下島礼紗

ケダゴロ・ダンスで実際の事件に対峙する
下島礼紗のパッション

2022.10.14
下島礼紗

(C) 佐藤瑞季

下島礼紗Reisa Shimojima

実際に起こった事件などを題材にした作品を発表しているダンスカンパニー「ケダゴロ」を率いる振付家・ダンサーの下島礼紗(1992年生まれ)。『sky』(2018年初演。オウム真理教や連合赤軍のリンチ殺人事件など集団における狂気や同調圧力をテーマとした作品)、『ビコーズカズコーズ』(2021年初演。殺人で指名手配され時効直前に逮捕された福田和子が題材)などに加え、最新作『세월』(2022年初演)では多数の犠牲者を出したセウォル号沈没事故と対峙した。ダンサーとしてのレッスンを受けたことがないメンバーたちが紙オムツ等を衣装として身につけ、激しく動くケダゴロのステージは圧巻で、海外からも注目されている。

「ダンス作品そのものよりもダンスによって生まれるコミュニティに興味がある」という下島を創作に向かわせるパッションとは?
聞き手:乗越たかお(舞踊評論家)
세월
세월
세월
세월

ケダゴロ『세월』
(2022年5月26日~29日/KAAT神奈川芸術劇場大スタジオ)
Photo:草本利枝

セウォル号沈没事故を扱った『세월』

最新作の『세월(日本語での読みはセウォル)』(2022年5月初演)はポスター等でもあえて日本語表示をしていませんが、「セウォル」つまり、2014年4月16日に韓国で起きたセウォル号沈没事故をタイトルにした作品です。修学旅行のために客船に乗っていた高校生たちを含む300人以上が犠牲となり、今なお裁判中というセンシティブな題材を外国人の立場から取り上げるのは大きな決断だったと思います。そもそもどうして実在の事件を取り上げるのですか?
 実体験だと固定観念が生まれてしまうので、自分から距離のある題材の方がいいと思っているからです。最初に取り上げたのがオウム真理教の事件でした。

 私は生まれてすぐに父の仕事の関係でフランスに行き、3歳のときに帰国したのですが、その日が1995年3月20日、地下鉄サリン事件の日でした。羽田空港のテレビで見た、ブルーシートの上に大勢の人が倒れている映像を、今も覚えています。大学で「オウム事件をダンスにしたい」と言っても不思議な顔をされ、卒業して作品づくりに迷走していたときに、叩かれてもいいからやりたいことをやろうと作ったのがオウム真理教の音楽『尊師マーチ』を使ったソロ作品『オムツをはいたサル』(2017年初演)でした。

 この作品のおかげで、ある時代背景を持った歴史的事件を題材にすると、観客自身がその出来事との距離感を自分自身で確かめ、思考のフックにして議論が生まれていくのだということを実感しました。そして、観客と作品だけでなく、観客同士にも対話の可能性が生まれる。そうやって観客の方々がさまざまな視点からレスポンスをしてくれることによって、はじめてこの作品は何だったのか、あの事件は何だったのかが形を成してくる。私が具体的な題材を作品に与えるのは、そうしたコミュニケーションの可能性を体験的に感じているからです。
では、どうしてセウォル号沈没事故を題材に選んだのですか?
 『세월』については自分でもまだ整理がついていませんし、そもそも整理できるようなことでもありません。確かに社会的な事件を題材にはしていますが、記録や史実に基づいて出来事自体を作品にしたいわけではなく、オウムもそうですが、ある集団内で人々が密室的に暗黙の規範や感覚を共有している状況に強く惹かれるんです。不謹慎に思われるかもしれませんが、セウォル号についても私が惹きこまれたのは、船内に取り残された人々の関係や状況に関することで、関心の根は同じです。

