国際交流基金 The Japan Foundation Performing Arts Network Japan

Artist Interview アーティストインタビュー

2005.12.28
能の音楽から現代へ羽ばたく 革新者・一噌幸弘に聞く

From the Noh stage to the contemporary music scene
Talking to innovator Yukihiro Isso

music

能の音楽から現代へ羽ばたく
革新者・一噌幸弘に聞く

ユネスコの「世界文化遺産の傑作」に登録された能は、中世・室町時代に世阿弥が舞台芸術として大成した音楽劇だ。3種の打楽器に能管と呼ばれる横笛で構成する「囃子」と、詞章を謡う「地謡」に乗り、登場人物が舞い、謡う。一噌幸弘は16世紀から代々、能の音楽を担う囃子方笛方(はやしかたふえかた)を務める家に生まれた。父から子へ、技は何百年と連綿と継承されてきた。音楽家の家の歴史は時に、優れた革新者を育む。世界の多彩な音楽を聞くことが可能になった現代に生を受け、一噌幸弘は継承した古典の技を土台に独自の音楽を生み出している。
聞き手:奈良部和美

日本の伝統芸能は上達を願って6歳の6月6日に稽古を始めると言いますが、一噌さんが笛の稽古を始めたのは何歳でしたか。
8歳か9歳、7歳ではないのは確かです。笛は指孔(ゆびあな)を抑えて音をつくるので、ある程度年がいかないと稽古は無理なんです。7歳だとまだ手が小さくて、指孔をちゃんと押さえられませんから。
代々、能楽の囃子方笛方を務める家に生まれたわけですが、長男は必ずお父様の跡を継ぐものですか。
ええ、だいたいそういうことになっています。僕の場合は「幾つになったら稽古を始めるぞ」と父に言われたわけではなく、何となく気が付いたら笛を吹き出していたという感じです。というのも、父が毎日のように稽古をしますし、父のお弟子さんが稽古に来る。家の中は笛の音が絶えず響いています。手を伸ばせば笛がある環境ですから、小さい頃からいじっていて、これは面白いと思った。どうやって鳴らすのかとても興味があって、僕の方から「ちょっと教えて」と言ったような気がします。面白いと思いませんか? 竹に孔が開いているだけの単純なものなのに、技術を駆使すれば何でもできてしまう。様々な音が出せて、いろんな旋律が奏でられるんですから。どちらからともなく自然発生的に稽古をする状態になりました。
ただ、笛の構え方は教えてもらったと思いますが、テクニックは教えてもらったことはないですね。日本の伝統音楽の教授法は西洋音楽のようなメソッドを確立していませんから、教わるのではなく、父の指遣いを見て覚えたと言ったほうがいいと思います。毎日近くで笛が鳴っているので、小さい頃から音程や音色の良し悪しは何となくわかるようになっていました。
能管は非常にたくさんの息が必要な楽器です。笛にどう息を吹き込むか、唇の形や歌口(うたくち 吹き口)に唇を当てる角度を工夫する。ポイントに当たれば少ない息で大きな、いい音が出せます。ほかの人の演奏を聞いて無駄に息を使っている、あんな吹き方じゃ駄目だなんて思っていましたから、生意気なガキですよね(笑)
能の曲数は大変多いと思いますが、一噌さんは聞いて覚えたということですか。
能はだいたい、250番ほどありますが、囃子はいろんなバリエーションがあって、同じ曲でも一小節だけ違ったり、相手をする流儀によって変えるものがあったり、曲の数は無限といえます。僕は一度聞けば能の曲は覚えちゃいます。舞台の袖や稽古で人の演奏を聞いて、吹いてみる。笛方は『道成寺(どうじょうじ)』『石橋(しゃっきょう)』『乱(みだれ)』『翁(おきな)』の4曲をひらいたら(習得したら)一人前になった免許をもらいます。『乱』は父に習いましたが、あとは舞台に来なさいと言われて、袖から見て覚えました。
