラーズ・ウェルズでのその晩のチケットを持っている人は、ベイリス・スタジオへの入場料は無料です。ただ、サドラーズ・ウェルズは1500席、ベイリス・スタジオは150席程度ですから、全員が入れるわけではなく早いもの勝ちですけれど。それに加えて、ベイリス・スタジオの出し物だけを見るという客──この人たちは、5ポンド、まぁ安価ですが入場料を払わなければなりませんが──もいますから。
なるほど、面白い。ボクシングなどである「前座マッチ」みたいなものですね。
そう。観客にとってのウォーミングアップ。サドラーズ・ウェルズの観客はとてもコンサバティブで、新しいものを見ようとしないんです。彼らをなんとか惹きつけて、小さな、でもまったく新しいものをかいま見てもらう──これが『Brief Encounter』のコンセプトです。面白いでしょう? さて、うまくいくかどうかお楽しみに(笑)。
その『Brief Encounter』に出演するアーティストも、小品といえどもちゃんと公演のギャラは受け取るのですか?
もちろん。彼らに対する待遇は、正規のプログラムと同じです。
昨年のフェスティバルの入場者は3万9千人でしたね。その人口の内訳はどんなでしたか? 年齢層とか、白人だとかインド系だとかの人種の構成は?
劇場によっていろいろです。例えばサドラーズ・ウェルズの客は、だいたい高年齢・高収入の人たち。あの劇場に若い観客を取り込むには、入場料の操作が必要です。サドラーズ・ウェルズの良い席は25ポンド(約5000円)くらい。日本に比べればたいしたことのない金額かもしれませんが、イギリスではこれは高額です。12ポンドという低料金の席もありますが、すごく後ろの遠くの良くない席です。そこで、ダンス・アンブレラでは、ステージにかぶりつきのところに立ち見席を作った。すごく良い場所だけど、料金はたったの5ポンドです。楽ちんな靴さえ履いてくれば文句なし(笑)。人気は上々です。このチケットを買う人たちの多くは、ダンスを見たり劇場に行くという習慣の無い人たちで、でも「たった5ポンドだし、ちょっと試してみるか」という動機で出かけてくるわけです。彼らが初めてサドラーズ・ウェルズに来たというのはすぐわかります。最寄りの地下鉄の駅では、「劇場はどっち?」と道順を聞く人たちを多くみかけますものね。この立ち見席のシステムは4年続けていますが、とても成功しています。
では逆に、サドラーズ・ウェルズの常連客は、例えばザ・プレイス・シアターのような実験的な小劇場に出かけて行くのでしょうか?
ほんの少しですね。それを改善するためにフェスティバル全体のチケットを一カ所で買えるボックス・オフィスの仕組みを作ろうと努力しているのですけれど。もしもそういうボックス・オフィスがあれば、4〜5カ所の違った劇場で行われるプログラムのチケットが一度に購入できる。でも、各々の劇場はそれぞれ別々のルールでチケット販売をしていますので、実現はとても困難です。だから、「フェスティバルの演目のまとめ買い」ということができない。チケットの購入者は、いちいち別々の劇場に電話をかけて、別々にチケットを買わなければなりません。
フェスティバル全体の傾向を言えば、そうですね、かつては女性が7割、男性が3割でした。これが近年変化していて、いまでは6対4くらいの割合になっていると思います。プレイス・シアターではおそらく5対5に近いですね。
フェスティバル運営費の5割が、国の援助で成り立っていますね。このことによって「入場料を安くおさえて若い観客開拓をしなければならない」というような制約とか義務が生じているのですか?
いえ、私たち自身が、料金を抑えたいと思っているのです。高年齢・高収入の客しかいないというのは、危険なことです。若い世代の客が足を向けるようにしていかなければなりません。
高年齢・高収入の人たちが高いチケットを買ってくれれば、フェスティバル自体の経営は安定する、でもフェスティバルに未来の観客がいなくなるからですね。
その通り。面白いことに、劇場以外の場所でプログラムを組むと、新しい観客が来てくれるんですよ。最初にやった“劇場以外”のプログラムは、米国のコレオグラファーのサイト・スペシフィックの作品(注:その場所の特殊性を生かして演じるよう作られた作品)で、国立歴史博物館でした。その次が大英図書館、国立スポーツ・センターのクリスタル・パレス。テイト・モダンでマース・カニングハムのもやりました。今年はまたテイト・モダンが会場になっていますが、それがさきほど言及したローズマリー・ブッチャーの作品です。
なるほど。様々な種類の場所を会場にすることが、新しい観客を開拓するための武器になるということですね。それが理由で「ダンス・アンブレラ」のホームというべき場所を作らないでやってきているんですか?