 加えてちょっと変な話ですが、子どもの頃から、私は自分が小児病棟みたいな所に隔離されるように入院している状況を恍惚としながら夢想することがよくあります…。社会的な規範や価値観とは少しズレた、閉鎖的で独自の世界を生きている人の集団性や状況というのが自分の原風景になっていて。両親が不仲で自分の居場所を求めていたせいかもしれませんが‥‥。
『세월』の初演では、冒頭、人が乗った平台を屋体崩しして事故の発生を告げ、そこから船体が傾いて沈没するまでの101分間の時間経過と上演時間(60分間)を重ねるように表現していました。混乱した状況そのものにフォーカスし、実際に船内で何度もアナウンスされた「가만있어(カマニイッソ=じっとしていなさい)」を韓国語のまま流し、その度にダンサーの身体がストップしては崩れる‥‥。沈没するという結果がわかった後のものとして扱うのではなく、発生しているまさにその刻のものとして向き合い、賛否両論でした。下島さんはパンフレットに、この事件を劇的にすることに嫌悪感があり、当初準備していた大きな水槽を使用する案を取りやめたと書かれていました。
 セウォル号についていろいろ調べました。船内で撮られた映像が残っているのですが、船が傾斜したために窓にかかっているカーテンが斜めになったまま、時間が止まったかのように静止していたんです。布じゃなくてまるでプラスティックのように見えた。それがとてもショッキングで、この斜めになったカーテン、斜めになった空間をとっかかりにしようと思いました。

 セウォル号が沈没したことを知っていて、傾いている船の姿を外から見ている我々はあの斜めに硬直した空間を見ると恐怖を感じます。でも、実際に船に乗っていたある女子学生は、カーテンを見て「あれは45度ぐらい……角度ってどうやって求めるんだっけ?」というような話をしていたそうです。あのおぞましい斜めの角度が船内では笑いを生んでいたかもしれない。極めて過酷な状況の中で生まれるものは決して悲惨だけではない。なんとも言い難い不可思議で人の生の本質に迫るような状況というものが絶対にあったと思う。この事件の中にそうしたことを直感的に感じました。それが、先ほどお話しした私の原風景に繋がるような気がして、強く惹きつけられたんです。けれど、なかなか表現しづらいしはっきりと掴むことが出来ない。表現として倫理的に問題があるからというだけではありません。しかし、ダンスとして肉体で考えるというラインなら可能になってくるのではないか。そう気づかせてくれたのが、あの斜めのカーテンでした。
具体的にはどのように振り付けていったのですか。
 『세월』において、私は「振付をした」という実感があまりありません。本来、私の振付スタイルは、作品の題材から得たインスピレーションを元にダンサーにお題を与え、そのお題に従って動こうとするダンサーの身体から生まれる“エラー”を抽出して、実際に作品で使われる振付や演出を構成します。本作もこの手法で取組んだのですが、かつてなく“エラー”の抽出が難しかった。『세월』という題材は作品としての成立を阻むかのようにダンサーの動きに暗黙の制約を与えていたんです。作者である私ですら、何かのコントロール下にあるように感じていました。そこで、自発的な肉体や精神ではなく、動かされる身体を成立させる必要があると思いました。だからこそ、平台やトランペットスピーカーからの声、既存の韓国の振付などを使って、振付以外のさまざまな影響によって「動かされる身体」を作り出そうとしました。
作品の中でダンサーたちが肉体的にすごく追い詰められ、必死な緊張感と滑稽さが同居しているように思いました。
 この作品のために事件の文献や映像を集め、延々と資料と向き合っていると、この事件を作品で扱うことの重責も相まって、町の中でハングル文字を見るにつけ吐き気を催すようになってしました。でも、ダンサーたちが舞台に向けて感じるべき責任や負荷はこれではない、という思いがあった。

 身体的に「セウォル号事件とは何だったのか」という問いに切り込むためには、具体的な事実や言葉以外の部分で事件に出会っていく必要があるのではないかと思ったんです。そのための出発点として、「呼吸を止めること」が重要な表現になると考えていました。

