渡辺弘/菅原直樹

渡辺弘/菅原直樹

高齢者演劇先進国のこれまでとこれから―地方都市から発信を続けるエキスパートたち

Ⓒ 冨岡菜々子

2025.01.10
渡辺弘

Ⓒ 冨岡菜々子

渡辺弘Hiroshi Watanabe

1953年、栃木県生まれ。情報誌「シティロード」の編集などを経て1984年に銀座セゾン劇場の開業準備、1987年より制作業務(~1988)。1989年に複合施設Bunkamura開業に携わり、同施設内シアターコクーンの運営や演劇制作を行う(~2003)。2003年4月より長野・まつもと市民芸術館の開業準備に携わりプロデューサー兼支配人として運営、制作業務を担当(~2006)。2006年10月に埼玉・彩の国さいたま芸術劇場業務執行理事兼事業部長に就任。現在はゼネラルアドバイザーを務める。2022年10月より岡山・岡山芸術創造劇場ハレノワのプロデューサーに就任、2024年4月より劇場長との兼務。(2025.1更新)

菅原直樹

Ⓒ 冨岡菜々子

菅原直樹Naoki Sugawara

1983年生まれ。俳優、介護福祉士。2010年から平田オリザが主宰する青年団に所属し、特別養護老人ホームで介護福祉士として働きながら演劇活動を行う。東日本大震災を機に、2012年9月、岡山県和気町に移住。OiBokkeShiを立ち上げて「老いと演劇のワークショップ」をスタート。ワークショップで出会った88歳の岡田忠雄さんを主役に、2015年、OiBokkeShi第1回公演として和気町駅前商店街を舞台にした徘徊演劇『よみちにひはくれない』を発表。以来、「介護現場に演劇の知恵を、演劇の稽古場に介護の深みを」をコンセプトに活動。OiBokkeShiとして『老人ハイスクール』(2015)、『ポータブルトイレットシアター』(2018)、『レクリエーション葬』(2023)を発表。2016年より拠点を岡山県奈義町に移す。さいたまゴールド・シアターと共同し制作した「『よみちにひはくれない』浦和バージョン」(2018/世界ゴールド祭)、OiBokkeShi×三重県文化会館「介護を楽しむ」「明るく老いる」アートプロジェクト(2017~)など、劇団外でのプロジェクト、招聘公演も多数実施している。平成30年度(第69回)芸術選奨文部科学大臣新人賞(芸術振興部門)受賞。(2025.1更新)

OiBokkeShi – 「老いと演劇」オイ・ボッケ・シ
https://oibokkeshi.net/

世界に先んじて高齢化が進んでいる日本では、演劇においても高齢者対象のユニークな活動が盛んだ。蜷川幸雄という演劇界の巨匠のもとで高齢者カンパニーさいたまゴールド・シアターを立ち上げ、容赦ない芸術性の追求にプロデューサーとして伴走してきた渡辺弘と、ケアの視点から個々人のポテンシャルを引き出し“介護と演劇”の新たな関係性を見出している「老いと演劇」OiBokkeShi主宰の菅原直樹。それぞれ異なるアプローチを重ねてきた二人が、いま西日本の岡山県でタッグを組み、高齢者演劇の新たなフェーズを見据えた創作に取り組んでいる。日本の高齢者演劇の可能性を広げてきたキーパーソンが、これまでの活動を振り返りつつ、今後の展望を語った。

