藤田貴大

蜷の綿 -Nina’s Cotton-

2020.01.20
藤田貴大

藤田貴大Takahiro Fujita

1985年4月生まれ。北海道伊達市出身。劇作家、演出家。桜美林大学文学部総合文化学科にて演劇を専攻。2007年に「マームとジプシー」を旗揚げ。作品ごとにキャストとスタッフを集め、公演を行っている。作品を象徴するシーンを幾度も繰り返す“リフレイン”を創作の特徴とする。2011年に発表した3連作『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』で第56回岸田國士戯曲賞を26歳で受賞。以来、様々な分野の作家との共作を積極的に行うと同時に、演劇経験を問わず様々な年代の参加者との創作にも意欲的に取り組む。太平洋戦争末期の沖縄戦に動員された少女たちに想を得て描かれた今日マチ子の漫画『cocoon』(2013年、2015年)を舞台化。同作で2016年に第23回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞。演劇作品以外でもエッセイや小説、共作漫画など活動は多岐に渡る。

マームとジプシー
http://mum-gypsy.com/

2016年5月12日に80歳で亡くなった演出家・蜷川幸雄の半生を戯曲化。年齢差50歳の劇作家・演出家の藤田貴大が蜷川の依頼を受け、少年期、60年代アンダーグラウンド演劇時代、商業演劇への進出など演劇とともに歩んだ人生を取材して書き下ろし。本人演出により上演する予定が果たせなかった幻の戯曲。少年、青年、壮年のオトコ(蜷川)の語りによって彼の記憶/人生が浮かび上がってくる構造で、随所に蜷川自身の言葉も織り込まれた昭和の日本演劇史。2019年に、長年、蜷川の助手を務めた井上尊晶演出によりリーディング群像劇として初演。

 Prologue
 彷徨う老人たちの前に、「壮年の男」、「少年」、「青年」が順に登場する。「世界は、おれだ。おれは、世界だ」と、壮年の男が“オトコ(蜷川幸雄)”の記憶について語り出す。そこに不思議な存在“ニーナ”が登場し、「目をつむって? 思い出してみて?」と彼に語りかける。静寂の中、壮年の男はゆっくり去っていく。

Chapter 1

 第二次世界大戦末期、1945年4月。東京大空襲で焼ける赤羽。青年は炎に包まれた荒川の対岸を見つめている。その赤さが鋳物工場の焔に変わる。

 1935年10月15日、青年が鋳物の町・川口に生まれ育った蜷川少年について語りはじめると、あの頃の街並みが蘇る。両親の営む蜷川洋服店、朝鮮人の同級生との記憶が語られる。

Chapter 2

 生まれ育った下町の雰囲気にどこか馴染めない少年は、東京の開成中学に進学する。下校時間に地元の中学に進んだ友人たちと顔を合わせる度、少年には自分だけが離脱したような「うしろめたさ」がつきまとっていた。

Chapter 3

 同級生・桃園(ももぞの)についての回想。成績優秀にも関わらず、家が貧しく、夜間高校に通う桃園が、崖から滑落死したことを知る。
Chapter 4

 高校時代。美大を目指していたが、新劇の舞台に夢中になる。「演劇を学びたい」と三好十郎を訪ねると、「本当に芝居をやりたいなら、しっかり観てから来なさい」と諭される。

Chapter 5

 美大に落ちた青年は、俳優になることを決意。劇団青俳に入団し、木村功、岡田英次、倉橋健といった演劇界の大先輩たち、後に妻となる女優・真山知子、劇作家・清水邦夫と出会う。

 1960年、日米安全保障条約に反対する学生運動が苛烈を極める中で条約が成立(安保闘争)。同年、時代の焦燥感を強烈に描いた清水の『明日そこに花を挿そうよ』に出演し、青年は自分がやるべき演劇を発見する。

Chapter 6

 「演劇が、熱風のように、閃光する」「あの一瞬、あの一瞬を待っているんだよ、おれは」──60年代演劇の輝きを語る壮年の男。その言葉の中には、熱風のただなかに間に合わなかったという痛恨の想いが滲む。

Chapter 7

 1967年、青俳を退団し、仲間と清水作品を上演すべく「現代人劇場」を旗揚げした頃を回想する青年。

 1969年、アートシアター新宿文化で蜷川演出によって初演され、何を待つかわからない長い行列で時代を照射した伝説の舞台『真情あふるる軽薄さ』が再現される。

Chapter 8

 『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』の公演が終わり、現代人劇場を解散。仲間と新たに櫻社を立ち上げた青年は、見知らぬ若者に「蜷川さんはいま希望を語れますか?」とナイフを突きつけられる。客席には常に千のナイフがある。その危地に立つ覚悟は失うまいと決意する青年。その覚悟とともに櫻社を解散。1974年、商業演劇の演出を行う。

Chapter 9

 自宅。青年が「70年代はどうやって暮らしていたかと問われれば『女房のヒモ』だった」と語りはじめ、妻・真山が働き、夫・蜷川が育児する様子が描かれる。

 「ついに、ここまでこれたのだ」─1985年夏、エディンバラ国際フェスティバルに参加。1987年、ロンドンのナショナル・シアターで初めて蜷川作品が上演されるなど、海外公演について語られる。

Chapter 10

 車椅子に乗った壮年の男が登場。老いへの違和感、衰えていく身体の感覚を語る。目の前には人生を彩る記憶の風景が広がっていく。

Epilogue

 彷徨う老人たちの前に、「壮年の男」、「少年」、「青年」が登場し、お互いの記憶を語り合う。やがて壮年だけが取り残され、“ニーナ”が現れる。かつて演劇が放っていた閃光、その一瞬、暗闇の中に光りを求める二人が浮かび上がる。

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