リヴァー・リン
アジアがアジアを発見する―リヴァー・リンによる台湾発の舞台芸術プラットフォーム
Ⓒ 守屋友樹
Ⓒ 守屋友樹
リヴァー・リンRiver Lin
1984年台湾生まれ。パリと台北を拠点として、パフォーマンス、ビジュアルアート、ダンス、クィアカルチャーなどの文脈を横断しながら活動するアーティスト、キュレーター。ADAM(Asia Discovers Asia Meeting for Contemporary Performance, 2017-)を台北パフォーミングアーツセンターとともに立ち上げ、アジア太平洋地域内外のアーティストたちの交流を促進しているほか、Camping Asia(2019-)、インドネシア・ダンス・フェスティバル(共同キュレーター、2022-)、台北アーツフェスティバル(2023-)といった芸術祭でキュレーターを務めており、2025年にはリヨン・ダンス・ビエンナーレのゲストキュレーターに就任予定。近年のキュレーターとしてのプロジェクトには、『代替不可能な身体?』(フレダ・フィアラと共同、オーバーエスターライヒ州文化社)、『BLEED 2022』(アーツハウスメルボルン、キャンベルタウンアートセンター共同)、『2057:35年後のサバイバル演習』(台湾・国家戯劇院、2022)、『Re:Play』(台湾当代文化実験場、2020)、TPAMフリンジ台湾プログラム(横浜、2018)などがある。(2024.12更新)
中国語氏名表記:林人中
台湾出身のリヴァー・リンは、ヨーロッパで活動し、パフォーマンス・アーティストとして活動するなかで、次第にアジア的視点に立ち戻る必要性を自覚したという。近年は、「ADAM(Asia Discovers Asia Meeting for Contemporary Performance)」、台北アーツフェスティバルのキュレーターとして企画した「クルージング」といった慧眼かつアイデアに富むプロジェクトを展開。アジア太平洋地域のアーティストの紹介・創作支援・連帯のプラットフォーム構築に努めるとともに、東西、男女といった二元論的規範を脱したクィアリングを提唱する気鋭のキュレーターとして注目されている。KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭共同ディレクターとして、リンとの協働と対話を重ねてきた川崎陽子が、台湾の舞台芸術シーンと、ADAMやクルージング、そしてこれからのアジアにおける国際舞台芸術祭のあり方について尋ねた。
インタビュー/川崎陽子
文/田中里奈
- 川崎 まず、台湾の舞台芸術の過去から現在までの変遷を、リヴァーさんの視点から教えていただけますか。
- 台湾の現代舞台芸術のこれまでの軌跡と進化は政治と不可避的に結びついてきました。1945年、蒋介石率いる中国国民党が中国大陸から台湾に移ってきて中華民国を建国しました。それ以前の台湾は日本が統治していました。1949年に蒋が戒厳令を敷き、独裁と検閲によって言論を統制しました。人々は抗議と民主化の要求をやめず、ついに1987年の戒厳令が解除されると、学生、作家、映画制作者、ダンサー、画家といった人々が芸術的な手法を使って自分たちを表現し始めました。
1990年代のアートはすでに多様でした。冷戦下の米国政府による文化外交は、台湾の演劇とダンスに影響を及ぼしました。1974年のマーサ・グラハムによるアジア・ツアー(*1)もそのひとつです。米国で学び、台湾に戻ってきて民主主義的な現代演劇やコンテンポラリーダンスを披露する、というトレンドが知識人の間で流行ってもいました。同時に、西洋の哲学、アートトレンド、演劇などについてのテキストが翻訳され、インディペンデンス系の雑誌に掲載されました。その一方で、アンダーグラウンドなフリンジもあって、反体制派や無政府主義派のアーティストが、パーティーやサウンドパフォーマンスをしたり、クィアネスやフェミニズムといったテーマに取り組んだりしていました。この頃の国立劇場はプロパガンダ的な演目をやっていました。原住民アーティストの最初の劇団(*2)が出てきたのもこの時期です。
※編集注:ここでは現地での呼称に準じて「原住民」という表記を使用しています(以下同)。