 稽古の序盤から、「呼吸を止める」というお題を含んだクリエーションを何度も行いました。すると稽古の度に「今日も息を止めるんだろうな……」と思いながらダンサーたちは稽古場に入る。そうすることでひとつの集団的な意識が生まれるわけです。そうした意識の濃度が高まると、「音を出したら踊ってね」と言っただけの指示に対して、「息をして踊っていいんですか?」と質問が来るようになるんです。

 作中で「カマニイッソというアナウンスが流れたら呼吸を止める」シーンがありますが、最終的には休憩中にくつろいでいるときでも、突然カマニイッソと流したら息を止めるようになりました。そういう稽古場でのリアルを舞台上に持っていくために、ダンサーたちをかなり追い込みました。なぜなら過酷な時ほど集団的な共同性を実感できるからです。人間という生き物のおぞましさだなと感じます。

 これはセウォル号の船内をダンサーに追体験させようとしたわけではなく、こうした集団的な意識から派生してくる状況や身体的な状態を事件に結び付ける回路を生み出す方法がないだろうかと、そんなことを考えていました。
賛否両論では、この「カマニイッソ」をなぜ日本語にしなかったのかが論点のひとつになっていました。
 「日本語で言ってくれれば意味がわかったのに」という意見が多くありましたが、そもそも「カマニイッソ」を使わなければ生まれていない意見です。『세월』というタイトルも韓国人ならセウォル号事件のことだと一瞬でわかりますが、韓国語がわからない日本人は「これは何て読むの?」から始まる。タイトルにフリガナをつけずに記号として使うことを決めたときから、その「わからないこと」に向かっていくという決意がありました。言語の問題でのつまずきは表層的なようで多くの事を示しているように思います。私たちは分かり得ないものに手を伸ばすより、もっと手前のところで早々と何かを諦めているというか‥‥。

 それと、具体的な題材に取り組むにあたって、観客の意識や思考を攪乱するような仕掛けは、かなり意図的にやっています。見る側の思考を喚起しないと、つまり日本の観客からリアルな反応を引き出さないと成立しないような作品でしたから。とは言っても「何でもいい」というのでは、それはそれでこちらの思考停止です。観た後に「今日はちょっと考えなきゃ気が済まない」と思ってもらいたいし、エンターテイメントとして楽しんでもらいたいという気持ちもある。ここで、どういうバランスを塩梅するかというのはケダゴロの作品においてはとても重要なことです。

 また、「カマニイッソ」の扱いについては、いただいた意見を受け止めた上で、今後さらに考えを深めたいと思っていることの一つです。例えば、公演アンケートに「なぜ蟹味噌と言われるとダンサーが息や体を止めたりするのですか?笑」というようなことが書かれていました。私はこのアンケートを読んでハッとしました。そうか、「カマニイッソ」という韓国語ではなく、もっと無関係な言葉にして、「なんでその言葉にダンサーが反応するのだろうか?」という疑問に導いた方が、わからないことから思考を引き出す意図は明確になったかもしれないと。これはあくまで例え話ですが。

大学在学中にケダゴロを立ち上げ

下島さんは1992年鹿児島生まれです。ダンスとはどのように出会ったのですか。
 フランスから帰国して、両親が離婚したため鹿児島の曾祖父の家で育ちました。野生児で、外で火を焚いたり、勾玉を作ったりするような子どもでしたが、7歳の時に友達に誘われて地元のジャズダンス教室に通うようになりました。

 ジャズダンスにはあまり興味がもてなかったのですが、北海道のYOSAKOIソーランがブームになっていた頃で、鹿児島でも何か盛り上げようと、突然そのジャズダンス教室の先生が鹿児島祇園祭(おぎおんさぁ)に参加するよ!と言い出し、よさこいで使われる鳴子を持ってジャズダンスを踊るという、なんかもうコンテンポラリーなダンスが生まれちゃったんです(笑)。その関係で、私は毎週末いろんな地域に出かけて踊り、いろんな人々と出会うことができた。そういう踊ることで生まれるコミュニティにすごく魅力を感じ始めました。
そこからどうして東京の大学でダンスを学ぶことになったのですか。
 自分のダンスが東京で通用するとは思っていなかったので、舞台監督を志してスタッフワークが学べる桜美林大学を選びました。しかし、舞台裏から見ているうちに「私にやらせろ!」という思いが頭をもたげてきた。年1回、10分から15分ぐらいの作品を作ってオムニバスで上演する「ラボプロジェクト」という学内公演があるのですが、そこで初めて作品を発表しました。それから3年間、作品を出す度に監修である木佐貫邦子先生に「あなたはちょっと邪を纏っている」(笑)と言われ続けました。