ひとつの建物の中にとどまりたいと思ったことはありません。例えばローザスに『Rain』や『Drumming』といった大がかりな舞台をやってもらった時はサドラーズ・ウェルズでやりました。でも2年前に、ローザスを率いるアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルがソロをやりたいと言った時──そしてそれは面白いことだと思ったのですが──にはプレイス・シアターでやりました。そんなフレキシビリティーがあるんですよ。今年はジョセフ・ナジがグリニッジ・バレエ・ホールの中に特設舞台を作ります。巨大なカラッポのスペースなのですが、その中に180席の特設会場が建設されるんです。
なんかお金がかかりそうですが(笑)、資金源は?
そもそもはカンヌのダンス・フェスティバルのためにフランス政府が新作委嘱してできた作品ですから。ナジはプレイス・シアターでという話もありましたが、彼のやりたいところでやらせるという方針を貫いて、特設会場をしつらえることになった。もしもある作品にとってバービカン・シアターが最もふさわしければバービカンを、サドラーズ・ウェルズならサドラーズ・ウェルズを、ということができるのが、フェスティバル自身のホーム劇場を持たないことの利点です。もちろん不利な点もありますよ。例えば、さきほど述べたボックス・オフィスの問題とかね。
今回の来日はトヨタ・コレオグラフィーアワードの審査員としてですが、この中で賞をとったアーティストをフェスティバルに加えたら、トヨタからアーティストに与える資金援助のメリットがあります。ダンス・アンブレラの運営費の30%は個人や企業からの寄付金によって成り立っているわけですが、「このアーティストを加えると、資金繰りが楽になるぞ」といったような視点でラインナップを考えるなんてことは、なさいますか?
決してありません。そういう風にものを組み立てるフェスティバルもありますし、それもひとつのやり方でしょう。でも我々のところは全く違います。今年はフランス政府から援助があり、フランスのアーティストが多くフェスティバルに含まれていますが、これにしたって私たちがフランス政府にアプローチしたわけじゃない。向こうからもって来た話で、そして誰を含めるかについては話し合いに話し合いを重ねた上でのことで、「資金がそこにあるから」という理由でのアーティスト選びはしていません。もちろんお金のことを軽く見ているわけではありませんが。今回のフランスとのことですら、多くの(経済上の)交渉が必要でした。いまもまだジョセフ・ナジのプロジェクトについては、500人の観客しか導入できないことから、多額の資金調達に苦労しています。
日本のアーティストについて伺いたいと思います。トヨタ・コレオグラフィーアワードの審査員は今回で3度目ですね。
はい。でもこの3年間の他に、確か12年前にも一度──日本で米不足が社会問題になっていた時期でしたが──国際交流基金の招聘で10日ほど日本を訪れたことがありました。当時はコンテンポラリーダンスの公演なんてものはほとんど何もないくらいで、ちょうど滞在中にローザスの公演があって、あとは能を見ただけでした。活躍している日本人のカンパニーは、ほとんどが日本の外のフェスティバル──例えばオーストラリアとか、ニューヨークとかといった国外に出ていましたね。
トヨタでの来日を通して、何か変わったと感じましたか?