取材・文/熊井玲

時代にマッチしたさいたまゴールド・シアター

さいたまゴールド・シアターは、彩の国さいたま芸術劇場芸術監督だった演出家蜷川幸雄さんが2006年に創設した団体で、当時55歳以上を対象にメンバーが募集されました。どんな立ち上がり方だったのでしょうか。
渡辺 さいたまゴールド・シアターは、タデウシュ・カントール(*1)の、高齢者たちが登場する劇団クリコット2『死の教室』に想を得た蜷川さんが、以前から構想されていたものでした。それまで蜷川さんはプロの俳優と芝居を作ってきたけれど、公共劇場の芸術監督になるにあたり、“生活者”と芝居を作ることが公共性の面で大事なんじゃないか、と考えてのことだったのではないかと思います。ただ最初は集団になるかどうかもわからず、緩やかに始めてみようというくらいだったのですが、参加者を募集したら1266名も応募があり、蜷川さんも僕ら劇場スタッフも「皆さん、こんなに関心があるんだ!」とまず驚きました。今振り返ってみると、その頃ちょうど定年まで働いて第二の人生をどうしたら良いかと考える人が多かった時期(*2)だったのではないかと思います。そのときに、かつていつかやりたいと思っていた“俳優”に改めて興味を持った人がたくさんいたのではないか、彼らが「蜷川さんと演劇ができる!」ということで集まってきたのではないかと思っています。結局1266名から48名を選出し、メンバーとして半年間のトレーニングを積んだのち、「Pro・cess」という名の試演会を行いました。
“緩やかに”という思いでスタートしたとおっしゃいましたが、始動の翌年から毎年1〜2本の公演を行い、2013年にはパリ公演も行うなど、ゴールド・シアターはかなりのスピードで活動を展開していきました。
渡辺 蜷川さんはやっぱり実践の人なので、とにかく公演をやっていこうということになったんです。「Pro・cess」の第2回では清水邦夫さんの『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』をやったのですが、何度か試演をするうちに「やっぱり書き下ろしをやってみたい」という話が蜷川さんとの間で上がって、何人かの劇作家にお願いに行きました。でも50人近い出演者が出てくる芝居を書き下ろすのは無理だ、という人が多くて……難しいのかなと思っていたところ、岩松了さんが「挑戦してみたい」と言ってくださり、第1回公演『船上のピクニック』(2007)が実現しました。で、その公演を観に来たKERA(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)さんが「僕も書きます」と言ってくれて第3回公演はKERAさん書き下ろしの『アンドゥ家の一夜』(2009)、その公演を観に来た松井周さんが第4回公演『聖地』(2010)を書いてくれて……というふうに、ゴールド・シアターが第一線の日本の劇作家たちの書き下ろしを上演する、という冒険が始まったんです。蜷川さん自身にとっても、自分より若い同時代の作家が書いたものを演出したことはそれまであまりなかったから、大きな挑戦だったと思います。パリ公演については、パリ日本文化会館からお声がけいただいて実現したのですが、その公演をきっかけに海外での上演が増え、その後も香港やルーマニアなどで公演を行いました。
  • さいたまゴールド・シアター『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』香港公演(2014) Ⓒ 宮川舞子

その頃、菅原さんは東京で俳優として活動していましたが、東日本大震災後の2012年に岡山へ移住。その後、2014年に当時お住まいだった和気郡和気町で「老いと演劇」OiBokkeShiを立ち上げました。
菅原 岡山に移住してしばらくは特別養護老人ホームで働いていたのですが、やっぱり演劇がしたくなったんです。というのも、老人ホームで働いていると介護と演劇ってものすごく相性がいいと感じて。それで最初は地元の人たちとワークショップから始めて、介護と演劇の相性の良さを劇団のテーマとして掲げて活動できたらなと思い、OiBokkeShiを立ち上げました。団体名はメンバーのひとりであるデザイナーの発案で「老い、ボケ、死」をアルファベットにしたもので、岡山弁にも「ぼっけぇ(すごい、の意)」という言葉があり、響きがいいなと思ってOiBokkeShi(おいぼっけし)に決めました。
OiBokkeShiは旗揚げの翌年、2015年に現在も上演機会が多い徘徊演劇『よみちにひはくれない』を上演しました。菅原さんにとっては初劇作・初演出作品です。
菅原 ワークショップを通じて岡田忠雄さん(1926年生まれのOiBokkeShiの看板俳優)に出会い、岡田さんが僕のことを「監督、監督」と言ってくださるので(笑)、「よし、僕も監督になってみよう」と思って台本を書き、演出してみました。僕は基本的にいつも、人から話を聞いてそこからアイデアを膨らませてストーリーを考えていくのですが、岡田さんの場合はせりふ覚えが難しいかなと思ったので、できるだけ岡田さんご自身に似せた役にしようと思い、認知症の妻を探す高齢の男性という設定にしました。また公演を手伝ってくれたのが商店街の人たちだったので、それだったら劇場ではなく商店街で上演しようと考えて、街中での上演となったんです。
  • OiBokkeShiの看板俳優、岡田忠雄さん(右)と菅原。徘徊演劇『よみちにひはくれない』より。

