『AとBと一人の女』
初演 1961年
AとBのふたりの男が、モノローグじみた長いセリフを交互にしゃべりながら、お互いの間に生じる、根拠のない蔑みと引け目の葛藤を描く作品。AはBにハゲがあり足も不自由だと指摘する。Bは自分は頭も悪く居候までしていると卑屈に淫するが、正面切って罵倒してくれないとAに迫り、殺してほしいと哀願する。が、やがて会話はAこそ足が悪いのかもしれないといった方向に進むことで、ふたりの憎悪関係は逆転し、BがAを殺してしまう。
『マッチ売りの少女』
初演1966年
典型的な小市民的老夫婦の家庭に、ある夜、女が尋ねてくる。女はかつて街角でマッチを売っては、火の灯っているあいだスカートの裾をあげて見せていた。そうするように教えたのはあなたですね、お父さん、と男に迫る。もちろん男には覚えがない。女は、弟や子供たちまで招き入れ、さらに深く夫婦の日常を侵犯しようとする。戦争にまつわる悲惨で後ろ暗い過去を「なかったこと」にして生きる「戦後の良識」に、激しい否を突きつけた作品。
『象』
初演1962年
原爆で背中に負ったケロイドを、町中で見せびらかし、町の人々から拍手喝采を得たいと奇妙な情熱を抱く病人。彼を引き止め、人々はもう我々被爆者を愛しも憎みも嫌がりもしないんだ、ただとめどなく優しいだけなんだ、だからひっそり我慢することしかしてはいけないと説得する甥。ふたりの心の行き違いから、原爆病者の陥った閉塞状況を、ひいては人間全般の抱える存在の不安を、静けさの張りつめた筆致で描いた作品。
『アイ・アム・アリス』
初演1970年
共和制と王政の混在する国で、ある日アリスは叛乱の名目によって、王国からと政府から二重の形で追放される。追放されたアリスは、もう一度自分をアリスとして発見することで、「アリスであるもの」となり、世界に向けて「アイ・アム・アリス」の電報を発信する。管理社会の中での(芸術家の)アイデンティティは、一度名前を捨て去り、新たに自分であることを発見しない限り確立できないことを、寓話じみたスタイルで描いた作品。
『数字で書かれた物語〜「死なう團」顛末記』
初演1974年
「餓死殉教の行」と大書された額のもとにあつまった7人の男女。死ぬことを目的として籠城したかれらは、そのための時間を7人で過ごさなければならない。小さな話はやがて大きくなり、ただの遊びは命がけになって……。「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……」無限に数字を数え、はっきりしないまま目的へと向かう。
文学座アトリエの会「別役実のいる宇宙─新旧書下ろし連続上演」
『数字で書かれた物語〜「死なう團」顛末記』
(2007年6月15日〜7月5日/文学座アトリエ)
演出:高瀬久男
撮影:飯田研紀
『にしむくさむらい』
初演1977年
二組の夫婦とひとりの乞食の物語。ある日ふと会社に行かなくなった夫たちは、発明家になるなどとうそぶきながら、すべてにつけそのままズルズルと、何も決定しないまま時をやり過ごそうとしている。妻たちは、夫のはっきりした決意を聞きたいと迫るものの、うやむやになし崩しされ、他にどうしようもないからといって、夫の発明した「乞食を獲る」殺人装置を作動させる。
『やってきたゴドー』
初演2007年
サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」の設定を借りた後日譚。ウラジーミルとエストラゴンの待っていたゴドーが、ある日とうとうやってくる。しかしふたりには、ゴドーのやってきたのを「認識すること」はできるのだが、内実のある出来事として「体験すること」ができない。
木山事務所公演『やってきたゴドー』
(2007年3月24日〜31日/俳優座劇場)
作:別役実
演出:末木利文
撮影:鶴田照夫
『犬が西むきゃ尾は東〜「にしむくさむらい」後日譚』
初演2007年
とめどもなく続く電信柱。そこに五人の老いた男女が、つかず離れず流れてゆく。何故かはわからないまま、どうしてもそちらへ行かなければならないのである。それぞれ、病気か故障を持っており、道中はままならない。しかもその五人は、或る過去を共有しているようなのであるが、思い出は錯綜し、それに従って関係も混乱する……。『にしむくさむらい』の続編ともいえる作品。
文学座アトリエの会「別役実のいる宇宙─新旧書下ろし連続上演」
『犬が西むきゃ尾は東〜「にしむくさむらい」後日譚』
(2007年6月15日〜7月5日/文学座アトリエ)
演出:藤原新平
撮影:飯田研紀