吉開菜央

言葉になる前の情動を
踊り、映像にする

2021.08.13
吉開菜央

Photo: Natsuki Kuroda

吉開菜央Nao Yoshigai

振付家・ダンサーで、映画作家である吉開菜央(1987年山口県生まれ)。日本女子体育大学舞踊学専攻でダンスを学んだ後、東京藝術大学大学院映像研究科に進学。2010年代に作家としての活動をスタート。2019年には第72回カンヌ国際映画祭監督週間短編部門に『Grand Banquet』(2018年)が正式招待されるなど、身体表現と映像制作の両面を必須の要素とした作品世界は高く評価されている。

彼女が生まれ育ったのは、1990年をターニングポイントに日本におけるバブル経済が崩壊した“失われた20年”と呼ばれる時代だ。幼少期からデジタル・テクノロジーに親しむ一方で、小学生の頃には地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災があり、ゲーム、宮崎駿のアニメ、女性アイドルグループのモーニング娘。などがアイコンだった時代──。地方で暮らしていた10代の頃からきわめて意識的に表現者を目指してきたという吉開は、自身を取り巻く社会をどのように捉え、独自の表現を獲得してきたのだろうか。
聞き手:住吉智恵

『ほったまるびより』(2015年)
(C) NaoYoshigai

ダンスとの出会い

吉開さんはどんなふうに踊りをはじめたのでしょうか。
 母親から聞いた話では、3歳くらいの頃から、公園のイベントとかで太鼓の音が鳴ると「私を見て!」みたいな感じで踊っていたそうです。12歳からバレエを習い始めましたが、当時はチームを組んでストリートダンスを踊るのが流行っていたので、私も友達に声をかけて始めました。全て自分で振り付けて、稽古ももっとやりたかったのですが、他のメンバーと私のやる気が違いすぎて長くは続きませんでした。

 その頃から本気でダンサーになれると信じていて、プロを目指そうとしていました。最初は、B’zとか安室奈美恵の曲に合わせて踊ったり、地元のストリートダンス界隈では名前を知られていた男性にヒップホップやハウスを習ったりしました。高校時代にはジャズダンスの教室にも通いましたし、とにかく地元で手に届くものは全部やりました。

 当時、アリシア・キーズやビヨンセ、デスティニーズ・チャイルドなどグラミー賞系の女性シンガーたちのが参加している『WOMAN』と出合って、彼女たちのステージングにも憧れましたね。力強い声の楽曲にハマって、家で一人で音楽をかけながら即興で踊るのが楽しかったです。
バレエには型もありますし、並行して習うことにジレンマはなかったのですか。
 ありましたが、プロになるにはやらなきゃいけないと思っていました。その頃、『ガラスの仮面』(少女の北島マヤがライバルと闘いながら女優になる少女漫画)がTVドラマ化されて、演技のためなら泥だんごをおいしそうに食べる!みたいな根性ドラマに憧れていましたし(笑)。実は、合奏団にも参加していてティンパニーを演奏していたのですが、発表会後のインタビューで手を挙げて「世界中に名の知られる何ものかになりたい」とか答えていましたね。根拠のない自信があって、かなりの目立ちたがりだったと思います。

 私たちの世代まではギリギリ脳天気に生きていられたというか、まだ夢を見られた世代なのかもしれません。ビヨンセのバックダンサーになれると信じて東京に行くことを決めて、親には「一体何を考えているんだ?」と散々言われたけど、いやできるから、みたいな感じでした。
そうして日本女子体育大学舞踊学専攻に進学します。
 誰かに振り付けられて踊るということはあまりなくて、バレエ、ジャズ、ヒップホップのテクニックを少しずつ採り入れて、自由に創作していました。大学2年の頃に映像の面白さに気づいて、後半はずっと編集室に籠もっていました。東京藝術大学大学院映像研究科に進もうと決めていたので、卒業公演にも出ませんでした。

 映像にのめり込むようになったのは、ある作品の振付がきっかけでした。お風呂に水を張って水面を叩く振付を思い付いたのですが、頭の中に映像的に編集されたイメージが沸いてきて、映像を撮ったほうが自分が思い描いたものができるのではないと思いました。結果はイメージ通りにはなりませんでしたが、自分でカメラを回して、演者にディレクションして、映像をつくるのが楽しくて、すっかりハマってしまいました。

