桑原裕子

甘い丘

2009.10.28
桑原裕子

桑原裕子Yuko Kuwabara

東京都出身。1996年、劇団「KAKUTA」を結成。2001年より劇作・演出を手がける他、俳優としても出演し、中心的な役割を担っている。緻密なプロットによるウェルメイドな作風にこだわり、日常を生きる人々の感情を濃やかに描き出す。また、屋外や遊園地、プラネタリウム、ギャラリーなど劇場外の空間を利用した公演やリーディングも行っている。外部プロデュース公演や映像作品への脚本提供、外部での演出、出演も多数。代表作 『甘い丘』 では07年に第52回岸田國士戯曲賞最終候補にノミネートされたほか、09年再演時には作家・演出家として第64回文化庁芸術祭新人賞を受賞。外部に書下ろした11年の『往転』も同年の鶴屋南北戯曲賞と岸田國士戯曲賞の最終候補となった。

https://www.kakuta.tv/

零細企業が集まる工場地帯。その中心から外れた丘の上に「砂川サンダル工場」がある。工場は独特の臭気を伴う排煙と、“訳ありの人間”が働いているという内実のため周囲から孤立していた。舞台は、その古びた社員寮の休憩所。四季の移り変わりに託して、従業員たちの騒々しい日常とその裏に隠された揺れ動く人間関係の機微が描かれる。
桑原裕子『甘い丘』

KAKUTA『甘い丘』
(2007年1月/シアタートラム) 撮影:相川博昭

Data :
[初演年]2007年
[上演時間]約2時間
[幕・場面数]1幕5場
[キャスト数]14人(男6・女8)

 夏の午後、かの子と茜、工場に就職を希望する二人の女が丘を登って来る。従業員らしき男、実はこの工場で働いている白藜(しろざ)のヒモをしている鳶音(とびお)と話すうち、昼の休憩時間になり工員たちが休憩所に戻って来る。激しく口論しているのは兄弟で働く幹治(かんじ)と然治(ぜんじ)、耳が不自由で靴職人の虎杖(いたどり)、不意にネグリジェ姿で現れた白藜、そして工場主の妹みね、大葉、桂ら古株らしい女たち。

 自称1億円横領(実は30万円横領)した前科持ちの元証券会社OLの茜も、女をつくった夫に捨てられニュータウン暮らしから落ちこぼれたかの子も、みねの面接であっけなく住み込みの採用が決まる。鳶音と白藜が痴話げんかをしたり、工場主の楓が若い作家志望の青年・椹(さわら)を引き込んだり、いろいろな人間関係が錯綜する工場で、二人の新生活が始まる。

 晩夏。ある夜、かの子を訪ねて探偵の有明がやってくる。捨てられた夫の素行調査を続けるかの子に、「追いかけてるのか、逃げてるのか、あてつけてるのか?…女ってのは何考えてるか、わからないもんですね」と有明。そこには甘いゴムの臭いが漂っていた。

 晩秋。医師である茜の姉ともえが妹を迎えに来るが、工場の暮らしを見下しているようなともえの態度に「今はここが家なの、ここで取り戻したいの!」と叫ぶ茜。そこに、椹が出版社の賞に入選したと、みねが走り込んでくる。みねもまた、椹が手の届かない存在になるのではという不安を抱えている。

 そして吹雪の真冬。再び、有明がやってきて、身辺調査が夫にバレ、離婚届をあずかってきたとかの子に告げる。愛人に子供が出来た事実を知って動揺し、有明を責めるかの子。一方、鳶音は病の床についていたが、不安をかき消すようにそれでも白藜と二人、じゃれあっている。

 吹雪で停電した薄闇の中、不意に虎杖が現れ、自作の靴を履いてくれるようかの子に頼む。「どれだけ歩いても決して疲れない理想の靴」を作るため、スケッチや試作を重ねていた虎杖は、密かに思いをよせるかの子の足のサイズに合わせて靴をつくっていたのだ。かの子の足先からその付け根へと、そっとすべり入る虎杖の手は、心の傷をも柔らかに癒していく。

 桜も散りかけた春。工場は出荷作業で賑わっている。椹は作家活動に専心するため、今日旅立つ。鳶音は既にこの世にはいない。と、一度は工場を出て行ったかの子が、久々に丘を登って来る。湧き立つ一同。かの子は工場に帰って来たのだ。虎杖に「ここにいちゃだめですか」と訊くかの子。そのとき、事務所に繋がる窓から、椅子の上に乗る白藜の足が見える。夫に去られ、心が不安定だったかの子がよく見ていた“首を吊る女”のイメージにその光景は重なり、間一髪、かの子は白藜の自殺を察し、みんなで駆けつけて止める。

 「どこにもいたくない」、と鳶音の死に対する絶望を口にする白藜。「いたくなるよ」と返すかの子。「何処にでも行けるから、ここにいよう」。それはそのまま、彼女自身の気持ちを工場の皆に伝える言葉でもあった。

 外から花見の準備が整ったと、みねが告げる。笑う女たち。一人で立つ女、支え合うように立つ女、手を引かれて立つ女もいる。残ったかの子は、虎杖に向けて手を伸ばすのだった。

この記事に関連するタグ