鄭義信

赤道の下のマクベス

2018.04.12
鄭義信

鄭義信Chong Wishing

1957年、兵庫県姫路市生まれ。作家、演出家。同志社大学文学部を中退し、横浜放送映画専門学校(現・日本映画学校)美術科に学ぶ。松竹の美術助手から劇団黒テントに入団。
同世代の仲間と作った劇団新宿梁山泊を経て、現在はフリーとして活躍。文学座、オペラシアターこんにゃく座、新国立劇場ほかに戯曲を提供する傍ら、92年に立ち上げて自ら作・演出を務めるプロデュース集団「海のサーカス」で、人生の機微を描いた哀しくもコミカルな作品を発表。93年に『ザ・寺山』で第38回岸田國士戯曲賞を受賞。並行して映画にも活動の場を広げ、同年『月はどっちに出ている』の脚本で毎日映画コンクール脚本賞、キネマ旬報脚本賞などを受賞。98年には『愛を乞う人』でキネマ旬報脚本賞、日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第1回菊島隆三賞、アジア太平洋映画祭最優秀脚本賞など多くの賞を受賞した。平成13年度芸術祭賞大賞他を受賞した『僕はあした十八になる』(2001年 NHK)などテレビ、ラジオのシナリオでも活躍中。08年、新国立劇場制作の日韓合同作品『焼肉ドラゴン』(11年、16年再演)は韓国ソウルでも上演。同作品で第16回読売演劇大賞優秀演出家賞、第12回鶴屋南北戯曲賞、第43回紀伊國屋演劇賞、第59回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2014年春、紫綬褒章受章。
https://www.lespros.co.jp/artists/wishing-chong/

『たとえば野に咲く花のように』『焼肉ドラゴン』『パーマ屋スミレ』に続く、鄭義信の昭和戦後史のシリーズ第4弾(新国立劇場委嘱)。太平洋戦争敗戦後、シンガポールの刑務所を舞台に、死刑宣告を受けながらも懸命に生きる日本人と朝鮮人BC級戦犯の“最後の時”を通し、戦争の不条理や人間の愚かさ、崇高さを描く。

『赤道の下のマクベス』
(2018年3月6日〜25日/新国立劇場 小劇場) 撮影:谷古宇正彦
Data :
[初演年]2018年
[上演時間]2時間45分
[幕・場数]2幕6場
[キャスト]男9名

 1947年夏の朝、チャンギ刑務所のPホール(死刑囚を集めた獄舎)。6つの独房が並び、頭上には絞首台が見える。房から日本兵の黒田、山形、小西、朝鮮人軍属(軍を構成する軍人でない要員)の南星、文平を引き出す。彼らはそれぞれイギリス人捕虜を虐待した罪で、死刑判決を受けている。

 照りつける太陽の下で、黒田と南星は碁を打ち、文平は紙に何やら書きつけ、小西は独房の壁に自身が携わった泰緬(たいめん)鉄道(1943年6月から翌10月までかけ、タイとビルマ=現ミャンマーを結ぶため日本軍が建設した鉄道)の路線図を描いている。そんな中、山形だけが物思いに沈んでいる。

 かつて俳優を目指していた南星は、碁を打ちながら時折『マクベス』の台詞を引用して悦に入っている。泣き虫の若い文平は看守から虐待され、生傷が絶えない。文平は戦犯にされた苦悩を、切々と手紙で母に訴える。そんな文平を「そんなものを書いて、誰が喜ぶ」と非難する南星。そこに釈放されたはずの春吉が連れ戻されて来る。帰国途中の香港で逮捕され、再度死刑宣告を受けたのだ。春吉は、かつての上官・山形に抑えきれぬ怒りをぶつける。すべて山形の命令によって、捕虜を虐待した。自分には罪がないと訴えるが、空しい叫びにすぎない。