 ダンスを振付するときに、ちょっと不自由さを感じていました。自分の弱点なのですが、実は三次元を把握するのが苦手だったんです。舞台の場合、客席のどこから見てもいいようにつくらなければいけなくて、観る側の視点を固定できない。でも映像は、編集をする時には二次元のデータになっていますし、カメラの視点は固定されていて、後はそれをどう見せるかを考えればいい。それに、舞台上の自分の踊りは自分で見られないけど、映像なら自分の感覚をカメラを通して見ることができる。しかも何回もリピート再生できるので、このカットの次に何を繋げばどうなるかを、何度でも確かめられる。その過程で自分が情動的に動かされていくので、編集自体がダンス的な感覚になる。映像だとのめり込みながらも客観的に作ることができるし、幸いなことにそういう編集の力が自分にはあるのではないかと自覚しています。

映像作品としてのチャレンジ

大学院に進学してから、どのような作品に取り組んだのですか。
 大学院に入るまでは、ミュージックビデオみたいな、音から想像する自分のイメージのようなものを撮っていたので、音楽がなければ作品をつくれない状態になっていました。ダンスも音楽と切り離せないと思い込んでいたので、音楽なしでどうすれば時間がつくれるのかが全くわかりませんでした。まず音楽があって、その構成に沿っていけば何となく身体の物語もできて、しかも音楽が雰囲気まで作ってくれる‥‥。でも、大学時代に『ローザス・ダンス・ローザス』の映像に出合ってから変わりました。ローザスの作品は、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルが譜面の一音一音を起こしてその音に振りを当てるという、ガチガチに音ハメの振付です。それは憧れでもありましたが、すでにここまで完成されたことをやっている人がいるのに自分がその方向を目指しても仕方がないと思いました。

 それで大学院に進んでからは、音楽を使わないダンス映像を撮ろうと試行錯誤しました。足音や息など身体から出る音やリズム、周囲の自然音をサンプリングしたら、それが音楽になるんじゃないかとか。そうやって一から映像と向き合っているうちに、“自分だけの物語”みたいなものを発見できるようになりました。どうしてこの人はこういう動きや行為をするのか?という情動的な部分を音と映像のリズムだけで繋ぐようにしてみたら、何かが自分の中で生まれてくる感覚がありました。苦しいけれど、こういう“自分の音楽”を人の身体に移していく方法にやり甲斐を見つけたというか、ようやく“作品”と呼んでいいものができたと感じました。

 映像に音を付ける時、最初はアフレコという発想すらなかったので、現場で同録していました。その時にマイクが拾った音、例えばリズミカルな鳩の鳴き声とか、それを1つのキーにしてそこに足音が絡んでいく、といったことを発見していきました。今は同録の音だけでなく、他の素材の音とか、画面に見えてないものの音を付けるといったことも行います。例えば「乙女の口腔内に映画館がある」と自ら謳っている『梨君たまこと牙のゆくえ』(2020年)という作品では、爆音にして梨の咀嚼音に全身が包まれるような感覚を目指しました。
ローザス以外で、現在に繋がるような影響を受けたものや基点になる作品体験はありますか。
 クリス・カニンガムの監督したエイフェックス・ツインのMVですね。アンヌ・テレサが語った「ダンスは“聞く”もの、音楽は“見える”ものにしたい」という考え方に完全に一致していて、全ての動きが音にハマっている映像です。音を消していても、映像を見ているだけで音が聞こえてくる。完璧に映像でリズムができていて、そういう点ではすごく影響を受けたと思います。

