兼島拓也

ライカムで待っとく

2023.02.14
兼島拓也

兼島拓也Takuya Kaneshima

1989年、沖縄市出身。沖縄国際大学卒業。2013年に演劇グループ「チョコ泥棒」を結成し、脚本と演出を担当。沖縄の若者言葉を用いた会話劇を得意とし、コメディやミステリを軸としたオリジナル脚本の上演を行う。琉球舞踊家・玉城匠との演劇ユニット「玉どろぼう」としても活動。2018年、『Folklore(フォークロア)』で第14回おきなわ文学賞シナリオ・戯曲部門の一席沖縄県知事賞を受賞。2021年、NHK-FMシアター『ふしぎの国のハイサイ食堂』で第31回オーディオドラマ奨励賞入選。『ライカムで待っとく』が第30回読売演劇大賞優秀作品賞を受賞、第26回鶴屋南北戯曲賞および第67回岸田國士戯曲賞で最終候補となる。

チョコ泥棒
http://chocodorobo.com/

KAAT神奈川芸術劇場のプロデュース公演として沖縄在住の劇作家・兼島拓也(1989年、沖縄市出身)が書き下ろし、沖縄本土復帰50年(*1)となる2022年に初演。1964年、アメリカ占領下の沖縄で起こった沖縄の青年4人による米兵殺傷事件(*2)に陪審員として関わった伊佐千尋のノンフィクション『逆転』に想を得たもの。2022年の横浜に生きる雑誌記者が沖縄を訪れ、1964年の事件を取材するうち、過去と現在が曖昧となる時間の中、逃れられない沖縄の物語に巻き込まれていく。
ライカムで待っとく
ライカムで待っとく
ライカムで待っとく
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ライカムで待っとく
ライカムで待っとく

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『ライカムで待っとく』
(2022年11月30日~12月4日/KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ)
撮影:引地信彦

Data :
[初演年]2022年

2022年、横浜。雑誌記者の浅野は妻・知華の実家がある沖縄に義祖父の葬儀で帰る予定だった。上司の藤井は、浅野に横浜でパン屋を営む沖縄出身の女性、伊礼を紹介する。

伊礼は、浅野とそっくりな人物が映った古い写真を見せる。その人物は伊礼の祖父で、沖縄で起きた殺人事件の手記を残していると言う。本土復帰50周年の特集を企画していた藤井は、葬儀のついでにその事件を取材するよう言う。

沖縄。浅野がタクシーで普天間に向かう道すがら、予言めいたことを言う運転手が米軍専用のゴルフ場跡地にできた「ライカム」(*3)というショッピングセンターのことなどを話題にする。

知華の実家。浅野は先に娘と帰郷していた知華に、例の写真を見せる。知華はそこに祖父の佐久本寛二が写っているのを発見する。佐久本は浅野が調べようとしている事件の容疑者だった。知華は、死んだ人と話せる金城に頼み、祖父から真相を聞こうと言う。

横浜のパン屋。藤井は伊礼から祖父の残した米兵殺傷事件の裁判資料を受け取る。段ボール箱を開けると、そこから英語の声が漏れる。

金城の家。金城に呼び出された佐久本は29歳で、裁判の模様を語り出す。

1964年、事件前日、沖縄のおでん屋。写真館を経営している佐久本寛二と従業員の平、寛二の兄でタクシー会社を経営している雄信、タクシーの運転手で寛二の友人の嘉数、その恋人の麻美子、店主の多江子が飲んでいる。雄信が会員になった米軍専用のゴルフ場を翌日に使えることになり、盛り上がる。

事件当日。糸満の海を臨む岩壁。嘉数は麻美子に、沖縄戦で家族が飛び込んだこの場所から、また家族をはじめたいとプロポーズする。

裁判。麻美子の証言。糸満での嘉数の言葉はアメリカ兵への恨みと解釈される。

おでん屋。ウチナンチュだったために、結局、ゴルフ場が使えなかったことに不平を漏らしながらも酒飲み話で盛り上がる。先に店を出た平がアメリカ兵に襲われ、佐久本と嘉数が助けに行く。

裁判。多江子の証言。店での嘉数の言葉はアメリカ兵への復讐を考えてのものだと解釈される。

おでん屋。戻ってきた佐久本がゴルフクラブを手に店を出ようとしたところに雄信が来て止める。佐久本はクラブを離して、三線を取って出ていく。

裁判。雄信の証言。佐久本の言動はアメリカ兵への殺意と解釈される。

2022年。浅野と藤井が電話をしている。どうやら藤井は伊礼に気があるらしい。藤井は事件を、虐げられてきた沖縄人に寄り添って書くよう促す。

陪審員の審議。佐久本が浅野に陪審員役を押し付け、何をしても未来は変わらないから、有罪に賛成しろと言う。

知華の実家。浅野の書いた原稿の内容が勝手に変わっていた。そこに雄信と平が、基地から盗んだ大量の段ボール箱を運び込む。それが核兵器や毒ガスだったことから大混乱となる。

