八木美知依

点と線をつなぐ独創的な箏の世界 箏演奏家・八木美知依

2006.07.06
八木美知依

八木美知依Michiyo Yagi

愛知県常滑市生まれ。箏演奏家。倉内里仁、故沢井忠夫、沢井一恵に師事。1980年代後半から演奏活動を始める。米国ウェスリアン大学客員講師に赴任中、ジョン・ゾーンら現代音楽の演奏を手掛けたのが、後の活動に大きな影響を与えた。2005年10月、十七弦箏の全自作自演のCD「Seventeen」をリリースした。夫君でプロデューサーのマーク・ラパポート氏によれば、「箏は100年後には消滅しているかも知れない、という危機感を持ちながら、自分の音楽をやる事の大切さを考えているようだ。これまでいろいろなことをやってきて、そろそろまとめる時期にある」。2006年7月から来年にかけて3〜4枚のCDがリリースされる予定だ。

http://www.japanimprov.com/myagi/myagij/

きゃしゃな肉体が、ダイナミックな音を奏でる。箏演奏家・八木美知依の箏は強く、しなやかに聴衆の肉体を震わせる。日本の代表的な伝統楽器「箏」は、明治時代に西洋音楽が流入して以来、時代に即した変革を演奏家たちが模索してきた。洋楽の要素を取り入れた作品や十三弦の箏では実現できない低音を補うための十七弦や二十弦の開発。そうした革新の流れの最先端に今、八木は立つ。古典、現代音楽、ロック、ポップス、ジャズ、即興、多彩な共演の一方で自ら作曲を手がけるなど独自の世界を構築している。
聞き手:奈良部和美
八木さんの演奏は私の中にあった「伝統楽器」という言葉で括られる箏のイメージを変えました。ダイナミックで、民族や楽器の違いも音楽のジャンルも軽々と超える。そもそも箏とはどんな出合いだったのでしょう。
母がいわゆる町の師匠で、箏を教えていました。箏が身近にあったことが最初のきっかけですから、それについてとても感謝しています。しかし子どもの頃は母は特殊な音楽をやっているのだと思っていました。学校に入ると音楽の時間に習うのは西洋の七音階。日本の音楽の基礎となる五音階は習わないでしょう。音楽の教科書に宮城道雄作曲の『春の海』が載っていても、先生は「ここはあまり重要ではありません」と飛ばしてしまう。世の中で必要のない音楽だ、というのは子ども心にコンプレックスを植え付けましたね。ですから、箏はなるべく避けたい楽器だと思っていました。
それでも、母のお弟子さんたちの発表会の時は、私も直前に1、2日でワーッと練習して『さくら』など弾いていました。でも、これがいけないんです。ちょっと練習すれば出来る音楽だと思ってしまって。その頃は例えばミとファの音の間に、さまざまなニュアンスの違いや面白みがあることなどわかりませんから、調弦さえ出来ていれば簡単に出来る音楽だと思っていました。それがまた、嫌いになる原因になっていました。
ただ、母は私を音楽家にしたかったようで、5歳ぐらいからピアノを毎日2時間はつきっきりで練習させられました。それに比べると当時は箏はあまりやっていませんでしたね。母から習い始めたのは4歳ごろだったと思いますが、それぐらいから調絃も自分で考え、テレビやレコードで聞いたアニメ番組のテーマ曲や『田園』など有名なクラシック曲を弾いたり、聞いた音楽を箏で再現するのは最も好きな遊びのひとつでした。
避けたい音楽が、一生の音楽に転換したきっかけは何ですか。
高校生の時にNHK・FMの「現代音楽の時間」を聞いていたら、菊地悌子さんの弾く助川敏弥先生作曲の『独奏十七弦のための第一章』が流れてきたんです。その頃の自分の技術は非常に未熟でしたが、この曲は弾きたいと思ったのですね。今まで聴いていた世界とは違い、とても新鮮に感じました。
ようやく箏を習おうという気持ちが起きたわけですが、母はちゃんと習うには技術もさることながら、親子では甘えが出て駄目だと判断したようで、沢井忠夫先生の内弟子であった倉内里仁先生のところへ入門することになりました。ところが、稽古を始めて1年目に倉内先生の出産を機に、月に1回、東京の沢井先生の稽古場に通えるように取り計らってくれました。そこで、すごいカルチャーショックを受けたのです。
沢井忠夫さんは箏の世界で革新的な仕事をされた方ですね。優れた演奏家であると同時に優れた作曲家でもあった。現代に生きる箏曲を目指して実験的な試みをし、現代音楽に新しい境地を開きましたし、演奏家の一恵夫人と後進を育てるために沢井箏曲院をつくりました。精力的に仕事をされている真っ最中に、八木さんは稽古に行かれたわけですね。しかもとても感受性の鋭い十代に。
先生の弾かれる箏のドライブ感に感動し、箏曲にこんなにドライブする音楽があるんだと知りました。子どもの頃に感じた古くさい印象の楽器がぐっと自分の中心に入り込んでくる感覚を覚えました。そのうち奥様である一恵先生が「うちで暮らして勉強しない?」とおっしゃってくださいました。それが内弟子です。入ってからは無我夢中の日々で、あっという間の2年間でした。