埼玉から世界に、活動がつながっていく

ゴールド・シアターはその後もピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団ダンサーの瀬山亜津咲さん演出・振付によるダンス公演『KOMA’』(2014)や彩の国シェイクスピアシリーズ第30弾『リチャード二世』(2015)に出演するなど躍進を続けますが、2016年に蜷川さんが死去し、大きな柱を失いました。しかし同年には、「1万人のゴールド・シアター2016『金色交響曲〜わたしのゆめ、きみのゆめ〜』」(*3)という大きなプロジェクトが予定されていましたね。
渡辺 あのときは大変でしたね。「1万人のゴールド・シアター」はノゾエ征爾さんの力を借りてなんとか上演し、2017年には当初から予定していた岩松了さん書き下ろしの『薄い桃色のかたまり』を岩松さんの演出でやりました。ただ、ゴールド・シアターの解散については、もちろん並行して考えてはいました。
  • 「1万人のゴールド・シアター2016『金色交響曲〜わたしのゆめ、きみのゆめ〜』」(2016) Ⓒ 宮川舞子

さらに2018年、「世界ゴールド祭2018」(*4)が彩の国さいたま芸術劇場を中心に開催されました。「世界ゴールド祭2018」には菅原さんも参加されましたね。
渡辺 蜷川さんが亡くなる少し前に、実はイギリスの劇場の人たちがさいたまゴールド・シアターの視察に来ていたんです。ちょうど『リチャード二世』をやっているタイミングで、舞台をご覧になった皆さんが「日本のニナガワはこんなことをやっている!」と驚かれていたのが印象的でした(笑)。その話を持ち帰って広めてくれたおかげで、その後僕らがイギリスに視察に行った際、ゴールド・シアターのことをよく聞かれましたし、サドラーズ・ウェルズ劇場をはじめイギリスの劇場の多様な試みを知って、とても勉強になりました。それがきっかけで、「世界ゴールド祭」の開催につながっていきます。
菅原 「世界ゴールド祭」ではさいたまゴールド・シアターの方たちと徘徊演劇「『よみちにひはくれない』浦和バージョン」を上演しました。それまで岡山の、目の前の人たちと芝居を作っていたのが、埼玉という別の場所で作ったことで、日本や世界という視座で自分の活動をとらえることができるようになったと思います。僕にとってもゴールド・シアターとの出会いは大切でした。
  • 「世界ゴールド祭」での徘徊演劇『よみちにひはくれない』浦和バージョン(2016) Ⓒ宮川舞子

2021年、菅原さんはゴールド・シアターのメンバーも交えて日英国際共同制作『The HOME オンライン版』(*5)や、イギリスにてCOVENTRY UK CITY OF CULTURE 2021“Theatre of Wandering”(徘徊演劇『よみちにひはくれない』 コヴェントリーバージョン)を制作されるなど、海外とのクリエーションが増えていきます。
菅原 別の国の人と芝居を作ると、それぞれの介護状況などの違いが見えてくるのが新鮮でした。例えばイギリスでは、自立することや高齢者の人権に対する意識が強いので、当事者の声を聞くということが大事にされます。徘徊演劇を作る際も、認知症の人の役を演じる方の意見を聞くだけでなく、普段その方に接している医師の方に医療関係者として参加してもらったり、認知症の人は実際にどういう症状や行動があるのか意見を聞いたりする必要がありました。
  • イギリスのコヴェントリー市で上演された 徘徊演劇『よみちにひはくれない』 コヴェントリーバージョン(2021)