 また別の文脈では、舞踏を学んだ大橋可也さんのダンスカンパニーで映像スタッフをやっていたので、根っ子のところでは大橋さんと繋がっているところがあります。映像スタッフとして、舞台のパフォーマンス中にライブでダンサーの動きを舐め回すように即興的に撮るといったことをやっていました。大橋さんのポスト舞踏と呼ばれる作品のつくり方をたくさん見たことで、自分の中に1つの引き出しができたと思っています。ローザスやクリス・カニンガムだけでは辿り着けないところで、大橋さんに影響を受けています。
大学院を出て、作品を発表されるようになります。吉開さんが自転車に乗って那須高原を走り、刻々と変化する風景に自分でナレーションをつけた『自転車乗りの少女』(2013年)、古い木造一軒家に溜まったもろもろを女の子たちの身体表現で表出する代表作『ほったまるびより』(2015年)、言葉のかわりに花を吐く『Grand Bouquet』(2018年 第72回カンヌ国際映画祭監督週間短編部門)など、いずれもダンスのムーブメントを生かし、リズム感のある卓越した編集センスで高く評価されます。
 一度は映像の制作会社に就職しましたが、プロデューサーを育成している会社だったので、9カ月ぐらいで辞めました。ディレクターとして自分の作品をつくりたい思いが強かったからです。辞める前に山口情報芸術センター(YCAM)の10周年記念で行われたコンペティションに応募した作品『みづくろい』が優秀賞に選ばれて、少しですが賞金を貰えたので、勤めていた制作会社の上司にプロデューサーをお願いして『自転車乗りの少女』を撮りました。

 そして、早稲田大学で映画を研究してプロデューサーを目指していた友人が一緒に映画をつくろうと言ってくれたことが『ほったまるびより』に繋がりました。この作品は、インディーズの若手映画監督と音楽家を掛け合わせた音楽映画のコンペティション「MOOSIC LAB 2014」に参加するために撮影したものです。制作費は出ないけど、どんな仕上がりでも映画館での上映を保証してくれるというもので、映画館のお客さんに自分の作品を見てもらいたくてチャレンジしました。

 映画館の上映作品としてやるならひとりでは撮れない。スタッフや制作費を集めて、人を動かしながらやらなくちゃいけない。イメージの断片を繋いでいくいつものコラージュ的なつくり方では制作現場が崩壊するかもしれないと思いました。イメージのアイデアがいくらあっても、それを繋いで自分の中で腑に落ちる物語ができそうだと思っても、それを他の人にちゃんと伝えられるようにしなければいけない。

 それで紙芝居を描くことにしました。紙芝居を描きながら順序を入れ替えたり、カットしたり、シミュレーションしながら撮影や編集もしていく。でも140枚ぐらいある紙芝居をプロデューサーやスタッフに見せても、100パーセントは伝わらない。まあ、『トトロ』のメイちゃんみたいな女子衆がピョンピョン跳んでいるような絵だから、実写とはだいぶイメージが違いますが(笑)。とはいえ、文字でプロットを渡しても「何を撮ればこの時間が成立するのかわからない」と言われましたが、紙芝居にすれば「よくわからないけど面白そう」とは思ってもらえる。そうしてスタッフとイメージを共有し、撮影に臨みました。

ダンス×映像の現場

『ほったまるびより』の撮影プロセスはどのようなものだったのですか。
 撮影場所にした木造一軒家は、10年前まで人が住んでいて、生活していた時のままの状態をそのまま残した特別なハウススタジオです。なので、家具とか、本や子どもの絵とか、全てその家主の持ち物だったものです。予算が限られていたので、事前にしっかりリハーサルをして、この日までに脚本のここまでを撮るというスケジュールを決め、真っ当に映画の制作手法で進めました。

 出演したダンサー5人は大学の同期や後輩たちなので、身体の使い方の引き出しには私と同じものがたくさんあります。なので、振付は雰囲気とルールだけ決めて、自由に動いてもらいながらリズムをつくっていきました。設定を言葉で説明してわからなくても、「こういう感じ」と実際に動いてみせるとわかってくれます。

「ほったまる」という言葉は、「放っておくと溜まる」の略語です。“家”というものは住めば住むほど、住んでいる人の匂いや独自の家具の配置でカスタマイズされていきます。身体の延長線上というか、身体に適したものになり、時間を重ねるほどに匂いも溜まっていく。自分のおばあちゃんの家に行ったときにそう感じました。おばあちゃんが何かそういう溜まったものと共に生きている感じがして、人のパーソナリティではなく、タンパク質そのものが溜まるような表現にチャレンジしたいと思うところありました。そして、そういう何かが溜まったような家から出て、新しく“生まれる”ところを描きたくて、ずっとぬるま湯の湯船に浸かって立ち上がらなかった子が、水から上がって自分の足で地面に立ち、ステップを踏み始めるという描写が生まれました。
『ほったまるびより』は、ライブハウスやギャラリー空間で上映会と展示とライブパフォーマンスを組み合わせた形式で上演しています。
 長野の酒蔵で映像作品を展示したことがあり、その時にギャラリーツアーで作家が自作を説明する時間がありました。それで言葉で説明するより見てもらった方が伝わるかなと思って、太鼓のシーンを流しながら自分で実際に踊ってみせたらとても評判がよかった。こういう方法はもっと広げられるなと思ったのがそもそものきっかけです。

