カスリン・マクドウェル

世界の金融センター「シティ」に根ざした シティ・オブ・ロンドン・フェスティバル

2005.07.20
カスリン・マクドウェル

カスリン・マクドウェルKathryn McDowell

シティ・オブ・ロンドン・フェスティバル ディレクター

古い教会などの歴史的建造物と最先端のビジネス街が融合した「シティ」。歴史的建造物を会場にするなど地域の特徴を活かし、立地企業との連携により実施されているこのフェスティバルについて、ディレクターのカスリン・マクドウェル氏に聞く。
(聞き手:稲葉麻里子)
※このインタビューはロンドンで発生した同時爆破テロの前に収録したものです。
フェスティバルの歴史と成り立ちについて教えてください。
シティ・オブ・ロンドン・フェスティバルは、エディンバラやブライトンと並ぶ、英国で最も古いアートフェスティバルの一つで、60年代初めに始まりました。
シティは、独自の市長、議会、コーポレーション・オブ・ロンドン*と呼ばれる行政サービスを持つ、ロンドンで最も古い自治区です。セント・ポールを中心に、50にもおよぶ古い教会があるなど由緒ある建造物に恵まれる傍ら、今ではオフィスビルとしての最先端の現代建築*も林立しています。シティ内の居住者は5000人ですが、勤務する昼間人口は50万人に上ります。日本を始め、グローバルな多国籍企業がひしめきあう、世界の金融と商取引の中心地として知られている一方で、シティのわずか数マイル外には、ロンドンの中でも、非常に貧しく、恵まれない地域が広がっています。
フェスティバルは、ビジネス街という、せわしく、無味乾燥になりがちな地域に芸術文化を取り入れよう、という当時の市長の発想から始まりました。フェスティバルの総裁は市長が、副総裁はセント・ポール大聖堂の司祭が務めるのが慣習となっています。シティの市長は、Lord Mayorと呼ばれ、その年に最も活躍したビジネス界などの有力者が1年の任期で就任する、名誉職に近いポストですが、代々の市長は、シティにおける文化活動の必要性を感じているようです。70年代後半に設立されたバービカン・センターも、今ではパフォーミング・アーツにおける、シティのみならずロンドンの主要な会場になっています。
フェスティバルの開催時期は、毎年6月下旬から7月初めの3週間、夏休みを控え、皆がうきうきした気分になっている時期を生かして、シティにあるあらゆる建物で、コンサート、パフォーマンスが開かれます。セント・メリー・ル・ボー教会で鳴らされる鐘が、フェスティバルの開催を告げます。訪れる人も様々で、シティで働く人、住む人、またシティの歴史や建築に興味のある人たちなど、幅広い層を巻き込んでいると思います。私は2001年にフェスティバルのディレクターに就任しました。
フェスティバルの特徴、英国の他のフェスティバルとの違いは何ですか?
シティというユニークな地域の特性を生かしていることがあります。ここにある建造物が示しているように、古い伝統と、最先端が共存している街ですから、それが反映されるようなプログラムにしています。分野としては、シティにはバービカンセンターがあり、そこではBITEという演劇月間が同時期に開催されていますので、フェスティバルの事業は音楽、ヴィジュアルアーツを中心としています。
私たちのフェスティバルは、まず会場ありき、です。フェスティバル用のメイン会場を持つのではなく、シティならではの面白い建物を十二分に生かして、そこでどうやって一流のパフォーマンスを見てもらうか、聞いてもらうか、ということを考えます。シティのすぐそばには、サウスバンクやサドラーズ・ウェルズなど一流のホールや劇場があるわけですから、そこでできる体験をあえてフェスティバルでする必要はありません。
そこでどうするかというと、例えばギルドホールの利用があります。ギルドホールは、昔から、金細工、繊維業など各職業組合が所有する集会所という意味ですが、由緒ある素晴らしい建物であるにもかかわらず、普段は一般公開されていません。ですが、フェスティバルの期間はここもコンサート会場に提供してもらいます。同じように、ロイズやスイス・リーの本社など最先端の現代建築として国際的に知られるオフィスビルも、フェスティバルの会場の一つとなります。例えば、今年は、ロイズビルのアトリウムで、有名なピアニストのジョアナ・マクレガーが、7月4日、シティの重要な取引相手であるアメリカの独立記念日に、アメリカの現代作曲家の作品を演奏します。この横には古くから交易船の出航時に鳴らされている鐘があるなど、歴史的にも意味のある所です。
また、シティの景色が360度見渡せる、ノーマン・フォスターによる、画期的なデザインのスイス・リーの本社、通称「きゅうりビル」では、この建築と同じくらいに、その時代に衝撃的と称された、シュトックハウゼン70年代の作品『シュティムンク』が歌われます。もちろん、シティのあらゆる通りにある小さな教会でも、古典から現代を曲目に取り入れた室内楽や合唱のコンサートを行っています。これらの教会は、セント・ポール大聖堂で知られるクリストファー・レンが習作として設計したといわれていて、ここでいくつか音楽を聴いて、最後に、セント・ポールでの大規模なコンサートに行けば、この偉大な建築家の軌跡も同時に感じられると思います。
プログラムを組んでいて印象的だったのは、一流アーティストと言えども、必ずしも大きなコンサートホールではなく、小さくても自分の好きな雰囲気のスペースで演奏することも望んでいる、ということです。ヴァイオリンのヴィクトリア・ムローヴァなども、ある小さな空間で自分のミュージシャンと共に、実験的なコンサートをやりたいと提案してきました。魅力的な会場がアーティストを呼ぶ、ということが強みとなり、お陰で他のフェスティバルに遜色のない高い質のパフォーマンスを提供することができています。
ベテランのアーティストが特別な会場で意欲的なプログラムを組む傍ら、同時に活動を開始してまもない才能ある若手を紹介することにも力を入れています。今年でいえば、今やパーカッション界の女王ともいえるエブリン・グレニ-から、昨年デビューしたばかりの、アンナ・デニスという素晴らしい歌手も登場します。また、教会や街の広場などを生かした、無料のランチタイムコンサートなどのイベントも、フェスティバルを通じて行われています。
ヴィジュアルアーツについても少し紹介しましょう。先にご紹介した最新の建築や古い教会に呼応するようなインスタレーションをアーティストに委嘱するプログラムもあります。面白いのは、フェスティバル自体が展覧会を企画しなくても、シティには宝のような絵画や美術品があるということ。例えば、ベアリング、ウォーバーグ、ドイツ銀行といった企業は素晴らしい絵画のコレクションを所有しています。セキュリティ上、普段は公開されていませんが、フェスティバルの期間に限って、予約制で、これらを巡るツアーが行われています。アート好きにはたまらない企画ですし、企業側も、自社を宣伝する良い機会だと喜ばれています。
他に、シティの名所旧跡を訪ねるウォークラリーや、建築についての講演会も行われ、アートを通して街の魅力を楽しむことができる、というのがこのフェスティバルの特徴といえると思います。また、英国芸術祭協会( www.artsfestivals.co.uk )という組織もあり、定期的に会合がありますので、それぞれのフェスティバルが主張したい個性を尊重しながら、プログラムについての調整や意見交換は適宜行っています。