菅原さんはタイでもリサーチをされたそうですね。
菅原 はい。タイは自宅で子どもが親を介護するという習慣が根強くあって、いわゆる老人ホームが本当に少ないんです。タイのアーティストの方ともちょっとお話ししたのですが、例えば親の介護をしている写真家の方は、認知症の親をモデルにして写真を撮っていると話されていました。が、タイは“介護の社会化”にまだ課題があるのではないか、と思いました。
渡辺 2014年にゴールド・シアターが香港のニュー・ビジョン・アーツ・フェスティバルに招聘された時に、香港の高齢者劇団が観にきたのですが、その中には90代で頑張っている人もいましたよ。正確な数字はわかりませんが、世界にも意外と高齢者劇団があるのではないかなと思います。

新型コロナウイルスにより、世界中が老人ホームのように

その後、新型コロナウイルスが猛威を振るう中、さいたまゴールド・シアターは2021年に『聖地2030』を上演すると発表。『聖地2030』は、2010年にゴールド・シアターによって上演された松井周さん作『聖地』から“安楽死”というテーマを抽出し、松井さん自身の演出で立ち上げるもので、菅原さんも出演者に名を連ねていました。しかし、『聖地2030』はコロナのために結局実現せず、同年年末、さいたまゴールド・シアターは『水の駅』をもって15年の活動に幕を下ろしました。
渡辺 ゴールド・シアターが活動できなくなったことには、コロナの影響が大きくあります。稽古をやるからと招集をかけたときに、「施設に入っていて外の細菌やウイルスを持ち帰れないから、稽古場に行けない」とか「足腰が弱くなってしまったので、もう体力的に厳しい」という理由で辞退する人が多くて、コロナがいろいろなものを遠ざけてしまったなと感じました。そんな中、2019年に杉原邦生さんが自身のユニットKUNIOで『水の駅』(作:太田省吾)を上演したのを思い出し、『水の駅』は無言劇だからせりふを覚えなくてもいいし、せりふを発しなければコロナ対策にもなるから「ゴールド・シアターにピッタリだ!」と思い、即座に杉原さんにご相談しました。
『水の駅』には18人のゴールド・シアターのメンバーが出演し、舞台美術にはこれまでのゴールド・シアター作品で使用された小道具が用いられるなど、無言劇ながらさまざまなメッセージが込められていました。以前、菅原さんが「年齢を重ねるということは、“する”から“ある”になることではないか」とおっしゃっていましたが、まさにゴールド・シアターの存在感をまざまざと見せつけられる最終公演でした。
渡辺 メンバーの中にはまだやりたいという人もいましたが、募集した当時は平均年齢67歳だったのが80歳を超え、亡くなる人もいる中、団体として活動を継続するのは現実的になかなか難しかったんです。ただ、今も映画や舞台に積極的に出ている人たちがいたり、実は『終点 まさゆめ』のオーディションにもゴールド・シアターのメンバーだった方たちが複数人受けに来てくれていたりと、それぞれに活動を続けています。
  • ゴールド・シアター最終公演『水の駅』(2021)カーテンコール Ⓒ 宮川舞子