このコレオグラフィーアワードに、ものすごく多くの応募者がいたということに驚きました。最初の年には、確か200件くらいの応募があったと記憶しています。その多くをビデオでしか見ることができないことが消化不良でした。最初の審査の時には、「傑出した作品」というべきものがなくて、最優秀のものを決めるのが難しかったですね。一昨年、実際の舞台を見た8つのファイナリストのうちのひとつが、黒田育世の作品でした。私はその他に昨年の「身体表現サークル」の作品が気に入りました。すごくおかしな作品でした。彼らの作品を即興だと思った人も多かったようですが、そうじゃない。審査にはひっかからなかったけれど、フェスティバルに招聘してもいいかなと思い、審査発表の後、彼らと話しをしました。その作品は彼らの最初の作品で、あれこっきりだというでしょう。最初の作品としてはとても良くできたものだとは思いますが、20分の作品をひとつしか持っていないというのでは、ちょいと無理だなと(笑)。
なにしろ、多くの応募があるというその「数」におどろきました。12年前とは大違いですもの。12年前は、日本で基礎を築いた人たちでも、活躍の場所は海外だった──たとえばエイコ&コマ、勅使川原三郎、アリアドーネの会…。セゾン文化財団をのぞけば、当時の日本にはダンスを助ける仕組みが何もなかったでしょう? パパタラフマラが活躍していて、私は彼らの『SHIP IN A VIEW』という作品がすごく気に入っていたのですが、プロダクションが大きすぎたのであきらめた。でも1991年には『パレード』を招聘しました。大がかりな舞台美術とセットで、視覚的にすごく美しかった。彼らもセゾンにサポートされていただけで、政府からの助成などは受けていなかったと思います。
ダンス・カンパニーの数の他に、例えば作品の質という意味では、12年前と比べていまの日本はどうですか? 日本の振付家の作品は、例えばヨーロッパでは見つけられない何かユニークなもの感じますか?
そうですね。日本のアーティストの作品は、美術のバックグラウンドを感じさせるものが多いですね。視覚的なセンスに、すごく先鋭的なものをもっていると思います。例えば勅使川原三郎の作品、あるいはパパタラフマラの作品。黒田育世も、視覚に訴える要素がとても強い。あと、音楽の選び方がとても多岐にわたっていること。クラシックからポップ・ミュージックに至るまで、ひとつの作品の中であらゆる種類の音楽を折衷して使いますよね。西洋のアーティストは、もっと音楽に対して厳選主義です。シェン・ウェイ(Shen Wei = 在ニューヨークの中国人振付家)は、まぁ日本人ではないですが、例えば彼の『春の祭典』の作品の中で、音楽のリズムやらなにやらをまったく無視して振付けていて、そのやり方に西洋の観客はみな一歩引いてしまいましたが、私はああいうアプローチをおもしろいと思いました。
日本のアーティストの特徴ということに話を戻しましょう。いまの日本には、以前よりも多くの西洋のカンパニーが来日公演するようになったせいと、そして日本のアーティストの多くがヨーロッパでトレーニングをした経験があるせいで、技術的には西洋の影響がとても強いですね。例えば黒田育世はロンドンのラバン・センターで学んでいますし、他にも多くの人々が欧州のあちこちに出かけていると思います。多くの人がバレエのテクニックを基盤にしています。もちろん、「身体表現サークル」の男の子たちはまったく違いますし(笑)、トヨタの最初の年にはディスコ・ダンス風のもので、とうていフォーマルなダンスの訓練をしたのではないのだろうなという種類の面白いものも見ましたが。でも、やはり多くのダンサーがバレエを、それもとても優れたレベルで修得しています。実際、イギリスのバレエ団には多くの優秀な日本人ダンサーがいますよね。米国のモダン・ダンス・カンパニーにも多くの優れたダンサーがいるでしょう?
すべてのものが「グローバル化しているのだ」なんていう考え方に単純に同調する気はないのですが、いろいろなものの境界が曖昧になってきているのは確かだと思います。人々が無国籍化していると言いましょうか。例えば、在ニューヨークのエイコ&コマ。彼らは彼らがやりたいことをそのままやっているわけで、米国にいることでこれこれの影響を受けたからあれをやっている、というのではありません。アリアドーネもフランスにいますが、彼女らも彼女らのやりたいことをそのままやっているだけです。
ヴァル・ボーンさん個人としては、「西洋の影響を受けた日本人の作品」と、単純に「作りたいものを作っている日本人の作品」と、どちらに惹かれますか?