 おそらく美しくないこと、そして危うさを感じ取られたんだと思います。木佐貫先生というダンスへのリスペクトと美しさへの信念を持つ先生のおかげで、今の自分の道を選んでこられたのだと思っています。
公式にはケダゴロの結成は大学在学中の2013年とあります。第1作目の『ヒトヤマ』は2014年初演です。
 ダンスをやると決めてから、私は牙を剥き出しにして「全員蹴散らしてやる!」と息巻いていました。それでケダゴロ結成の前に女性ダンサーばかりでカンパニーを作ったのですが、最終的に人間関係で空中分解させてしまいました。しばらくもぬけの殻のようになっていたのですが、周りを見ると私同様に「演劇もダンスももう何もしたくない」とはみ出した連中がいるのに気づいた。それで、彼らに声を掛けて作ったのが『ヒトヤマ』です。

 出演者は20人で、学内の劇場を借りて上演しました。ケダゴロの結成年としている2013年は、私を含めた抜け殻連中が集まってゴソゴソと稽古を始めた年です。現在のケダゴロのメンバーのほとんどは『ヒトヤマ』から残った人たちですね。
なるほど。ケダゴロがダンサー出身ではないメンバーばかりなのはそういう経緯があったからなんですね。ところで面白いカンパニー名ですが、どういう意味ですか。
 ケダゴロは鹿児島弁で、地面に落ちている獣の糞のことです。ケダは獣、ゴロは何かのモノという意味。『ヒトヤマ』を上演するときに一度きりのつもりでつけたのですが、今では「糞は汚くて見たくもないもの、誰かにとっては排除したい不要なものだが、何かにとってはとても大切な命の源になる」──ケダゴロの作品は、そういう人間の栄養分的な存在でありたいという表明だと捉えています。
『ヒトヤマ』は全員が紙オムツを身につけ、壁や仕切りが稼働して空間がどんどん展開し、尋常じゃないほど多い運動量で、今のケダゴロのエッセンスが詰まっている面白い作品です。クレジットを見ると、下島さんは振付・構成・演出になっています。
 当時は「物を使わなければ踊れないのか?」と多くの人に怒られました(笑)。桜美林でダンスをやっている人たちには「身体が語る」「身体で空間を変容させる」という信念がある(と私が勝手に思っている)。それはもちろん正しいのですが、私にはそれに対するコンプレックスや反感があり、それをエネルギーにできたから今のケダゴロがある。「これはダンスなの?」という議論からはじまるから、ケダゴロの世界が成立するんです。私自身はダンサーでありたいという思いもあるし、はじめからダンスを手放してしまったらきっと一気につまらなくなる。ダンスは頭から離れない元カレのような存在で、だから反発しているし、見返してやりたいとも思っているんです。
「見返してやりたい」ことが多いですね(笑)。
 私は反骨心からしか作品が作れない。もっと美しいものを作りなさいと何度も言われました。蓮の花のように、泥の中にあるものを昇華させて美しいものを作れと。泥をそのまま見せるんじゃない、と言われたときには悩みましたね。
反骨心が強いわりに、素直に批判を受け入れます。
 受け入れます。そして凄く傷つきます。でもそこから始まりますから。
ちなみにケダゴロと下島さんの定番衣装ともいえる紙オムツは『ヒトヤマ』ではじめて登場しました。その後、『厳しい第三者の目で…』(2016年初演)、『オムツをはいたサル』(2017年初演)、『sky』(2019年初演)などでも使われています。なぜ紙オムツなのでしょう?
 あまり言いたくないのですが、『ヒトヤマ』で20人のダンサーを集めたものの衣装を揃えるお金がなかった。どうしようかと思案しながら量販店などを回っていたときに特売の20枚入り紙オムツを売っていて、目に飛び込んできた。本当にそれだけの理由です。