高齢者の表現活動に限ったことではありませんが、コロナの影響はとても大きかったのですね。
菅原 僕はコロナ禍の状態を、「世界中が老人ホームのようだな」と感じていました。みんな室内に閉じこもっていて、行きたいところにも行けないし、会いたい人にも会いに行けない。その状況が老人ホームみたいだなと。実は、ある忘れられないエピソードがあるんです。老人ホームの介護職員の仕事というのは、主に食事の介助、排泄の介助、入浴の介助があるのですが、効率優先で考えてしまうと、どうしてもいかに早く食べてもらい、いかに早くお風呂に入ってもらうかが大事になりがちです。でもそうなると、生活自体がすごく貧しいものになってしまうんですね。あるとき食事の時間に、1人の入居者の方がご飯を全然食べていなくて、自分で食べられないのかなと思って「ご飯お手伝いしましょうか」と声をかけたら、「もう食べたくない、生きていてもしょうがない」とおっしゃったんです。どう返せばいいかわからなくて、困ってしまったのですが、当時僕はホームでよく、ガマの油売り(*6)とか紙芝居のようなことをやっていたので、「明日、僕がガマの油売りをやるのでちょっと楽しみにしててください」という声がけならできるなと思い、やってみたりしていました。「今度一緒に絵を描きましょう」とか「また歌声を聴かせてくださいよ」でもいいんですけど、その人にとって楽しみなことがあれば「もうちょっと生きてみよう。だからもう少し頑張って食べてみよう」と思ってもらえるんじゃないかと感じたんです。

コロナ禍では、そういった文化的なことや、人と人との交流がどんどん減って、生きる気力が湧くような機会が本当に少なくなってしまいました。やっぱり、会いたい人に会いに行くとか、自分が好きな趣味に触れること、つまり芸術文化は人間として大切なもので、守っていかなければいけないと痛感しています。

高齢者との表現活動を通して、岡山と世界をつなげる

そんなコロナ禍も落ち着きを見せ始めた2024年から2025年にかけて、『聖地2030』をベースにしつつもまったく新たに生まれた『終点 まさゆめ』が3都市で上演されます。岡山・三重・埼玉から選出された高齢のオーディション・キャストと菅原さんを含む4名の俳優たちが、最大の娯楽施設・「まさゆめ」に向かう宇宙船を舞台に、“役に立たない1人を宇宙船から降ろす”ための会議を即興で繰り広げるという異色作で、渡辺さんが劇場長を務める岡山芸術創造劇場 ハレノワ(*7)でクリエーションが実施されています。
渡辺 まず、僕が岡山芸術創造劇場 ハレノワの仕事を引き受けたのは、菅原さんが岡山にいたからなんですよ。ですから自ずと菅原さんが協働したい人と一緒に高齢者演劇の未来を作るということが、ハレノワのひとつの“核”になると思っています。これまで演劇の現場では、俳優にさまざまな演出をつけて新たな形を生み出す、ということをさんざんやってきましたが、これからは菅原さんのように、その人の存在そのままを生かしながら作品にしていくようなやり方が必要ではないかなと。菅原さんが経験してきたことをベースに、さらに先を見ながら一緒に作品作りができると思っています。
菅原 2023年9月のハレノワ開館以来、OiBokkeShiでは『レクリエーション葬』という作品をハレノワで上演したり、老いのプレーパーク(*8)の岡山版が誕生したりと、岡山での活動の幅が広がりました。また『終点 まさゆめ』のように松井さんが東京から岡山に来てくださって、高齢者演劇の枠にとどまらない新しい作品作りが岡山発でできるのも、本当に素晴らしいことだなと思っています。
“世界”という言葉が出ましたが、「世界ゴールド祭」では、作品の芸術性を高めていくのか、それとも参加者のケアの側面を高めていくのか、参加団体ごとに方向性の違いを感じました。その点について、お二人はどのようにお考えですか?
渡辺 ゴールド・シアターが評価されたのは芸術的な側面があったからだと思います。蜷川さんはできるだけゴールド・シアターの芸術的な価値を上げていきたいと努力されていましたし、イギリスから視察に来た人たちもそんなゴールド・シアターのクオリティの高さにびっくりしていたと思うので、僕は芸術性は必須だと思います。
菅原 僕も人を驚かせたいというか、新しい表現を生み出せたらいいなという気持ちはいつも持っています。介護と演劇、認知症と演劇をつなげることで「こんなことも演劇で可能なんだ!」と思ってもらえたらうれしいですし、題材として介護や認知症を取り上げてはいますが、演劇としても面白いことができたらと常に考えています。その結果、僕自身も日本を代表するような、高齢者×演劇の取り組みを形にしていけたらいいなと思いますし、岡山と世界がつながっていけたらいいですよね。
渡辺 そうですね。“すごくローカルなことが世界とクロスする”のがいいですよね。
  • Ⓒ 冨岡菜々子
    『終点 まさゆめ』作・演出:松井周  演出協力:菅原直樹  出演:久保井研、菅原直樹、申瑞季、篠崎大悟、荒木知佳、オーディションで選ばれた岡山・三重・埼玉の高齢者:石川佳代、井上洋子、今栄敬子、小川隆正、竹居正武、山田浩司他
    岡山:2024年11月29日~12月1日 岡山芸術創造劇場
    三重:2024年12月21日~12月22日 三重県文化会館小ホール
    埼玉:2025年1月11日~13日 彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
    問い合わせ    