フェスティバルのテーマとして、ここ数年は毎回、ある「国」に焦点を当てているようですが、これはどういう方針からですか?
これもやはりシティという場所から来るものといえるでしょう。「国」というよりは、シティの重要な取引相手のある地、としてとらえているのです。私がディレクターに就任した2001年は、同時多発テロがありました。その時に強い印象を受けたのが、そのニュースを見ていたシティで働く多くの人たちが、悶々として、いてもたってもいられないという風情で自然にセント・ポール大聖堂に集まってきたという光景です。ビジネスの中心地であるシティにとって、ニューヨークは最も親密な関係にある都市で、多くの企業が同時にテレビ会議を行うような間柄です。
その意味で、彼らにとっては、英国のどの他の都市よりも、日常の業務を通してつきあっているニューヨークの方が近しく感じられているのだ、と痛感しました。そこで、シティの親しいトレーディング・パートナーとしての国を紹介する、という切り口を考えました。狭い面積なのにこれだけ国際的なシティでは、ビジネスの取引の場が文化交流の場にもなりうることを示したかったのです。
昨年は、民主化10周年を記念することもあって南アフリカをテーマにしました。今年はオランダ、ここもビジネスではロンドンと非常に古い付き合いのあるところですが、古楽の第一人者トン・コープマンのオーケストラや、伝説的なジャズグループICP、その他数々のオランダ人演奏家の公演や、バービカンでのオランダ映画の紹介、最先端のアーティストによる音と光のインスタレーションなどがあります。
来年は日本特集です。いうまでもなく、シティには古くから多くの日本企業が操業しており、シティで果たしている彼らの役割は大変なものです。シティの企業と話していて、そろそろフェスティバルでも日本を集中して紹介するいい時期なのでは、という気運が感じられたこと、また次期のLord Mayorが、日本に長く滞在したことのある大変な日本通であることも起因して、一昨年の南ア特集並みの大掛かりなプログラムにしたいと考えています。
先にも言いましたが、私は、シティが示すように、古い伝統を背景に存在する現代、ということを強く意識していますので、例えば能と20世紀オペラのダブルビル・プロダクションなど、日本の歴史と最先端のアートが対比できるプログラムにすべく、今準備しています。ですからクラブ・ミュージックとともに声明がラインナップされるかもしれませんし、パフォーミング・アーツだけでなく、日本の得意とするアニメやファッション、食文化などを紹介できる機会も設けたいと思います。日本に詳しく、コネクションのあるプロデューサーやエージェント、芸術団体と相談しながらシティで提供するにふさわしい内容にするつもりです。
フェスティバルはどこが母体となり、運営されているのですか。
シティ・アーツ・トラストという非営利団体がフェスティバルの運営母体です。フェスティバルの財政基盤は、マッチング方式で、シティの自治体であるコーポレーション・オブ・ロンドンの予算、プライスウォーターハウスクーパース(国際的な会計事務所)というフェスティバル全体のメインスポンサー企業、教育プログラムのためのスポンサー企業、その年のテーマによって参加する個々の企業協賛、公的な助成、チケット収入から成っています。また、広告宣伝のために、毎年英国の主要な新聞社にメディア・パートナーとなってもらっています。今年はタイムズ、昨年はインディペンデント社でした。また、BBC3(ラジオ)とも提携し、教会などで行われるコンサートの多くが生中継されるので、ロンドン以外の人たちにも楽しんでもらえるようになっています。
私たちの運営の特徴は、芸術監督がエグゼキュティブ・ディレクターを兼任しているということがあると思います。専門家の意見をとりいれて質の高いプログラムを発案するのと同時に、それを実施する資金も自分で目処をたてなければならず、理想と現実のバランス感覚を問われる良い訓練となります。これも、金融の中心地であるシティで行うフェスティバルであるということと深く関係しています。つまり、ビジネスには常にリスクが伴いますから、それに従事する人はその事業のために綿密に調査し、その有効性を裏付けなければなりません。それと同じ作業が求められるということです。
ですから、私たちはフェスティバルの終了後すぐ、パートできていたスタッフが解散する前に、全員でミーティングをして、各事業の反省会を行います。マスコミの批評など芸術的評価を集め、企業スポンサーとその顧客の感想・満足度を聞き、私たちで自己評価をし、そして何よりも来場者のプロフィール──新しい層を取り込めたか、幅広い文化背景を持つ人に来てもらえたか──について注意を払います。この後、総合的な報告書を、フェスティバルの財政基盤であるコーポレーション・オブ・ロンドンに提出します。
フェスティバルは、シティおよびその近隣地域にどのように役立ち、活性化させていると思いますか?
多くの団体がそうであるように、私たちのフェスティバルも教育・コミュニティプログラムに力を入れています。フェスティバルの時期以外も、数名の常駐スタッフをおき、フェスティバルのエッセンスを外に届ける努力をしています。企業向けのプログラムでは、組織の一員として仕事をする際に、チームワーク作り、リーダーシップの発揮などアートで必要な技術や心構えが、いかにビジネスに役立つかということを示します。
また近隣地域での教育プログラムを提供しています。これは非常に大切なことです。というのも、最初に話しましたように、シティから一歩出た地域は、普段は、文化芸術に接する機会や余裕のない、恵まれず、様々な文化背景を背負った人たちが居住しているからなのです。都市において、そこに住む人たちの文化的多様性を理解することはきわめて重要です。
こういう地域の人たち、特に若い人たちにもアートに関わり、フェスティバルに参加してもらおうと、通年で、彼らのイメージをもとに、ロンドンやシティの歴史をテーマにした芝居や音楽、ダンスを制作してもらい、フェスティバルのオープニングで披露するということをやっています。
今年は、子供たち一人一人に、ロンドンの古い歴史、例えばロンドン大火やペストの流行などを彼らの視点でバナーに描いてもらい、それを自分で掲げながらシティまで行進してもらいます。またコミュニティプログラムとして、地元の若者や「リサイクルド・ティーンエージャー」を豪語する年配者からなるダンスの同好会──分野は、社交、ジャズ、コンテンポラリーなど様々──がオープニングの時に、屋外のスペースで踊るというのもあります。普段はシティに足を踏み入れない人たちです。
圧巻だったのは昨年で、南アの有名なジャズ・トランペッターのヒュー・マサケラが音頭をとり、セント・ポール大聖堂で近隣の子供たちが大合唱したことです。これまで歌った経験の無い子供たちだったのに、すっかりコンサートを支配していました。各芸術機関が、それぞれの地域の特徴に沿って、質の高い、関わる人たちが忘れられないような形での教育プログラムを提供すれば、それが多くの人を取り込み、街の活性化につながるのではないでしょうか。