 山形に憎悪を募らす春吉は、親友・東漢(とんはん)が自殺したのも山形の暴力が原因だと糾弾する。しかし、山形はなにも答えない。文字が書けない小西が、山形に妻への手紙の代筆を頼む。小西の妻への思いはいつしか山形の家族への思いと重なり、それは山形の独白となっていく。

 夕暮れ近く。南星が郷里の妹から手紙が届いたと言う。そこには彼の父が英国総領事館に彼の助命嘆願を働きかけていると記されていた。浮かれる南星に鼻白む仲間たち。春吉が柄を鋭く削った歯ブラシで、山形に襲いかかる。「殺せ、ここは地獄だ」と嗚咽する山形を、春吉は結局刺すことはできない。朝鮮人でありながらも、日本人戦犯として死刑宣告を受ける不条理さを嘆くほかすべはない。

 看守長のナラヤナンが現れ、明朝死刑を執行すると告げる。読み上げられた名は南星、山形、小西。南星は「嘆願書が届く」と追いすがるが、看守に殴り倒される。「生きたい」とうめく南星。

 夜、死刑にされる三人のために、最後の晩餐がふるまわれる。場を盛りあげるために、南星と黒田による『マクベス』が演じられる。その余興の中で、南星はなぜマクベスが王を殺したのか思いあたる。「自らマクベスは破滅を選んだ」。そして、南星は自分がここで戦犯として処刑されるのも、自らの選択の結果だったと悟る。鉄道工事を推し進めるために捕虜を差し出したこと自体が、結果的にイギリス人捕虜を殺害したも同然だったと思い至るのだ。

 その懺悔に弾かれたように、黒田がニューギニアで自分が犯した「罪」を告白し始める。敵ゲリラの首謀者である村長を殺し、銃弾に撃たれて苦しむ朝鮮人の少年兵にとどめを刺した。黒田は、自分が殺したのはその二人だけではなく、それに連なる何千何万のアジアの民も自分が殺したと懺悔し、南星に「許してくれ」と土下座する。その行為を山形が激しくなじる。

 各人の怒りや絶望が入り混じり、騒然とする一同。頭を下げ続ける黒田に、南星は「死ぬまで後悔してろ。だが死んだらあの世で許してやる。人種はもう関係ないから」と声をかける。黒田に対する怒りで、山形と小西は自分たちの独房に入っていく。南星たちは残された自分たちの生を謳歌するかのように、大声で歌い始める。

 死刑執行の朝。絞首台に向かう南星を黒田が呼びとめ、父親がわりだと固く抱き締める。「ありがとう、父さんのことを本当に愛していた」と声を震わせる南星。そして、笑顔で絞首台に向かっていく。小西は半狂乱になり、自分は無罪だと絶叫するが、空しい叫びにすぎない。全てを振り切ったように清清しい表情の山形は、小西が書き残した路線図の最後の駅名を書き、残る者たちに鮮やかな敬礼を送って、自分もまた絞首台へと向かう。

 翌朝、一人碁を打つ黒田と空を見上げる文平。そこへ春吉が看守と共に現れ、懲役20年に減刑され、房を移ることになったと告げる。文平は故郷の母が戦犯になった自分を苦に自殺したことを明かす。母宛てだった手紙を春吉に託し、いつか釈放されたら誰かに読んでもらって欲しいと言う。「僕が書いた手紙を未来の誰かが読んで、僕の気持ちをわかってもらえる日が来ると思うことが、ちいさな希望だ」と泣きながら頼む。春吉は自分たちに科せられた悲惨な境遇を、自分が生きているかぎり伝えると約束して、去っていく。

 ホールには黒田と文平だけ。取り残された二人を静かに雨が包む。静かに降り続ける雨の中、二人は自分たちが生きていることを痛感する。
作者注:作品の時代背景が1948年の大韓民国政府成立以前のため、戯曲中は「韓国」の表記を避け、「朝鮮人」「朝鮮語」としている。

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