最近は内弟子といっても、24時間先生と行動を共にするのではなく、自宅から通って先生の身の回りのお世話をしたり、稽古を見てもらうことが多いようですが、八木さんの内弟子生活はどんな毎日でしたか。
実を言えば、「内弟子に入らない?」と一恵先生からお誘いを受けたときは、内弟子の意味がわからなかったんです。先生と一緒に暮らすってことは、先生のお話がたくさん聞けて、演奏も聴けて、お食事も一緒っていうくらいの認識だったんですね。入ってみると、食事は当然のことながら私たち内弟子が作るんですよね(笑)。お客さんの数がすごく多くて、その当時は毎晩10人以上の食事を作りました。
楽器の準備や先生の身の回りのことなど、やることが山のようにあって、やっと夜中の12時過ぎに自分の時間が出来て稽古をするんですが、もう眠くて。私は一番下手っぴなわけです。心優しい先輩に助けられて、先輩が寝ている隣で練習したこともあります。
内弟子だからこそ学べたことがあると思うのですが。
先生ご自身がコンサートやレッスンでとても忙しいので、内弟子の稽古を見てくださる時間はあまりありませんでした。ですから、人のレッスンを聴く、先生の練習を聴く、先生の楽屋での立ち振る舞いを見る、または食材をおいしく芸術的に料理するなど、要は技術などの外郭から物事を習得するというより、箏曲家としての内郭を主に学ぶ場所だったと思っています。その時に培ったものは現在にすべて生かされていると思っています。具体的に、例えば箏に向かう精神性、自分で自分の音楽の場所をつくることの大切さを学びました。
箏における自分の場所探しが始まるわけですね。
ええ。それは今も続いています。最初に大きなヒントを得たのは、1989年に一恵先生のバックを務めるためにニューヨークの「Bang on a Can Festival」に参加した時です。ジョン・ケージの新作が演奏されたのですが、大きなものから小さなものまでブリキ板が会場に並んでいて、マッチョな男が叩く。リズムが交錯したり、同時に鳴ったりして会場中が音のうねりに呑み込まれたようになったんです。そんな現代音楽の巨匠の新作を、音楽の専門家も、会場の近所の人も一緒に聴いている。音楽がエンターテインメントとして成立している光景に驚きました。箏を続けていくなら、こうしたジャンルに捕われない音楽を目指したい、と思うようになりました。その当時、既存の曲を練習していても、私ならこうするというアイデアも豊富にありましたし、難しいことかもしれませんが、もしかしたら自分自身の音楽をつくっていくほうが私には向いているのではないかと思い始めた頃でした。
その2年後にケージが民族音楽科を設立した米国のウェスリアン大学に客員講師として箏曲を教えに行くことになりました。これがまた、カルチャーショックで。大学には4つのホールがあって、毎週土曜、日曜に学生が自分の新作を発表していましたね。しかも、フィルムと音楽のコラボレーションであるとか、音楽の領域を超えた作品が数多くあり、それが特別な公演ではなく、日常の発表の延長上にあることを知って刺激を受けました。いかに芸術にとって創造が重要であるかを知ったのです。1年間の教授活動のうち、徐々に新作の演奏の依頼が来るようになり、クリスチャン・ウルフやジョン・ゾーンの曲を弾いたり、さまざまな音楽の情報も入ってくるようになりました。やっとこの地に慣れた証拠でもあり、毎日が楽しく、閉鎖的な日本に帰りたくない気持ちもあったのですが、一方で、箏の基本である古典をしっかり勉強しないまま米国に残り、30歳ぐらいになって帰国して果たして日本でソリストとして通用するのか……。それでともかく一度日本に戻って、一からやり直そうと思いました。
当時の箏曲界では、「自分で自分の音楽を作る」という八木さんの考えは異色だったのではありませんか。
同じ世代で同じ様な考えを持った人は人はいなかったですし、やる人もいませんでした。クロノス・カルテットがブレークしていた頃に意気投合した女性4人で箏のカルテットをやっていましたが、それはクロノスと同様で委嘱あっての新しい音楽でした。現在はKokooのほか、4つのバンドで活動していますが、各々自分自身の音楽観を反映させられるのでバンド活動としては充実しています。ただ、それらは自作ソロで訴える力あっての活動だと思っているので、今後もソロ演奏を大切にしていきたいと思っています。
箏は、他の西洋楽器とのセッションの中で、ソロを取るにしても伴奏を取るにしても、尺八や三味線に比べて音域がとても中途半端なんですね。また同じ發弦楽器とはいえ、ギターやピアノのような演奏スタイルを模倣してしまうと、箏という楽器の欠点しか前に出て来ない。箏であるからこのようなことができる、このような良さがある、というように視点を変えて演奏しないと楽器としての不完全さだけが印象に残ってしまうのです。そして和楽器すべてに共通するピッチの問題。