 ただオムツを履くことで色々なハレーションが起きました。まずダンサーが格好をつけて踊れなくなった。余分なプライドを奪われて、ゼロベースで作品を作っていけるようになりました。それから私自身にも、キワモノと揶揄されないだけの「オムツのインパクトを超えた強度の作品を作る」という自覚が生まれました。

 2017年に『オムツをはいたサル』というソロ作品をつくりましたが、この作品が自分としてのオムツへの回答になったのではないかと思っています。ほとんどの人がオムツを履くのは、自分で排泄を処理できない時代、ざっくり言えば赤ちゃんと老人です。そしてオムツではなくパンツをはいた人々が世の中を動かしている。ならば、ケダゴロの作品はそういう人間社会をオムツを履いた立場から俯瞰するものでありたいと思いました。これが今もケダゴロの作品づくりのスタンスになっています。
オムツをはいたサル
オムツをはいたサル

『オムツをはいたサル』
(2017年2月/横浜赤レンガ倉庫1号館)
Photo: Tsukada Yoichi

立て続けに話題作を発表

卒業後の2016年に行われた第2回公演『ケダゴロ』は野外公演でした。同年、d-倉庫の「ダンスがみたい!新人シリーズ15」で『厳しい第三者の目で…』を発表して新人賞を受賞。2017年の『オムツをはいたサル』が「横浜ダンスコレクション2017 コンペティションII」で最優秀新人賞とハンガリーのタッチポイントアートファウンデーション賞をW受賞し、ハンガリーへの招聘が決定しました。2018年には『sky』と立て続けに話題作を発表しています。
 『ヒトヤマ』の後、方向性を見出せずに足掻いていた頃につくったのが『ケダゴロ』です。アングラ演劇に憧れて雑司ヶ谷鬼子母神堂の境内の土の上で踊りました。解散まで考えていた頃で、d-倉庫での受賞は「ケダゴロを止めるな」と言われたような気がしました。ハンガリーに招聘されたのはとても貴重な体験でしたが、とにかく海外公演に対する知識が全くなかったので苦労しました。その初めての海外の舞台でオーディエンス賞をいただけたことは私にとって大きな一歩だったと思います。
『sky』にはオウム真理教の『極限修行音頭』や連合赤軍が仲間を次々にリンチ殺人した「総括」まで出てきます。でも舞台で行われているのは、全員が分厚い氷塊を素手で長時間持つという意味のない苦行です。しかし、互いに励まし合う同調圧力が不気味な陶酔を生み、その後の大人数のユニゾンのダンスというカタルシスに雪崩れ込んでいく。そうして実はダンスもカルトと同根だと突きつける。これは世界各国で招待公演され、高く評価されました。
 雪山に籠っていた連合赤軍という集団そのものが題材なので、稽古の段階からみんなで長時間氷水に足を浸けたり、目隠しで全力疾走したり、追体験していきました。そこでふと「ダンサーたちはなぜこんなに私の指示に従うんだろう?」と疑問に思った。そしていつの間にか自分が手にしていた「振付家のヒエラルキーが持つ力」の恐ろしさにゾッとしました。そこから「ダンスカンパニーにおける集団狂気を表現した作品」として創っていきました。ケダゴロのメンバーとの創作過程の中で降ってきたアイデアなので、私の力で生み出した作品ではありません。
sky
sky