 それで、「ほったまるびより自家製4DX」と銘打ち、映像上映とパフォーマンスを組み合わせていろいろなところで上演しています。舞台上のスクリーンと客席の間に家の中のような美術のセットを設えて、お香を焚いて、空間が映像からリアルにグラデーション的に変わるように見せました。映像上映の同じシーンと重なるようにダンサーがパフォーマンスします。名古屋のギャラリーで上演したときには、スクリーンで水女が折檻されるシーンで本物の水を使いました。スクリーンから水が流れ落ちて、床に水が溜まると、家の中に水が浸食してきたように見えて、さらに水面に映像が鏡映しになって現実と虚像が混ざり合う──。ギャラリーのような空間で見せ方を変えることで、見る側の感じ方も変わり、もうひとつの物語ができる可能性があると思っています。

『ほったまるびより』(2015年)
監督:吉開菜央 出演:織田梨沙、柴田聡子、後藤ゆう、小暮香帆、菅彩香、矢吹唯 音楽:柴田聡子
(C) NaoYoshigai

コロナ禍の2021年には国際交流基金ニューデリー日本文化センターとインドのアタカラリ・センター・フォー・ムーヴメント・アーツ(以下、アタカラリ・センター)の国際共同制作に参加されました。インドで上演され、日本でも同時配信されたそうですが、どのようなプロジェクトだったのですか。
 そもそもは、インドに滞在し、日本とインドのダンサーがコラボレーションして作品をつくり、インドで上演するという企画だったそうです。しかし、コロナ禍で日本側のダンサーの鈴木竜さんがインドに行くことが難しくなりました。そこで鈴木さんの映像を撮影し、それをインドに送って、向こうのダンサーとデュエットできないかということになり、その映像作家として選んでいただきました。

 「鈴木竜という存在を映像でインドに送ってほしい」という難しい依頼でしたが、考えてみると良い課題だなと思いました。竜さんが踊っているダンスを撮影してインドで流してインドのダンサーがその映像の前で踊っても、インドのダンサーとのデュエットにはならない。竜さんには『ほったまるびより』のような身体のクローズアップで、身体のランドスケープを撮ってほしいと言われましたが、それだけでもやはり目に見える情報以上のものは伝わらないのではないかと思いました。もし竜さんが実際にインドに滞在していたら、相手のダンサーとお茶をしたり、無駄話しをしたりして、その人となりに触れながら作品をつくったに違いありません。それができない今だからこそ、竜さんがまずはどういう人なのかを知るために、私とお茶をしようというところからはじめました。

 ZOOMで話すとテキパキしてクレバーな印象だったのですが、会ってお茶をするとそこからこぼれ落ちていた竜さんの性格を知ることができました。彼は全てをオープンに見せてくれて、自宅でも撮影させてくれました。部屋にはぬいぐるみがたくさんあって、1つ1つに名前を付けている。でも、人形として大事にしているというのではなくて、長い間、自分の意識と一緒にいる存在として信頼しているんだそうです。身体は6カ月で(代謝により)入れ替わるけどぬいぐるみは違うから、自分の意識が持続していることを確かめるために置いているそうです。私もその感じは理解できる気がしたので、ぬいぐるみのドラえもんをキーにして竜さんを撮影することで、目の前にその肉体はなくても、観る側はより多層的に竜さんの存在を感じることができるだろうと思いました。結果的に、私がナレーションしながら竜さん自身を紹介するドキュメンタリーのような映像になりました。
ダンサー・鈴木竜の映像素材を想定していたら、完成度の高いドキュメンタリーになっていて、そのまま上映・配信されたそうですね。まさに、吉開さんの映像監督として力量、被写体の人間性を引き出す力量を示すエピソードだと思います。被写体のどういうところに惹き付けられるのですか。
 適切な表現かどうかはわかりませんが、自分の触手が動いてしまうのはやっぱり変な人や変なこと出会ったときですね。“変”というのは予期せぬものだったり、思いがけずに起こることだったり、そういうものに出会うとドキュメンタリーだなあと感じるんです。ダンスでもそういう踊りがしたいと思って、即興に拘っていたこともありました。