売春宿・麻美子の部屋。麻美子はアメリカ兵相手に体を売っているらしい。取材したいという浅野に、嘉数とは別れたし、みんな自分の人生をどうにかしようと生きているだけだと言う。

横浜のパン屋。藤井は見知らぬ男に出迎えられ、「琉球処分」(*4)を下せと迫られる。男はこれで「琉球人も日本人ですね」と言い、日本兵となって戦場に向かう。

第二次世界大戦中のガマ(*5)。日本兵と来た藤井は、ガマに避難しているウチナンチュを追い出せと言われる。すべて決まっていることだからと。

横浜。伊礼が藤井にマッカーサー(*6)が進駐軍のために土地や施設を接収したがっていると伝える。どうせ一時のことだし、困ったら基地は沖縄に持って行けばいいという。

日本兵が機動隊員となり、辺野古の埋め立て反対で座り込んでいる人を排除すると藤井に伝える。機動隊員は嘉数だった。嘉数の運転するタクシーに、藤井と伊礼が乗り込む。

伊礼は、私たちはこの原稿の中にいる、藤井はそこに途中参加したのだと告げる。

金城の家。佐久本は金城に死んだ弟と話したいから呼び出してほしいと頼む。二人は死人のデータがアーカイブされているライカムに弟のデータを探しに行く。

浅野が最初に出会った運転手のタクシーに乗り込む。浅野を海に案内し、やがてここは海ではなくなると言う。沖縄は日本のバックヤードで、すべての問題はバックヤードで起こるのだと言う。浅野に知華から電話が入る。娘がライカムで行方不明になったのだ。運転手はこの島では何が起きるかわかっていても何も変えられないと告げる。

佐久本が、ライカムのバックヤードで段ボール箱を開けて弟のデータを探している。そこに、段ボール箱を抱えた平、嘉数が合流し、浅野と知華、藤井もやってくる。

平は、沖縄の物語の決まりとして、娘か伊礼のどちらかがいなくならなければならないと言う。理由もなく誰かにとって大切な人がいなくなることが繰り返されてきたが、それが少ない被害で生きる方法なのだと言う。

藤井と知華は二人を探しにいく。立ち尽くす浅野に、平はあなたが書いているのは小さな犠牲をたくさん払って平和を買っている物語であり、それを描き続けなければならないと言う。

佐久本、平、嘉数、浅野の4人が並ぶと、シャッターが切られ、フラッシュが光る。

*1 沖縄本土復帰(沖縄返還)
第二次世界大戦後、沖縄は長らくアメリカに統治されていたが、1972年5月15日に日本に返還された。

*2 米兵殺傷事件
アメリカ占領下の1964年8月16日、宜野湾市普天間の飲食街周辺で、米兵2人と沖縄の青年4人(内2名は徳之島出身)が乱闘し、米兵1人が死亡、1人が重傷を負った事件。4人の青年は傷害致死罪で米国民政府裁判所に起訴され、米国人が多数を占める陪審員が評議。沖縄人陪審員・伊佐千尋の説得で傷害致死罪では無罪となったものの、3人が傷害罪で懲役3年の実刑となった。

*3 ライカム
ライカム(RyCom)とは、かつて沖縄本島中部に置かれていた「琉球米軍司令部(Ryukyu Command Headquarters)」の略。現在、ライカムは地名として残っており、2015年に米軍専用の泡瀬ゴルフ場跡地に巨大なショッピングセンター「イオンモール沖縄ライカム」(通称ライカム)がオープンした。

*4 琉球処分
狭義には、1879年に日本の明治政府が琉球王国を継承した琉球藩を廃し、首里城から国王を追放して沖縄県を設置した廃藩置県のこと。これによって琉球王国は滅び、日本の一部となった。

*5 ガマ
沖縄に数多くある自然洞窟のこと。さまざまな使い方をされ、第二次世界大戦中は防空壕、避難所として使用された。

*6 マッカーサー
第二次世界大戦終結に伴い、日本では連合国軍最高司令官総司令部が占領政策を行った。日本では略称のGHQあるいは進駐軍と呼ばれた。その連合国軍最高司令官として指揮をとったのがダグラス・マッカーサー。

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