制度面で大きな変化があったのが2010年代です。2012年、政府は文化をますます活用して台湾を国際社会に発信していくために文化部(日本の文部科学省に相当)を設けました。2014年に国立舞台芸術センター(NPAC)が新設され、台北市、台中市、高雄市の国立劇場がNPACの管轄下に(*3)収まりました 。台北パフォーミングアーツセンター(TPAC)の建設が始まったのもこの時期です。これを機に、台湾の舞台芸術のエコシステムはこれらの公立劇場によって主導されるようになっていきました。2010年代台湾の舞台芸術をテーマ別に見ると、台湾内外でつくられた現代演劇、ダンス、音楽の多種多様な作品が見られるようになり、その中には台湾オペラ(歌仔戯)やチャイニーズ・オペラである戯曲(※「戯曲」は伝統演劇の意で日本語の「戯曲」とは異なる)の現代化も起こりました。また、原住民アーティストから脱植民地化を意識した作品がますますつくられるようになりました。
- 川崎 お話しいただいた台湾の文化政策の流れのなかで、リヴァーさんはアーティスト、またはキュレーターとして、どのように活動してきたのですか。
- 2010年に台北で霜田誠二さんのワークショップに参加したことがきっかけで、演劇の文脈ではなくビジュアルアートの文脈でパフォーマンスをつくるようになりました。当時、私が関心を寄せていたビジュアルアートのパフォーマンスやライブアートは、台湾のビジュアルアートの機関であまり紹介されておらず、そもそも重点を置かれていませんでした。ギャラリーでのライブアートや振付の実践に取り組むべく、まず2014年にヨーロッパでライブアートのリサーチをする機会をいただき、2015年には台湾政府の支援を受けてパリ国際芸術都市(シテ・アンテルナショナル・デ・ザール)で6か月間のレジデンスプログラムに参加し、その後2016年にパリに拠点を移しました。それ以来、アジアのアーティストがヨーロッパ市場でどういう立場に置かれているのかをますます意識するようになりましたし、また翻って、いかに台湾政府がアーティストの発信を通じて国際的な認知度を高めようと尽力し続けてきたのかを注意深く見るようにもなりました。そうした背景から、アーティストの目線で、アーティストのコミュニティーがどういうエコシステムと共生しているのか、もっと言えば、文化のインフラについて考えるようになりました。
台湾で最初に海外アーティストと一緒にキュレーションしたのが、ボリス・シャルマッツをフィーチャーした『オーラルムーブメント―ミュゼ・ドゥ・ラ・ダンスプロジェクト1(口腔運動―舞踏博物館計画I)』(台北パフォーミングアーツセンターと台北市立美術館の共同、2016)です。アーティスト主導でダンスとビジュアルアートの垣根を越えるための知識と実践を台湾のアートシーンに紹介したくて、TPACに打診したことを機に、TPACとはその後も協働が続いています。このときから、キュレーションを通じて文化のエコシステムやインフラに働きかけようとしていたように思います。キュレーションというウイルスへの暴露を通して、アートシーン全体に感染を広げようとするみたいに。
長い間、台湾で国際共同制作と言えば、つねにヨーロッパか米国が相手で、アジアという選択肢は欠けたままです。でも、私たちの地域で活躍するプロのアーティストのほとんどは西洋のシステムに根差した教育を受けているので、私たちのための芸術的言説を独自に展開するためには、私たちが協力し合って、まず知識体系から脱植民地化する必要があります。「脱植民地化」というとアカデミックに聞こえるかもしれませんが、友達の赤ちゃんが女の子ならピンク、男の子ならブルーの贈り物をするとか、クリスマスといえば雪とかサンタクロースがパッと浮かぶとか、そういうイメージが勝手に付きまとってくる状況こそ植民地主義の産物です。アジア太平洋地域のアーティストが互いに学び、実践し合うことを通じて、オルタナティブな言語や知識を獲得することが急務だと感じました。
ただ、東アジアでは、多くの公的機関がアーティストのリサーチや育成をサポートするよりも、ハイパープロダクティブ(過剰に生産的)であること、いうなれば、ヨーロッパ中心の国際市場に送り出せるような完成品を求めすぎる傾向にあります。だからこそ、アーティストが成果を期待されずに、まずは互いを知り合ってネットワークをつくる必要を感じて、2017年にADAM(Asia Discovers Asia Meeting for Contemporary Performance)(*4)を始めました。アーティストたちが集まり、コレクティブなリサーチをしながら、アーティスト主導のネットワークを育てていくためのプラットフォームです。最終的な成果物を求めないというと、全く生産性に欠けるように思われるかもしれません。ワークインプログレスのプレゼンを見せたら、観客やフェスティバルのディレクターやキュレーターは「何これ?」と言うかもしれません。でも、このプロセスがあることは、アーティストにとって非常に重要なんです。そこで、TPACと協働することで、プロセスのサポートをする仕組みをつくりました。文化機関は、創作を支援するシステムと、アーティストを育成するための場の両方をつくらなければならないと思います。