特に「指し指(さしゆび)」という装飾音を演奏する指遣いを教えてもらったことはないですね。父に限らず笛方は皆、独自の「指し指」をもっていて、それは譜面にも書かれていない。自分で工夫するものです。指し指が入ると音が華麗に聞こえて格好いい。習い始めてすぐ指し指をやり出したら、父に「やめろ。若いうちは指し指を使わずにストレートでやれ」と言われましたけど、守りませんでした。人間の指の神経機能は25歳がピークといわれているんです。細かい装飾音をつくる指遣いができるようになるには、若いうちからやってないと絶対指は動かない。
能管の製作工程を見たことがありますが、竹を幾つかに割って外側の硬い部分を内側にして、糸状の樺(かば=桜の樹皮)や籐を巻く。能舞台に霊魂を呼び降ろすようなヒューと響く硬質な音の秘密は、この構造にあるのだと思いました。
どうしてわざわざこんな作り方をするのかと思いますよね。しかも、能管は1本の竹筒じゃなくて、歌口と7つの指孔の間に「のど」と呼ぶ細い竹を入れて内径を狭くする。横笛は同じ指孔を押さえて、吹き方の強弱で低い音とオクターブ上の音を出すことができるんですが、能管は「のど」があるためにオクターブに上がりきらない。しかも能管は一管一管音程が違うし、吹き方によっても音程が違ってしまいます。音程がアバウトで、西洋の笛のようにきっちりと決まっているわけではない。よく日本の伝統楽器はドレミに合ってないというけど、ドレミに合わないっていうのは結局、平均律に合っていないという意味ですよね。でも、平均律に合わない民族楽器はいくらでも世界中にあって、バロック音楽だって平均律で演奏していないんですよ。
バロック音楽の話が出ましたが、能管や篠笛(しのぶえ)など日本の笛で、バロックやロックに挑戦していますし、作曲もする。こうした能の世界からはみ出す活動はいつ頃からですか。
能管は「四拍子(しびょうし)」といわれる大鼓(おおかわ)、小鼓(こつづみ)、太鼓(たいこ)としか演奏しないわけです。小学校でリコーダーを習うと、リコーダーはバイオリンとかチェンバロとかいろんな楽器とアンサンブルをする。能管もほかの楽器と合奏できたらいいなと思うようになりました。でも、音程があいまいな能管は相手の楽器に合わせられない。古典の技術だけでは絶対不可能です。それなら自分で音程をつくっていけばいい。唇の当て方やリコーダーの奏法をヒントに指遣いを工夫したら、音程をコントロールできるようになりました。中学校の終わり頃からジャズやロックを聞くようになって、指し指の技法も使えると思った。世界中の笛を吹いてみたいと思うようになりました。高校時代には友だちとギターやベース、ドラム、キーボードに能管のバンドを組んで、ライブハウスに出るようになりました。同時にバロック音楽もやっていて、バッハやテレマンを吹いていました。いろんな音楽を聞いて、興味がどんどん広がって、自分独自の音楽がしたい、笛が主役になる音楽をやりたいと思って作曲も始めました。最初に作った曲はボツにしちゃったけど。
1人の人が両立しないような業を幾つも兼ねることを「二足のわらじを履く」と言いますけれど、一噌さんは何足も履いている感じですね。
それは違うなあ。僕は全部で一足だと思っています。フラメンコギターのパコ・デ・ルシアさんはフラメンコの伴奏もするけど、ギター自体を主役にして表舞台に出した人ですよね。いろんなジャンルの人とコラボレーションもする。僕はパコさんと同じ方向を目指しているんです。古典を離れず、クラシックもやるし、現代音楽もやる。そういう感覚です。古典芸能もそういうことをやってできてきたものだと思うんです。能が生まれた時は前衛だったんですから。古典の能管は楽器の可能性の10%も使っていないと思います。僕が音程を取るために習得した技術を能で使えば、笛の存在感がもっと出て、能全体がもっと華やいだ感じになる。実際に僕は古典の舞台でいろいろやっています。やり過ぎると、技術に走っているとか言われますけど。まだまだ、やれることはたくさんあるんです。