 人だけじゃなくて状況もそうですが、自分の問題意識と撮影対象がリンクすることがあります。たとえば昨年、写真家の石川直樹さんに「(知床半島の)斜里町で映画をつくらない?」と誘われて撮りに行きました。10月に公開される『Shari』という作品です。斜里は厳しい自然環境のもとにあって、動物と人間の住処をはっきりと分けることができない土地です。もともとは動物が住んでいた土地を人間が奪って町をつくっているのに、熊が山から降りてくれば、殺したくなくても殺さなければならないこともあります。土地の人たちはさまざまな問題のせめぎ合いの中で自然と向き合っていました。私がダンスや映像をつくる時も、どこまで人間じゃないものになれるか、境界を越えていけるか、というテーマをずっと意識してきたので、自分の問題意識と斜里が自然にリンクしました。ですから、『Shari』の映像に映っているすべてがダンスといえるかもしれません。

『Shari』(2021年)
写真家の石川直樹が知床の魅力を発掘・発信することを目的として地元の写真愛好家たちと斜里町でスタートした「写真ゼロ番地知床」が吉開菜央を招いて製作した映画。2019年から斜里町の自然、生活、そこで暮らす人々をリサーチ。吉開が人と獣の間のような「赤いやつ」に扮して自らナレーションしながら斜里を彷徨い、野生の風景や音を織り交ぜて、ドキュメンタリーとフィクションをコラージュした作品。
監督:吉開菜央
撮影:石川直樹 助監督:渡辺直樹 音楽:松本一哉 音響:北田雅也
出演:斜里町の人々、海、山、氷、赤いやつ
(C) NaoYoshigai

Shari

撮影:石川直樹

Shari

同世代の女性との仕事

同世代の女性とのクリエイションも多いですね。近年は映画祭や芸術祭などで、これまで男性中心的な価値観で評価されてきた傾向が変化し、女性の価値観や感覚をモチベーションとする作品に注目が集まっています。殊さら女性と言われることに抵抗があるかもしれませんが、女性の作家として実現しようとしていることはありますか。
 作品のテーマやモチベーションに関しては、どうして若い女性の身体ばかり撮るのか?とよく聞かれますが、正直なところ自分が女だからとしか答えようがないんですよね。ただ、同世代の女性とはやっぱり何かと縁があります。『ほったまるびより』に出演した大学の後輩の小暮香帆さんをはじめ、学生だった頃はみんな名も無き何かだったけど、お互いレベルアップして、一緒にやったら面白いと思えることが増えています。後輩のダンサー・後藤ゆうさん、写真家の黒田菜月さんとは「ホワイトレオターズ」というプロジェクトを楽しんでいます。ダンサーは身体を酷使するのでケアが欠かせないのですが、ダンサー向けというよりは、世の中のいろんな身体を持つ人々の健康を願って、インスタのアカウントをつくり、健康情報を無償で公開しています。まあ、ゆうちゃんのレオタード姿が撮りたいということもあるのですが(笑)。