- 川崎 ADAMが作品の発表を目的とせず、交流のためのプラットフォームであることが、アジアの舞台芸術における基盤づくりに重要なのではないかと思います。2017年から始めて、コロナ禍も乗り越えてやってこられたと思いますが、これからのADAMについてどのようにお考えでしょうか。
- ADAMでアーティスト同士が出会い、新しいアイデアやコラボレーションにつなげるには、それをアーティスト主体でやることが重要です。ADAMでは、一度参加したアーティストを、その後の開催では、プログラムの設計に携わるゲストキュレーターとして迎えることがあります。ワークインプログレスの作品を発表するために招待されて「帰ってきた」アーティストもいます。この方法がつくりだした循環は、これまで当たり前とされてきた一回限りのプロダクション制作の枠組みを乱し、アーティストが何かを発見し、育てていくことを後押ししてきました。例えば、第2回(2018)にアーティストとして参加した石神夏希さんには、第3回(2019)にアーティストラボのキュレーターをお願いしました(*5)。松本奈々子さんとアンチー・リンさんのコラボレーションもその流れで生まれましたね。
現在、ADAM のアーティストラボは、国際的なパートナーとの緊密な連携を強化しながら、サポート体制を広げていく段階にきています。例えば、2024年には、BIPAMとのコラボレーションで、芸術監督であるササピン・シリワーニット氏をゲストキュレーターに迎えて、アジア間のコンテキストを形成するべく、参加アーティストがバンコクと台北の両方でリサーチとプレゼンを行うようなプログラムを共同でキュレーションしました。
- 川崎 第7回(2023)に、アンチーさんがアーティストラボのゲストキュレーターとして、松本さんがアーティストとして参加されたことがきっかけで、『ねばねばの手、ぬわれた山々』(*6)というプロジェクトが生まれ、台北パフォーミングアーツセンター、KYOTO EXPERIMENT、国際交流基金の国際共同制作として創作されました。世界初演を迎えた京都公演のポストトークで、「ADAMでのレジデンス中、自分が『台湾に植民した国の人』であるという歴史的文脈を日常的に意識しながら、自分の立場について考えていました。そのなかで、台湾にいる自分の経験について語ることばを見つけるのが非常に難しかった」とおっしゃっていました。松本さんがアンチーさんとクリエイションした結果、触れづらいところに触れざるを得ないなかで言葉を見つけていったのではないかと思います。
- あのプロジェクトは、川崎さんや私が協働を持ちかけたわけではなく、二人が引かれ合って成立した点が素晴らしいです。『ねばねばの手、ぬわれた山々』は、女性的な視点から、アンチーさんは台湾原住民の視点を加えて、超自然的な存在を社会との関わりの中で捉え直すという稀有な試みです。こういう脱植民地的な対話こそ、私たちがアジア以内の文脈をもっと豊かな形で理解するための手がかりになると思います。
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KYOTO EXPERIMENT2024で上演された『ねばねばの手、ぬわれた山々』Ⓒ岡はるか 提供:KYOTO EXPERIMENT
- 川崎 これまで何回かADAMに足を運んで、ADAMが台湾のアーティストだけでなく、それ以外の地域のアーティストの拠りどころになっていると感じました。日本の公的な文化支援は、自国のアーティストの発信力を高めて文化を豊かにすることで、国際的なプレゼンスを高めることができる、という発想に基づいているように思います。ADAMは、公的助成を受けながら台湾のアーティスト以外を支援することの整合性を、どのように保っていらっしゃるのでしょうか。