そういう切り方はしないですね。どちらでもいいです。「作品」になっていれば。
つまり、「日本的なるもの」を作品の中や裏に見つけようという意図で作品を眺めることはしない、単純に芸術性だけをみるということですね。
そう言っていいと思います。トヨタの審査についても、「日本的かどうか」ということを審査の基準にはしていません。「France Moves」のアーティストを選出する時にも「『フランスなるもの』とは何か」などということは議論していませんし。実際、「何がその国のものか」なんてことを考えるのは無理なことで、例えば私たちが「英国の振付家」と呼んでいる多くの在英の優れたアーティストたちも、実際には英国人でないアーティストが大勢いるんですから。
日本のカンパニーのツアーをプロデュースする計画はありますか?
黒田育世を招聘した時に、可能であればツアーにしたいとは思いましたが、資金面から無理でした。今後も可能性があればとは思っています。あるいはもっと小さなスケールのカンパニーとか、あるいはソロの作品とかで面白いものがあれば、もちろんツアーの可能性を探ります。
ということは、黒田育世の作品にはイギリスやヨーロッパでは見られない何かがある…ということでしょうか?
どこか違うフレーバーがありますし、観客はそれを楽しむと思います。以前(黒田がカンパニーのメンバーとして踊っていた)伊藤キムがイギリスで公演した時に、すごく好感を持って受け取られました。あの時は私たちのフェスティバルの招聘ではなかったのですが、小さな規模でしたから、ああいうのであれば私のところでツアーをプロデュースする興味は大いにあります。問題は資金繰りだけです。
ところでカンパニーの招聘にあたって、ビデオやDVDと、文字情報だけで決定するということはなさいますか?
ほとんどないですね。やはり本物の舞台を見ないことには。以前にビデオだけを見て招聘したことがありますが、招聘してみたら結局そのビデオはいいとこどりだけをしたもので全体の作品はおそまつだった…という苦い経験をしたことがあります。前にも招聘したことがあるとかよく知っているカンパニーの場合には、ビデオだけで決定することもあるにはありますが、そうでなければビデオだけでは決められません。
毎年のフェスティバルで紹介するイギリスのカンパニーは、全体の4割ほど。彼らについては、新作を紹介するなど、どのような作品になるかわからないリスクを背負ってラインナップを決めるのですから、残りの6割の海外のアーティストで大きなリスクを背負うわけにはいきません。ですから海外のアーティストの作品については、どういう作品なのかしっかりと把握した頭で上演を決めたいのです。
ということは、日本のカンパニーをダンス・アンブレラで招いてもらうには、日本に来ていただいて、あるいは日本よりも近いニューヨークのジャパン・ソサエティーに来ていただいて(笑)──生の舞台を見ていただかないとダメだということですね。
そうですね。エイコ&コマはニューヨークで見て招聘したのですし、アリアドーネはパリで見て招聘した。日本で見るよりはこれらの方が簡単ですね。
実際に見るのが不可欠…となると、例えば「これは必ず出かけることにしている」というフェスティバルというのがありますか?
はい、頼みにしているものがいくつかあります。例えば、ニューヨークのAPAPの毎年1月の年次大会がそれ。数日で実にあらゆるものをショウケースで見ることができますから。ただ惜しむらくは、ショウケース方式ですからすべてが20分程度の抜粋作品なこと。本当に作品全体で良いものになっているか、確信が持てません。
一方、ハンブルグのフェスティバルでは、多くの作品をしっかり全編通して見ることができます。これはとても良いことなのですが、ただ、朝の9時から真夜中までぶっつづけで見続けないとならない。シンドイですよ(笑)。
昨年は、私は行かなかったのですが同僚のベッツィー・グレゴリーが、マダガスカルのフェスティバルに行ってきました。アフリカ産の作品を見るフェスティバルでしたが、このフェスティバルのオーガナイザーはフランス政府の文化機関AFAAです。あと、二人で一緒にヨハネスバーグのフェスティバルにも行きました。これもまた多くの作品を一カ所で見ることのできる良い機会です。テルアビブのフェスティバルにも3回行ったことがあります。確かにとても有意義でした。ただ最後に行った時にちょっと政情が不安定だったので…。あとはエストニアのタリンとか、モスクワとか。
まぁとにかく旅の多い仕事です。せっかく出かけて行って、これといってひっかかるものに巡り会えない時には、落ち込みます。時間も金も使っているわけですから、プレッシャーもありますし、無駄遣いをしたように感じるかもしれません。でも、決して無駄ではありません。「何も見つけられなかった」と言っても「何も見なかった」のではないのですから。

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