 でも今、私が頑張らなきゃいけないのはやっぱり映画とも思っていて、昨年は監督した映像作品を集めた特集上映会「Dancing Films」を映画館でやりました。配給の方からは「こういう類の作品は集客が難しくて、映画祭では(創造性・実験性などの)意義を認めてくれるかもしれないけど、映画館にお客さんをちゃんと呼べるかどうかは本当にわからない」と言われました。ただそういった状況の中でも、男女に関わらず来場者の反応や感想を見ると、少しずつですが「こういう類」のものを面白がる時代になってきた感触はありました。というよりも、いまお客さんが映画館に求めるものが、よくできた「お話」よりも、唯一無二の「体験」を求めている感じがあり、そこにうまくハマったのかもしれないです。予想以上の反響があり、映画業界の人もダンス業界の人も、純粋に面白がって観てくれたという手応えはあります。
吉開さんの女性の身体性の捉え方は実験的ですが、多様な身体感覚のひとつとしてフラットに受け止められる時代が来ているような気がします。例えば『Grand Bouquet』では女性が言葉のかわり口から花を吐き出し、溢れ出る情動を暴力的に表現しています。過去のインタビューで映画『ファイト・クラブ』(デヴィッド・フィンチャー監督)や『マッドマックス』(ジョージ・ミラー監督)で描かれたような暴力性を撮りたいとも言われていますが、そこにはどういう願望があるのでしょうか。
『ファイト・クラブ』にはとても憧れています。すごく強く身体に入ってきて、しかもエンターテイメントとしてメチャクチャ楽しい。でもアクションものは男性監督の専売特許だと思われている。今まで男性にしか撮れなかった映画でも、本当は女性も大好きだし、あれくらい激しく感情に駆られて暴れるものをつくってみたいという思いがあります。でも、どうしても自分自身に体力や筋力がないから、『Grand Bouquet』のようになる。あれが私なりの『ファイト・クラブ』や『マッド・マックス』なんです。

 実は今、アジア人の中肉中背の女性の強さに注目しています。それこそビヨンセみたいな、強さではない強さ。そういう視点を持ったエンターテイメントはこれまでつくられてこなかったですし、アジア人女性である自分の身体の特異性みたいなものを生かせる作品が撮れたらいいなと思っています。

『Grand Bouquet』(2018年)
監督・脚本・編集:吉開菜央
出演:Hanna Chan
(C) NaoYoshigai

テキスト・フィクション・身体・内的情動

自分でナレーションをつける作品もありますが、映像作品で作り手の視点や身体感覚をテキストで伝えるということについてはどのように考えていますか。
 『ほったまるびより』のように極力言葉のない映画を撮りたいと思ってやってきて、音そのものを言葉の代わりに使うことは作家として板についてきたと思っています。でも『静坐社』(2017年。大正時代に流行した健康法「岡田式静坐法」を題材にした作品)などのドキュメンタリー性のあるものになると、どうしても説明しないとわからない民族誌的な背景があります。  新作の『Shari』が文字量としてはいちばん多いと思いますが、最初は斜里で暮らす人のインタビューの音声だけ入れて、ナレーションなしで映像のトリックで繋いで見せようと考えていました。でも、それだと部分部分は面白いけれど、全体を通してその面白さが何なのかわからないと指摘された。じゃあそこをフィクションにしちゃおうと、自分がナレーションして昔ばなし風のポエムのような言葉で語ってみたら、だんだん乗ってきて言葉が爆発しちゃった。そうして画と言葉の組み合わせをどんどん発見していったんです。言葉で説明されると、映っていることが決定づけられてしまうと恐れていたけど、そうではなかった。むしろ言葉も音も音楽も、使い方次第では映っているもののイメージを無限に拡げてくれることにようやく向き合えました。

 ダンスも同じで、その踊りに少し言葉をつけることで実はダンスの間口が広がるんじゃないかと思うようになってきました。今は面白くなるのならなんでもやっちゃえ(笑)、という気分です。
アニメ映画『新世紀エヴァアンゲリオン』も初音ミクのMVもそうですが、映像に言葉がのる表現が見る側にとっても当たり前になっていて、つくり手もひとりで部屋に籠もってパソコン一台で画も言葉も音もつくる時代になってきた。つくり手のセンスや美学の問題はありますが、吉開作品ではナレーションが呼吸するように自然なリズムを映像につくり出していて、見えている画とは違うレイヤーが加わっているように思います。
 確かに世代で言うと、ひとりで部屋に籠もってつくるド真ん中の世代かもしれません。
ひとりで妄想やファンタジーの世界に没入して、現実世界ではできないことをITによって容易に具現化できるような時代ですが、吉開さんにとってフィクションを作り出す創作の魅力とはどこにあるのでしょう。
 芸大の授業で宝塚の演劇を見せられたときのことを思い出しました。私は宝塚が苦手で、嘘っぽくて受け入れられないと先生に言ったら、「この嘘をやるからこそ捕まえられる本物があるでしょ」と言われた。当時はそんな考え方が理解できなかったけど、相米慎二監督の映画を見た時に納得しました。相米監督の作品では、演出が過剰とも言えるようなシーンがよく出てきます。嘘が嘘として伝わるような画をつくることによって、そんなありえない演出を思いついてしまった人間がいたということ、どうしてもその嘘を映画として現存させたい人間がいたということに気づいたとき、映画って本当に素晴らしいと思いました。

