天野天街

くだんの件

2007.12.17
天野天街

天野天街Tengai Amano

1960年愛知県一宮市生まれ。少年王者舘主宰・劇作家・演出家。劇団紅十字舎を経て、1982年に劇團少年王者を旗揚げ(1985年、少年王者舘に改称)。ほとんどの作品の作・演出を務め、名古屋を拠点として全国的に活躍。1992年に澁澤龍彦の遺作『高丘親王航海記』を野外劇化して各界の注目を集める。1994年には初監督した映画『トワイライツ』が2つの国際映画祭でグランプリを受賞。1998年より演劇ユニットKUDAN Projectを始動。同時に海外公演も開始。2000年に『劇終/OSHIMAI〜くだんの件』が第44回岸田國士戯曲賞最終候補にノミネート。2005年には総勢160名以上が出演した『百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん』を上演し、大きな話題を呼んだ。また、流山児★事務所、ITOプロジェクト、雨傘屋など外部演出も多数手掛けている。2019年5月には、書き下ろし新作『1001(イチゼロゼロイチ)』を新国立劇場にて上演予定。

少年王者舘
http://www.oujakan.jp/

「くだんの件」天野天街
件(くだん)とは、身体が牛、顔が人で、牛から生まれるとされるあやしの生き物。生まれた直後に戦争や天災に関する予言を残し、すぐ死ぬという。また同時に、件は「例のあのこと」という意味の指示代名詞としての日本語の日常語でもある。
そうしたタイトルからも想像されるように、天野の劇世界はばらまかれる言葉の音韻的な連関が、それまで無関係であった多様なイメージを引き寄せ開花させ、あるいは強力に物語をねじり、空間を夢幻的に拡散していく奔放さを劇作品のひとつの推進力とする。ひとつのといったのは、持ち出されてくる小道具もまた、「オブジェ」と「記号」の境目を取り払うようにして変容しながら場面にエネルギーを供給しつつづけるからであり、多用されるめくるめく時間のコラージュや因果律の逆転が劇全体に悪夢めいた神話性すら与えて、きわめてユニークな迷宮的時空間を屹立させるのもまた彼の真骨頂だからである。あふれるばかりの遊戯性とほの暗いノスタルジーも全編に漂う。
「くだんの件」天野天街
撮影:羽鳥直志

Data :
[初演年]1995年
[上演時間]1時間35分
[幕・場面数]1幕6場
[キャスト数]2人(男2)

 どこでもない時、どこでもないところ、どこでもない夏のある日……。古びたカウンターのなかに控えるヒトシのもとにタロウがやってくる。彼は昔このあたりに住んでおり、その時拾って長屋の二階の片隅で飼っていた「KUDAN」という生物がその後どうなったのか、気になってたずねてきたのだ。

 ガムを噛んだり麦茶のやりとりをしたり、床屋ごっこをしたりタイムマシーン遊びをしたり、二人の間では狂騒的なまでの遊戯が展開される。まるでそれは、夢を見るお互いをまたお互いが夢見合っているような、とめどもなく不安で心ときめく光景だ。

 彼らが語るかつてあった「ほんとうの夏」への郷愁から、それを共有した二人はどうやら幼なじみであったらしいと分かってくる。タロウが持参した風呂敷包みをあけると真っ赤なスイカが出てくる。スイカを食べながら仲良しだった七夕を思い出す二人だが、ヒトシの書いた短冊が終末願望だったのに対し、タロウの書いたそれはヒトシを呪う内容で、二人の関係が支配者=被支配者であったようだ。

 やがて、真っ赤なスイカから血まみれの生首のイメージが連想され、「蚊をつぶす」という言葉からは「顔つぶす」という言葉が生み出されて、「二階の牛」は「二回脳死」へと変容していく。ヒトシは、どうやら子供の頃タロウに二階から突き落とされ首をもがれ、いまも植物状態になって眠り続けているらしいことがほのめかされる。タロウのなかでトラウマに隠された記憶が少しずつ甦っていく。

 場面は一転して田舎風の二階座敷。日射病から目ざめたタロウを介抱するヒトシ。そこは三十五年の眠りから覚めたヒトシの部屋かもしれず、すべてはタロウの夢だったかもしれず……。もう夢も終わりです、と呟くヒトシとともに唐突に芝居は終わる。あとにはすべてが持ち去られた空っぽの舞台に、途中で現実世界から届けられた宅配ピザだけが残る。

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