- 政府が自国のアーティストだけを支援するのは当然のことだと思います。台湾人ではないアーティストにリソースを惜しみなく費やすというADAMの方が稀です。とはいえ、東南アジア圏など、表現の自由が確保されておらず自国ではリサーチや創作が制限されている地域のアーティストで台湾でなら自由な表現が可能、という環境づくりには意味があると思いますから、公的な支援制度がもう少し柔軟になればいいのにと思っています。
キュレーターやディレクターに関して言えば、国際的な交流が起こっていると思います。日本の山口情報芸術センター(YCAM)のキュレーターをインドネシアのレオナルド・バルトロメウスさんが務めていたり、シンガポールの総合芸術文化センターであるエスプラネードのプロデューサーを浅川いづみさんがなさっていたり。台湾では、台北アーツフェスティバルのキュレーターをシンガポールのタン・フクエンさんが務めていました。
ただ、ADAMが今後どのように公的機関のもとにあり続け、公的機関と共存していけるかについては、考え直しているところです。ADAMを始めた当時はまだ建設中だったTPACが2022年に開館しました。資金を投入してつくられた施設には何らかの成果がどうしても期待されますし、そういう期待を醸成するような環境に台北市行政や台湾政府は置かれています。とはいえ、ADAMは台湾のほかのセクターに良い影響を及ぼしたと思います。のちに、台北の国家両庁院(NTCH)がアジアのアーティストに目を向けたり、若手アーティストによるリサーチを支援したりし始めましたからね。
- 川崎 先ほど台北アーツフェスティバルの名前が出ましたが、公演や発表を目的とした台北アーツフェスティバルと、必ずしも公演を目的としないADAMとが、有機的に機能し合っているように感じます。リヴァーさんは両企画のキュレーターとして、それぞれの役割をどのようにお考えですか。
- 時系列を整理すると、2017年にADAMができ、その翌年にフクエンさんが台北アーツフェスティバルのキュレーターに就任して、そこから両者の連携が始まりました。例えば、藤原ちからさんは、ADAMの第1回(2017)に参加してくださったことがきっかけになって、『IsLand Bar』(台北アーツフェスティバル、2018)につながりました。ADAMでアーティストがプロダクションを成熟させたら、台北アーツフェスティバルで発表することもできる、というパターンが生じつつあります。私が台北アーツフェスティバルのキュレーターに就任した2023年以降は、フェスティバル間の連携がいっそう深まりつつあります。
- 川崎 台北アーツフェスティバルのプログラムである「クルージング(流行群島)」についてもお伺いしたいです。「クルージング」ではゲストキュレーターが毎年代わり、新しいプロジェクトが立ち上がります。初年の2023年はインドネシアのヘリー・ミナルティさんによる『The Sea Within』、2024年はKYOTO EXPERIMENTのディレクターチームによる『Traveling Tongues』、そして来年のキュレーターはアジア太平洋舞台芸術トリエンナーレ(Asia TOPA)の現芸術監督のジェフ・カーンさんが務める予定です。異なる背景のキュレーターが重なり合いながら活動する「クルージング」の構造はどのようにして生まれたのでしょうか。
- 2023年以降の台北アーツフェスティバルのキュレーションをTPACから依頼されたとき、私はフェスティバルづくりの意味と役割について考えました。公演を主とする既存のフェスティバルの枠組みをどうすれば超えられるのか、と。キュレーションのキーワードは「エコシステム」と「ネットワーク」でした。そこで、グーグルマップを見て(笑)…思ったんです。首都の台北で行われるからといって、都市型フェスティバルじゃなくて、島型フェスティバルでもいいはずだ。それなら、群島の生態系(エコシステム)の中で、台湾とほかの島々との対話はどんなふうになるだろう、と。台湾から見て、北には日本列島があり、南にはフィリピン諸島とインドネシア諸島があります。台湾の原住民は、オーストラリアとニュージーランドを含む広範なオーストロネシア諸島とつながっています。こうして、太平洋諸島のさまざまな文化を結び、つなげる糸が見えてきました。この地域のフェスティバルとキュレーターの協力と対話が進んでいけば、アジア太平洋のこれからのエコシステムやラディカルケア(*7)のあり方をどんなふうに想像していけるでしょうか。そういう着想があって、私は台北アーツフェスティバルでキュレーター・イン・レジデンスのプロジェクト「クルージング」を立ち上げました。