ケダゴロ『sky』
(2018年2月/横浜にぎわい座のげシャーレ)
Photo: bozzo

暴力的な表現をする作品はたまにありますが、ほとんどがただ暴力を舞台上で再生産しているだけです。しかし『sky』は「何が人を暴力に駆り立てるのか」という本質的なことをしっかり描き出していると思いました。
2021年にはケダゴロ第3回公演として『ビコーズカズコーズ』を発表しました。顔の整形を繰り返しながら約15年間にわたり警察の手を逃れ、時効成立直前に逮捕された実在の殺人犯・福田和子がモチーフになっています。天井にパイプで格子を組み、福田に扮した何人ものダンサーがそのパイプにぶら下がって逃げ回り、身を隠すアクロバティックな作品でした。
 彼女が逮捕されたのは私が5才の頃でした。片方襟の折れ曲がったオレンジ色の服を着て、ツルッとした顔をした逮捕時の写真が強烈に印象に残っていて、作品の鍵になっています。集団そのものを扱った『sky』の後だったので、これは集団性を扱わない初めての作品にしたいと思いました。福田和子個人を描くため、「ひとりの人間を集団で表現する」ことにしました。
体力的に大変な作品でしたね。
 公演がコロナで1年延期になってしまったんです。ダンサーたちにすると上演寸前まで仕上がった身体を一度休ませて、改めて上演できるとなったらもう「いくらでもぶら下がります!」という状態になっていました。コロナ禍が招いたマインド・コントロールのようでした。
福田和子を演じる女性陣の他に、男性がふたり(アインシュタインとニュートン)登場します。
 最初の段階ではこの演出はありませんでした。公演が延期になった間ずっと福田和子のことを考えていたので、頭を切り替えるために自分が一番わからない物理学の本を読んで万有引力や相対性理論と出合った。それで天井のパイプにぶら下がったり登ったりという元の演出に、罪の重さを重力として与えてみようと思いつきました。

 若い頃、強盗で服役中だった福田和子は獄中レイプの被害にあっています。男性中心の社会を覆う暴力性から逃れることができないという重力とも重なると思いました。

 また、コロナによって、私たちは世界中どこへも逃れられないことを身をもって体験し、地球という重力の牢獄で生かされているのだということも認識しました。
ビコーズカズコーズ
ビコーズカズコーズ
ビコーズカズコーズ
ビコーズカズコーズ

ケダゴロ『ビコーズカズコーズ』
(2022年6月/小劇場B1)
Photo: bozzo

ケダゴロの方法

下島さんと同年代のアーティストと話すと、固定したカンパニーではなく、お互いのカンパニーを行き来したり、ゆるやかにつながって活動しているダンサーが多いです。対してケダゴロはカンパニーとして強固に見えます。
 おそらく他の振付家は作品を作ることが目的だけど、私は作品を口実にコミュニティを作ることに興味があるからだと思います。そのためにも振付家がヒエラルキーの頂点にならないようダンサーとの関係性を絶えず変えていくように心がけています。

 たとえば『sky』では、作品の中で主宰者の私がメンバーから「何でこれをノーギャラでやらせるんだ!」ってビンタされる。私はリーダーというよりも、場面によって階級構造を変えられる存在でありたい。カンパニー内の役割は固定化しやすいので、危ないと思ったらバッと変える。その繰り返しで、ケダゴロは気がついたら10年間続いていました。
ケダゴロには四股を踏むような下半身に独特な動きがあるように思います。独自のテクニックやメソッドはありますか。
 よく聞かれますが、特別なことはありません。そこに属した気分になるのでそういうメソッドをつくるのが嫌いなんです。稽古の最初に必ずトレーニングを30分から1時間ぐらいやりますが、腕立て、腹筋、背筋……といった身体を鍛えるただの軍隊式トレーニングです。1人1人の身体を立ち上げたいわけじゃなくて、ケダゴロは集団として立ち上がらないと意味がないですから。

 ただ作る作品によってトレーニングメニューは変わります。事件を徹底的に分析する中から必要なメニューを考案します。と言っても、私はよさこい踊りの出身なので、よさこいの手癖足癖は自然とケダゴロのメソッドになっていると思います。