コーポレーション・オブ・ロンドン
(Corporation of London)

ロンドンは32の区とthe Cityに行政区が分かれている。シティの行政を担う自治体を称して呼ばれているのがコーポレーション・オブ・ロンドンである。他の区役所などの地方公共団体と同様、地元の警察、消防、道路清掃など一般の行政サービスを担っているが、居住人口が他の区と比べ極端に少ないことなどから、伝統的に、議会や市長は、政党別のいわゆる普通選挙とは違う方法で選出、指名される。コーポレーション・オブ・ロンドンの存在意義は、むしろ、世界の金融の中心であるシティの発展と宣伝にあるといわれ、この地域だからこそ得られる潤沢な法人税を活用して、バービカンセンターの運営を始め、文化芸術活動にも多大な補助を行っている。
https://www.cityoflondon.gov.uk/

*最先端の現代建築
ここ数年、建設ラッシュに沸き、多くの新しい建築が生まれているが、シティでは、2004年夏に完成したサー・ノーマン・フォスター設計による超高層のスイス・リ再保険会社ビル(その形状から、「ガーキン=ピクルス用のきゅうりという意味」との愛称で呼ばれる)が注目を集めた。80年代中旬には最新技術を駆使したリチャード・ロジャース卿のロイズ保険会社の本社社屋が建設されており、教会など古い建築とともに並存している。

この記事に関連するタグ