  1. タデウシュ・カントール

    ポーランド出身の演出家、画家、舞台美術家(1915~90)。20世紀を代表する現代演劇界の鬼才のひとりで、画家や詩人など芸術家による創造集団「劇団クリコット2」を率いた。

  2. 定年まで働いて第二の人生を

    日本は1970年代に高齢化社会に突入し2007年に65歳以上の高齢者の割合が総人口の21%を超える超高齢化社会となった(内閣府「平成20年版高齢社会白書」)。また戦後1947~49年生まれのベビーブーム団塊の世代が定年を迎えたのが2007〜09年にあたる。

  3. 「1万人のゴールド・シアター2016『金色交響曲〜わたしのゆめ、きみのゆめ〜』」

    公募によって集められた60歳以上の一般出演者約1600名と、さいたまゴールド・シアター、2009年に若手俳優の育成を目的に結成されたさいたまネクスト・シアターのメンバーらによって、さいたまスーパーアリーナで上演された公演。

  4. 世界ゴールド祭2018

    「高齢社会における芸術文化の可能性―劇場は地域に何をもたらすことができるのか」をテーマに開催されたシニア世代のアート活動の祭典。イギリスやシンガポール、オーストラリアなどの演劇やダンスのグループが招聘されたほか、日本からは60歳以上を対象とした彩の国さいたま芸術劇場の芸術クラブ活動ゴールド・アーツ・クラブやゴールド・シアターのメンバーなどが参加。シンポジウムなども行われた。

  5. 『The HOME オンライン版』

    イギリスの“架空の”老人ホーム「The Home」と、その日本支部で“架空の”老人ホーム・あおぞらを舞台にした、オンライン・イマーシブシアター作品で、日本版の作・演出を菅原、イギリス版の作・演出をクリストファー・グリーンが担当した。

  6. ガマの油売り

    「ガマの油」はヒキガエルなどの分泌液を含むとされる軟膏で、近世以来、この軟膏の露店販売時に独特の語り口で客寄せをする「ガマの油売り」口上が人気を集めた。現在はその口上が伝統芸能として継承されている。

  7. 岡山芸術創造劇場 ハレノワ

    2023年に岡山県岡山市に開館した大・中・小3つの劇場を備えた芸術複合施設。愛称ハレノワ。

  8. 老いのプレーパーク

    元々は菅原と三重県文化会館が、三重のシニアや介護関係者、認知症当事者と共に始めたアートプロジェクト。

  • 取材協力:岡山芸術創造劇場 ハレノワ   Ⓒ 冨岡菜々子