海外招聘とこれから

『オムツをはいたサル』や『sky』は海外に何度も招聘されました。海外での手応えはいかがでしたか。
 学生運動を扱った『sky』を、若者が中心になってデモが拡大していた時期の香港ダンス・エクスチェンジというフェスティバルで上演しました。デモの真っ只中の自分たちの姿と重ねて熱い声援を送ってくれる人もいれば、「あなたは中国共産党側の人間か」と言われたりもしました。そのときのフェスティバルのテーマが「Stand Up HK(立ち上がれ、香港)」で、芸術が社会と完全に混ざり合った状況にあり、日本のコンペティションとはわけが違う。議論が起こる云々を超えて、作品が社会の中にボーンと投げ入れられた感じでした。
「Hong Kong Dance Exchange」では、現在、香港のダンサーと共同振付の作品を創作中ですね。
 まだクリエイションの最中で、ちょうどタイトルが決まったところです。今の世界における民主主義がテーマのひとつですが、タイトルに『デモクラシー』や『フリー』等を入れてはダメだと言われて、考えていたタイトルのほとんどがボツになりました。それもまた、私にとっては、ダンスを通して世界を知る大きな経験となりました。
中国やシンガポールは事前に上演許可を取らないと公演できない、事実上の検閲があります。現場の人々は様々な形で抵抗していますが‥‥。
 自由が制限された国と対峙してみると、作品が存在する理由が圧倒的に強い気がしました。もちろん自由があったほうがいいですが、制限があるから生まれる豊かさというものがあると思います。
2022年は香港だけでなく、シンガポール・韓国・北アイルランドと海外での滞在創作や国内での共同制作が進行中だそうですね。
 コロナ禍で延期されていた国際プロジェクトが一気に動き始めました。私は顔合わせのときに、自己紹介がわりに鹿児島のおはら節をみんなでやります。子どもの頃からやっていたので、私の身体に染み込んでいる。面白いのは、おはら節に対するダンサーの反応が国によって全然違うんです。

 韓国のダンサーは伝統舞踊を学んでいるのでおはら節に近い動きをするかと思えば、すごくバレエ的に動いたりする。インドネシアのダンサーは独特のリズムの取り方をするので、おはら節の単純なリズムを難しいと言う。ヨーロッパになると、もう動きなんかどうでもよくなって、「レイサ、おはら節の歌をセリフのように言ってみて!」とか言い出す(笑)。
踊る気も覚える気もゼロですね(笑)。
 でもその違いが実に面白い。今はおはら節を土台にして、そこからそれぞれ発展させていくのが国際共同制作をするときの私の具体的なモチベーションになっています。
2022年年末から2023年にかけて、秋田・東京・静岡で『ビコーズカズコーズ』のツアーがあります。
 初演は、自分の考えやコンセプトを観客に押し付けて、衝突し、一緒に考えてもらう段階です。そして観客からのフィードバックを受けて、再演ではじめて私たち自身も、その作品の景色を見ることができる。今回のツアーで『ビコーズカズコーズ』という作品を再解釈し完全版として立ち上がらせることを目指しています。

 ただ、再演で鮮度を保つのは難しいところもあって、私いろいろと考えるのですが、例えば『sky』では、「ちょっと慣れてきちゃったんで」と言って、ダンサーが自ら氷を持つ腕をキツい角度に変えたりする。自ら苦行を買って出てくるので、ちょっとヤバい精神状態になっているのかなと思う時もあります。どこまでいってもケダゴロは作品だけじゃなく、集団であることが重要だと思っています。
今後の展望があれば聞かせてください。
 実はコロナ禍で行われたケダゴロ会議では、「コロナ禍を理由にズルズル続けるのではなく、3年以内に目標を達成できなければ解散しよう」と話していました。その目標が「海外で長編作品を1本上演する」もしくは「国内で3カ所以上のツアーをする」だったのですが、図らずも叶ってしまった。

 『sky』『ビコーズカズコーズ』『세월』という曲がりなりにもカンパニーを代表する作品を作れた次のステップとして、新作ではなく、例えば『세월』を韓国で上演するとか、突拍子もないですが、そうやって作品や創作への向き合い方を行動で示すときが来ているのかなと思っています。