古典以外の活動が多くなると、批判にさらされませんか。
父が心配していましたね。父は2004年の暮れに亡くなりました。最後には、稽古場に僕のコンサートのポスターを貼ってくれるようになりましたが、僕のやっていることを応援していたかというと謎ですね。数年前になりますが、唇がマヒして1年半ほど横笛が吹けなかったことがあります。吹き口をくわえるリコーダーは吹けるんですが、横笛は唇で息を調節して音をつくるので唇がマヒすると吹けません。その時は、能の世界は窮屈なので、治らなかったら縦笛でやっていこうかなと思っていました。マヒが取れて活動を再開したら、喜んでくれる人が能の世界にいっぱいいて、本当にありがたいと思いましたし、自分にとって能管が重要なものだという事実を突き付けられました。
復帰後、活動領域は広がる一方ですね。複数のバンドを主宰し、楽器も開発する。
これだ、こういう構成でこういう音楽だ、どうしてもやりたいっていう気持ちが出てきて、ドラムとエレクトリックギターと能管だったり、ギターとタブラーと能管だったり、バンドを組んでいったら同時に4つもやることになった(笑)。楽器や演奏家が違えば、同じ曲でも違う曲になる。いろんな発見があるんです。楽器を作るのも作曲したり演奏したりする時に、こんな音が欲しい、あんな音があったらというのがきっかけで、僕の考えを笛にしてくれる製作者の蘭情(らんじょう)さんに出会って実現しました。低音ばかり使う曲を書いた時は、「呂笛(りょぶえ)」を作りました。呂というのは日本の音楽では低い音域のことです。音程を取りやすくするために「のど」がない能管も作りました。古典だけやっていれば、能の笛方は一生に1本か2本の能管しか使いませんが、僕は能でも曲によって柔らかな音がするもの、硬い音のものと能管を使い分けます。この間数えたら、リコーダーや角笛も加えて500本ほど持っていました。
笛の数だけやりたい音楽があるということですか。
やりたいことは無限です。もちろん、古典は完成された素晴らしいもので、古典を究めていくつもりです。四拍子の中で笛が横線とすると、大鼓や小鼓、太鼓は点。点と横線がどういうタイミングで絡んでいくか、指し指の使い方次第でいろんな変化が起きる。古典でも常に発見があるんです。新作能もやろうと思っています。話を能の形式に当てはめれば、何でも新作能になってしまう。それは替え歌と同じですよね。音楽は四拍子を考えてますが、これまでの新作能とは違う完全に新しいものにするつもりです。僕は音楽家ですから戯曲は書けない。僕の作った曲から戯曲を膨らませて書いてもらう、そういう手順でやってみようと思っています。
能以外では、フランク・ザッパのバンドにいたスティーブ・ヴァイさんと共演してみたいなあ。超絶技巧で変幻自在、すっごいギタリストです。ジョン・マクラフリンさんとも共演したい。ギターが好きで弾くんですが、ギターは笛と違って減衰音ですよね。エレクトリックギターは音に伸びがあって、重音も出る。僕の曲はかなり運動性のあるものが多いから、スピード感のあるギタリストとやるとすごく面白くなると思う。即興演奏のパターンが無限なのと同じで、やりたいことは本当に無限です。
Profile

1964年生まれ。能楽囃子方一噌流笛方。父一噌幸政に能管の手ほどきを受ける。9歳で初舞台。中学時代から様々なジャンルの音楽を聞き、リコーダー、フルート、ピアノなど様々な楽器を習得。古典の舞台を務めるとともに、高校時代からバンド活動を始め、ロック、ジャズなど多彩な分野の内外のミュージシャンと共演。1991年から自作曲を中心に聞かせるコンサート「ヲヒヤリ」を主宰。2006年2月にはオーケストラと能管のための自作曲『組曲 笛ファンタジア』の初演が決まっている。
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