平田オリザ/ソン・ギウン

新・冒険王

2015.11.20
平田オリザ

平田オリザOriza Hirata

1962年東京生まれ。劇作家、演出家、青年団主宰。こまばアゴラ劇場芸術総監督、城崎国際アートセンター芸術監督。大阪COデザインセンター特任教授、東京藝術大学COI研究推進機構特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐、京都文教大学客員教授、(公財)舞台芸術財団演劇人会議理事長、富士見市民文化会館キラリ☆ふじみマネージャー、日本演劇学会理事、一般財団法人地域創造理事、豊岡市文化政策担当参与、奈義町教育・文化の町づくり監。
16歳で高校を休学し、1年半かけて自転車による世界一周旅行を敢行。世界26カ国を走破。1986年に国際基督教大学教養学部卒業。在学中に劇団「青年団」を結成。大学3年時、奨学金により韓国延世大学に1年間留学。
「現代口語演劇」を提唱し、1990年代以降の日本の現代演劇界に多大な影響を与える。海外公演に意欲的に取り組み、フランス、韓国、中国との国際共同制作も多数。2008〜2013年にBeSeTo演劇祭日本委員会委員長。また、民間小劇場のこまばアゴラ劇場の経営者として若手演劇人を育成。演劇によるコミュニケーション教育、大学における演劇教育など演劇教育分野でも目覚ましい成果を上げる。公立劇場芸術監督を務め、「芸術立国論」(2002年発行)を著すなど、国や自治体の文化芸術による公共政策をオピニオンリーダーとして牽引している。
受賞歴:1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲受賞したのをはじめ、2019年『日本文学盛衰史』で第22回鶴屋南北戯曲賞受賞するなど作品の受賞歴多数。2006年モンブラン国際文化賞受賞。2011年フランス国文化省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。

青年団 公式サイト
http://www.seinendan.org/

ソン・ギウン

ソン・ギウンSung Kiwoong

1974年生まれ。劇作家、演出家、第12言語演劇スタジオ主宰。
延世大学国語国文科在学中の1999年に東京外語大学で交換留学生として日本語を学ぶ。帰国後、韓国芸術総合大学の演劇院演出科大学院で演劇を専門的に学ぶ。
2006年、自身の作・演出『三等兵』でデビュー。作家、演出家としての仕事以外に、日韓の演劇の現場で翻訳、通訳、演出助手、プロデューサーなどマルチな役割で活動。東京デスロックの多田淳之介と2013年『カルメギ』、2015年『颱風奇談』をコラボレーションで制作。翻訳書に『平田オリザ戯曲集』1巻〜3巻(ヒョンアム社)、共同翻訳書に『現代口語演劇のために』(演劇と人間)、『坂手洋二戯曲集:屋根裏』(演劇と人間)がある。
2011年に『カガクするココロ─森の奥編』(平田オリザ原作)で第4回大韓民国演劇大賞優秀作品賞、2012年に『多情という名の病』で第1回ソウル演劇大賞演出賞、2013年に『カルメギ』で第50回東亜演劇賞作品賞・演出賞・視聴覚デザイン賞、2014年に第4回斗山ヨンガン芸術賞、今日の若者芸術家賞(文化体育観光部長官賞)を受賞。

青年団の平田オリザと、韓国・第12言語演劇スタジオのソン・ギウンの共同脚本として、日韓国交正常化50年を迎えた2015年に書き下ろされた。10代で世界を放浪した平田オリザの自伝的戯曲『冒険王』(1980年のイスタンブールの安宿が舞台)をベースに、設定を2002年に置き換え。日韓の若いバックパッカーたちによる怠惰と喧騒の入り混じった同時多発的な会話により、両国の歴史、世界情勢、それぞれの国に生まれた人物たちの漠とした不安を描く。
平田オリザ  ソン・ギウン『新・冒険王』

『新・冒険王』東京公演
(2015年6月12日〜29日/吉祥寺シアター) 撮影:青木 司

Data :
[初演年]2015年
[上演時間]約2時間10分
[キャスト]16人

 2002年6月18日、サッカー日韓ワールドカップ開催中。多国籍の若者が宿泊しているトルコ・イスタンブールの安宿。日本人と韓国人のバックパッカーが同居する一室が舞台。日本語、韓国語、そして片言の英語が飛び交う。

 日本と韓国とも予選を突破し、同じ日にベスト8を賭けたトーナメント初戦を迎えた。現在は韓国対イタリア戦前半途中、0-1で韓国が負けている。既に日本は午前中の試合でトルコに敗れた。韓国人たちはテレビのあるロビーに集まり、部屋には、オルハン・パムクの小説を読んでいるソヨンと、年長の日本人沢田はじめ、大学を出た後バックパッカーをしている木下幸太、ずっと寝ている植木タカシが残っている。日本人にも韓国人にも、彼女に恋心を抱いている者がいる。