箏は通常、演奏していくうちにピッチが下がっていきます。コンサート中であれば照明の熱や湿度で絃が微妙に伸びてピッチが下がっていきます。これも西洋楽器との共演が多い私には注意すべき点で、柱を調整してピッチを上げるのか、下がったまま演奏し続けるか(実はブルースなどはミとファの間が狭いままのほうが結果として良い場合も多々あります)、または押し手でニュアンスを変えるか、瞬時に選択を迫られます。
しかし、ソロで自分の音楽を表現する場合、これらこの楽器の不完全さが何一つマイナス要因にならないのです。すべてを肯定の上で成り立つ自作曲は、今後も活動の基盤になると思います。
もう一つの魅力は、一見、一辺倒のイメージで感じてしまう箏の音色ですが、実は多種多彩だということです。ProToolsで実験したことがありますが、その日の天気、湿度や室温によって波形がかなり違います。自然現象と密接な関係をもつ面白い楽器なんです。また、それだけでなく、演奏者によって全く波形が異なるのです。爪の当て方、角度、その人の指の形、骨の質までが音に作用していると思います。そして箏はオープンチューニング。柱を動かすことにより、自分だけの調絃をつくることが可能です。基本的な日本の五音階でも自分の好きなニュアンスをつくることができるのです。つまり音の成分調絃からすでに自分の音楽を反映できる魅力的な楽器なんです。
音楽評論家の湯浅学氏が私の「Seventeen」というアルバムのプログラムノートの中で、「八木美知依の箏の中に住まう猛者たちの細胞の多種多彩さに驚く。その細胞たちは絃の響きを食って育っては夜毎悪さを練っているのだ。このアルバムの中で、大中小と青いの白いの赤いのと鬼が笑っているのはそのためである」と書いてくださいましたが、鬼が宿ってしまい、それが成せる技もこの楽器だからだと思っているのですね。
そうは言っても、邦楽器以外の演奏家や海外の演奏家と共演する時はピッチが不安定だったり、音量が小さかったり問題があるのではありませんか。
音量はエレクトリック箏を作ってからは、どんな状況にも対応できるようになりました。
それで、今日、突然出会った人と音楽でコミュニケートする即興がとても面白いと感じています。20分ぐらいのリハーサルで、だいたいのチューニングを考えて本番に立つ。どんな環境で育ち、どんな音楽を聴き、どんな教育を受けたからこういう音楽をしているのかなど、短いサウンドチェックの中でどんな人かなあということを考え、本番の音楽をつくっていくことはとても面白いです。
特に海外の音楽家は、来日すると邦楽器との共演を希望する人が多く、私も即興でのセッションをすることがよくあります。その時、先ほど申し上げた箏としての特長、例えばピッチがどんどん下がっていくということは、良い意味での予想外の緊張感を構築することがあります。そのようなことも含め、箏という楽器の背景を全く知らない海外の音楽家とのコラボレーションは、楽器の構造を超越した上で、音楽的または演奏上のさまざまなプレッシャーをかけられるので、私にとってはそれが最大の魅力と感じています。
最近は古典の演奏も多いようですが、自分の場所探しはどこに向かっているのでしょうか。
7年ほど前に三味線で地歌の『雪』を演奏するお仕事を頂いた折に、参考までにいろいろな演奏を聴いてみたのですが、楽譜以上のものが出てこなくて、演奏がまるでひとつの作法のようでしかない。どう弾くべきか考えが煮詰まっていた時に、人間国宝だった菊原初子さんの演奏をビデオで見たんです。同じ『雪』なのに全く違う。どうしてこんなに違う曲なんだろうと思って、演奏している姿をようく見て気付いたんです。仙骨、脊柱のいちばん下の三角形の骨ですけれど、それを倒して、むかしのおばあさんみたいにぺちゃんと座って弾いているんです。帯も胸高に締めなくて、襟もゆったりとしてリラックスして弾いているんですね。だからさまざまな曲想が出てきて、いろいろなニュアンスが生まれるのではないか。ここに古典の道があるのではないかと思いました。古典では普通に爪のノイズを出すんですが、弦の縒りを見ながら爪を立てたり寝かせたり、ノイズの量をコントロールする。それぐらいリラックスした姿勢だと、風のような音も箏で再現できることに気付きました。
古典、現代曲、即興などいろいろやってきましたが、理想を言えば、自分がジャンルという風になれたらいいなと思います。即興を聴いても、古典を聴いても、そこから私というジャンルが聴こえてくる。最低限それだけの演奏をするようになるのが理想です。今年の春、ワシントンのスミソニアン博物館でたまたま葛飾北斎展を見ました。美人画を見た時に、デザインに無駄がなくて、背景はずいぶん遠くだけれど鮮明で、1枚の絵のどの部分を見ても楽しめる。音楽でそうしたものを作れたらいいなと思いました。さらに欲を言えば、永遠のテーマは日本の合戦絵巻のような作品を作ることです。横にストーリーという時間の経過がある。しかしどの部分を切り取って聴いても音型、音質がデザインとして洗練されている。そういった音楽をソロで創造していこうと思っています。

八木美知依「SEVENTEEN」
(ジパング/ZIP-0019)