 人間の想像力でフィクションをつくり、大のおとなが真剣にその嘘っぱちをやる映画の面白さは、『ほったまるびより』の制作中にも感じたことでした。古い家に溜まった匂いをお風呂に溶かして、それが記憶になって家から出ていくーーみたいなことを真剣に出演者に話しながら、まるで新興宗教みたいだけど、それが映画の世界では現実になるんだなと思いました。その圧倒的な嘘が、ときには観る人のちょっとした身体の感覚に繋がったりもする‥‥。

『ほったまるびより』を見た青森県のおじさんが、「棺桶に入る前にこの光景を思い出すだろう」って言ってくれたんです。私とは全く違う身体性を持った、農作業で筋骨隆々の強い男性に、私の身体感覚が伝わることがあるんだと思いました。シルヴィ・ギエムとかイスラエル・ガルバンとかビヨンセとか柿崎麻莉子さんみたいな圧倒的な身体を持ったダンサーではない私の身体感覚が、フィクションを介して意外な人に共有されていくことがあるのを実感しました。

 最近、大学で教えているのですが、学生が自分の身体に向き合う作業として、自分の身体を触ったり映したり言葉で描写してみたりする授業をしています。どんなに普通の身体であっても、その身体からしか生まれようのない考えや言葉というものが絶対にあって、平凡に収まるものはひとつもない。上手い見せ方があればその身体が突出して見えるんです。ブラッド・ピットみたいな身体を持たない私が、その辺にあるようなものを撮って、それでも面白くなるエンターテイメントが必ずあると思っています。
吉開さんの創作のモチベーションが、世界中の多数の人に共有されうる歴史や物語ではなく、個人の感覚から外の世界を見ようとする視点を入り口にしていることに信頼を置いています。過去の女性のアーティストには自身の感覚を過信し、そのまま内臓ごと吐き出すような表現も多かったように思います。吉開作品には自分の感覚を通して世界を微細に観察するような距離感、客観性があって、激しい表現でも露悪的にならないように思います。
 今、話しながら気づいたのですが、私にはあまり“自分”というものがないんです。  山口の田舎で生まれて、B’zが好きで踊りを始めて、すごい血筋の生まれでもないし、小さい頃から芸術に親むように育てられたというわけでもない。ただ物心ついた頃から毎日、母親に絵本を音読してもらっていました。自分の紙芝居の原点はそこにあるかもしれませんが‥‥。それで、世の中に出てからいろいろな変わった面白い人たちに出会って、「こういう考え方があるんだ」とチョコチョコつまみ食いしながら、自分でも少しずつ挑戦していった。極々普通の人間で、持って生まれたものといえばちょっと編集が上手いってことくらいかもしれない。だから、正直なところ「絶対にこれじゃなきゃいけない」ってことはない。やりたいことができるなら映像でもダンスでもいいし、面白いことができそうなら音楽も言葉も使いたいし、商業映画だってやりたい。

 ただ、自分自身の実感から繋がったところに面白味を見出していることは確かです。どんなに今の世界でこの問題が重要だといわれたとしても、自分の実感とあまりにもかけ離れたものはテーマとして扱えないし、危機感を持てない。とはいえ、映像を編集している時に、内側の目と外側の目が一緒になってつくり上げている感じがあって、それを辿っていくとどうしても世界と繋がらざるをえないんです。
自分の身体や情動を“フィルター”にして、あるときはフィクションに、あるときはドキュメンタリーにする。「最強の」透明な存在にすらなれるという創作姿勢や、拘りのない実験精神が吉開さんの世界を際立たせているというのがよくわかりました。苛烈な現実を生きる私たちにとって、リアルな身体だけでもう世界は受け止めきれなくなっていて、これからますます映像というメディアは存在感を高めていくと思います。ますますのご活躍を期待しています。今日は長時間どうもありがとうございました。