岡田利規

NŌ THEATER

2018.09.14
岡田利規

岡田利規Toshiki Okada

1973年横浜生まれ、熊本在住。演劇作家、小説家。チェルフィッチュを主宰し、作・演出を手がける。2005年に『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。以降、その活動は国内外で高い注目を集め続けている。2008年、小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』で第二回大江健三郎賞受賞。2016年よりミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場のレパートリー作品の演出を4シーズンにわたって務め、2020年には『The Vacuum Cleaner』がベルリン演劇祭の“注目すべき10作品”に選出。タイの小説家ウティット・へーマムーンの原作を舞台化した『プラータナー:憑依のポートレート』で2020年第27回読売演劇大賞 選考委員特別賞を受賞。2021年には『夕鶴』でオペラの演出を初めて手がけるなど、現在も活動の幅を広げ続けている。

チェルフィッチュ公式サイト
https://chelfitsch.net/

岡田利規がドイツ有数の公立劇場であるミュンヘン・カンマーシュピーレのレパートリーとして、ドイツ人俳優たちと創り上げた作品。能の上演形式に倣い、間狂言を挟み2本の現代能で構成されている。2017年2月にドイツで初演の後、18年7月には京都公演が行われた。舞台となるのは東京の地下鉄駅のホーム。そこにバブルの亡霊、フェミニズムの幽霊を登場させ、資本主義に飲み込まれた現代日本を照射する。
岡田利規『NŌ THEATER』

『NŌ THEATER』
(2017年2月/ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場)
作・演出:岡田利規
© julian baumann

Data : [初演年]2017年

■能「六本木」

 青年(ワキ)が登場。青年は、真夜中近い東京を、地下鉄に乗って徘徊している。ときどき、意味も目的も理由もなく、都心をさまよいたい衝動がやってくる。

 降り立ったのは縁もゆかりもない六本木のホーム。男(シテ)が現れ、君のような若者に訊いてみたいことがあると、青年に話しかける。

 どんな気分がする? 衰弱に向かう国の若者でいるというのは。未来に期待するところの何もない若者でいるというのは──青年は「別に」と答えるしかない。だってそれは僕らの所与の条件、社会のデフォルトだから。

 何だか責められているような気がすると言う青年に、君を責める資格などないと返す男。男は六本木にある都市銀行のディーラーだった。青年に、君は私に呼ばれて来たと告げ、自分が犯した罪滅ぼしに話がしたいと言い残し、退場する。

 駅員(アイ、地謡を兼ねる)が、青年に「大丈夫?」と声をかける。ひとりでふらふらしている様子を不審に思ったのだという。年配の男性と話をしていたと答える青年に、それは、10年前、この駅のホームで飛び込み自殺をした男の幽霊だと教える。

 面を着けて、再び男が現れ、語り始める──。1985年9月のプラザ合意が引き起こした円高不況。内需拡大のための金融緩和によりはじまったあのバカ騒ぎのバブル経済。享楽を思うまま吸い込んで繁栄した六本木とその後の凋落のプロセスが語られる。

 30年かけてこの街は曠野へと変わっていった。私は高い塔の上からそれを見下ろしてきた。私には何もできなかった。でも、できなかったのではなく、しようとしなかっただけかもしれない。だとしたら、それは罪ではなかったのだろうか? 

 男が退場し、青年は六本木の街を一目見ようと、地上へと上がっていく。

■狂言「ガートルード」

 俳優が登場。「私はこのあたりに住んでいる舞台役者なんですけど」という名乗りから、長いモノローグが始まる。

 稽古場に向かいながら、台詞を覚える大変さを訴え、長いモノローグを書く作家の横暴を嘆く。やって来たのは地下鉄駅。ホームでの待ち時間や電車に乗っている間が、台詞を覚えるのにとてもいいのだと、稽古中の『ハムレット』のガートルードの台詞をつぶやく。

 台詞を何百回も口の中で転がして自分のものにしていくのが自分のやり方だが、覚え方は役者によってそれぞれ違う。口にしながら覚えると、演技の鮮度が保てなくなると言う人もいるのだ。

 俳優は、ホームに並ぶ柱を相手に、台詞を覚える方法について語り合い始める。何度も手書きして覚えるやり方があると聞いて、試してみたくなる。

 書いて覚える派のひとりは、書きすぎて腱鞘炎になったらしい。え、それでは台詞が覚えられなくない? 大丈夫、今は音声入力技術が進化したから、しゃべればかなり精確に文字にしてくれる……? それ、すごい。

■能「都庁前」

 青年(ワキ)が、自分は広島のはずれに生まれ育った者で、これから初めての東京観光に出かけるところだと名乗る。行ってみたいのは西新宿の超高層ビル街。映画『ロスト・イン・トランスレーション』に出てきたパークハイアットホテルも見てみたいと、地下鉄で都庁前駅に辿り着く。

 都庁に行くための出口がわからず、途方にくれていると、女1(シテ)が現れ、A3出口だと教えてくれる。青年は、これから都庁の展望室に上がり、それから映画の舞台になったホテルのバーへも行ってみたいのだと話しかける。

 女1は語る。あの映画での東京は、二人のアメリカ人の孤独を増幅するための装置になっていただけ。この街は、この国は、異邦人を疎外するのとは別の方法で邦人のこともまた疎外している、と。

 女1は、若くして当選した、広島出身の女性の都議会議員のことを口にする。そして、議事堂の前の都民広場に立ち寄るように勧める。そこには、議事堂に向き合って立ち尽くす女がいる。男性のあなたは、彼女の姿を見に行かなければならない。ホームの温度が下がったように感じられ、いつしか女1は姿を消している。

 駅員(アイ、地謡と兼ねる)が声をかける。急に寒くなったと言う青年に、「あの女を見たのか」と訊ねる。このホームには女の幽霊が出るという噂がある。あるとき都議会で、若い女性議員が、「お前は子どもを産めないのかよ」などと、男性議員から野次を浴びせられた。幽霊の噂が出るようになったのはその直後からだった。事件の後、“フェミニズムの幽霊”と呼ばれる女が都民広場に立つようになったという。

 広場へと向かう青年。女2(ツレ)が現れ、「その日議場の中で彼女は屈辱を受けた。私が屈辱を受けたということだ」と。野次事件は有耶無耶にされ、悔しさが解消されるチャンスは絶たれてしまった──。青年の見る前で、女2に何かが憑依していく。

 女1が再び登場し、自身の正体を明かす。それは、かつて生きた女たちの無念さが、今生きている女たちの味わっている無念さが、形づくった幽霊。私たちを弔うためにはこの都市の、この国の、メカニズムが変わらなければならない。そうでなければ私たちの魂が鎮まることはない。

 青年は都庁を目指し、駅の階段を上がっていく。

この記事に関連するタグ