 部屋に戻ってきた前川さゆり、副島直人ら日本人は、「ドーハの悲劇」と呼ばれる1993年のワールドカップ・アジア最終予選での日本の敗退について語り合う。韓国人にとっては、諦めかけていた出場が舞い込んだ「ドーハの奇跡」だと、この宿の客引きをしているスルギが言う。当時、はじめはバックパッカーとして世界を放浪し、さゆりは就職氷河期真っ直中の女子大生、スルギは韓国のエリートサラリーマンだった。

 ハーフタイムを迎え、ロビーに居た韓国人たちと矢島育美(兵役を間近に控えた韓国人ミョンファンのガールフレンド)が部屋に戻ってくる。宿を発つ時間が迫っているミンジェはミョンファンと試合談義。後半の再開が近づき、ミンジェは日本人たちに一緒に韓国を応援しようと誘うが断られる。「韓国が負けたら一緒に残念会だね」と沢田が言う。

 日本人たちは、金隆博(在日韓国人三世)や年長の韓国人インフとどこが対戦相手だったら日本を応援できるか議論をはじめるが、インフは相手が誰であれ「日本を応援することはできない」と返す。彼は、朝鮮戦争に軍隊を派遣して一緒に戦ってくれたトルコが、歴史的な経緯があって日本と親しいということにも複雑な感情を抱いている。育美が兵役の話題を持ち出すと、経験者のインフは「ただ、時間が過ぎるのを待っていた」と言う。

 ミンジェ、ミョンファン、育美は後半戦の応援に出て行った。しばらくして、スルギがアルメニア系アメリカ人で、日本語の上手いキャッシーを連れてくる。キャッシーは、日本と韓国が合同でワールドカップを開催したのは意外だという。彼女には、日韓の歴史が第一次世界大戦で多くのアルメニア人を虐殺したトルコとアルメニアの関係と重なっていた。

 はじめは、ユーラシア大陸を陸路で東進して帰国する計画を持っていたが、9・11以降、アフガニスタンやパキスタンが通れなくなったと嘆く。1年前の9・11の時、直人は旅行費用のためにコンビニでバイトとして働き、はじめはナイロビで昼寝をしていて、キャッシーはサンフランシスコで朝を迎えようとしていた。

 坂本芳雄がトルコの勝利に沸く町から戻ってくる。韓国が同点に追いついたという育美の報せに、ソヨンと彼女に気のある芳雄を除いてみんなロビーに向かう。

 後半終了。延長戦に向け休憩となり、興奮状態の韓国人たちが飛び込んでくる。彼らのコールやアリランの合唱に日本人も加わり、部屋は一気に騒がしくなる。そして、韓国人のたまり場で応援しようと宿を出て行く。

 部屋に残ったインフとソヨン。「日本人は大人しいのに、何故侵略をし、今ではそれを忘れたかのようにしていられるのか」と言うインフに対して、「韓国人は大騒ぎをしてもすぐに忘れる」と言うソヨン。

 兵役が迫ったミョンファンを迎えに母ヒギョンがやって来たのと入れ替わりに、ソヨンは荷物をまとめて誰にも告げずにひとり姿を消す。タケシがヒギョンに、育美がミョンファンのガールフレンドだと告げたことから騒ぎになる。ヒギョンたちはミョンファンを探しに出かける。ロビーでは、韓国が勝利したことでイタリア人が騒ぎを起こしている。

 キャッシーが、日本の漫画やアニメが好きで日本語を覚えたというポミを連れて来る。バナナが好きなポミは鞄から取り出して食べ始める。はじめと芳雄は、韓国が勝利したのに、インフとポミが盛り上がっていないのを不思議がる。ポミは「サッカーは嫌いじゃない。ワールドカップが嫌い」と言う。キャッシーは宿の手続きをするため部屋を出て行く。

 日本に帰るかどうかわからないけど、釜山から玄界灘が見たくなったと言うはじめ。それなら光州の自分の家に招待すると言うインフ。そして「釜山から日本を見る前に、イスタンブールからアジアを見ませんか?」と誘う。バナナを買いにバザールに買いに行こう。そしてガラタ橋から海の向こうのアジアを見よう、と話す4人。

 タケシは韓国語会話の本を見ながら、片言の韓国語を話す。「どこに行きますか?」、ポミは「海に」、インフは「家に」。そして、ポミが「バナナを食べますか?」と配り、みんなで食べるのだった。

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