一方、「クルージング」という語には、大航海時代以来の植民地主義的な背景があります。「フォルモサ」(ポルトガル語に由来する「台湾」の別名)もそうして発見された島です。くわえて、「クルージング」はゲイカルチャーのスラング(*8)として、「クィア」と同じくネガティブな意味で使われてきました。だから、このフェスティバルで「クルージング」という語を私なりに、つまり、キュレーションの手法を使って定義し直せないか、私たち自身を脱植民地化し、フェスティバルとそのキュレーションのあり方を再考するための対話の旅を提案することはできないか、と考えました。だから、「クルージング」は、アートとキュレーションに関わる提案を積極的に受け入れ、キュレーターと彼らが招聘したアーティストとの間でリサーチに基づいた思考と対話を促し、キュレトリアルなネットワーク(curatorial network)を拡大しているんです。2025年の『Traveling Tongues』のプレミアが楽しみです。
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『Traveling Tongues』リサーチ・シェアリング(2024 台北アートフェスティバル)Ⓒ Grace Lin
- 田中 2021年頃、リヴァーさんが「クィアミュージアム(queer museum)」という概念を引用して、クィアという語をアイデンティティやジェンダーだけでなく、キュレーションにも応用する、というお話をされていたと思います(*9)。クィアネスは、リヴァーさんのキュレーションにどのように関わっていますか。
- クィアネス、またはクィアになること(queer becoming)は、私の活動のベースになっている考え方です。文化のエコシステムにアプローチするとき、制度や組織を「クィア化していく」というのは、制度や組織に反対したり対抗したりすることではないんです。そうではなく、主流のものとオルタナティブなものとが共存し合える場を、制度や組織をもっと巻き込んでつくっていくことを指します。今日私がお話ししたことはすべて、このコンセプトに根差しています。
- 川崎 最後に、私たちが取り組んでいるアジアの視点を中心としたキュレーションに対して、観客側には、依然として著名なヨーロッパ系の作品を好む傾向が根強いという現実があります。特に初めて招聘するアーティストの公演に足を運んでいただくことはハードルが高いので、KYOTO EXPERIMENTでは、その人の社会的背景をなるべく紹介して、その後レジデンスプログラムやコラボレーションといった形で再登場してもらうことで、観客が点と点をつないでアーティストの理解を深められるような道筋を作るようにしています。例えば、ウィチャヤ・アータマートさんは、KYOTO EXPERIMENT 2021 SPRINGで一度紹介し、2022年に京都にてリサーチを行った上で、2023年に日本のアーティストとの国際共同制作作品を上演しました。KYOTO EXPERIMENTのような公共の文化事業には、商業的な成功が見込めるアーティストではなく、一般的な知名度が低かったり若手であっても、重要な活動をしているアーティストを紹介していく役割があると考えているからです。リヴァーさんは、この問題についてどう考えていますか。
- 私たちは長いこと、「国際的な作品」とは西洋の白人アーティストによるものを指すのだ、と刷り込まれてきたように思います。ヨーロッパ以外のものがアジアのフェスティバルで紹介され始めたのは、ごく最近ですからね。2023年、私が台北アーツフェスティバルのキュレーターとなった最初の年に、南アフリカのロビン・オーリンさんと、コンゴのフォスタン・リニエクラさんを招聘しました。台湾で知名度の低いアーティストのプロモーションは難しかったです。でも蓋を開けてみたら、初演後にインスタグラムを通じて、口コミがどんどん広がりました。人々はアーティストの複数の物語から学び、アフリカの歴史がどのようにアジアと関わりがあるのかを知り始めました。私たちはただやるしかないんです。一度始めれば、変化は起こりますし、いつだって遅すぎるということはないんです。
だからとにかく、Just do it(やるしかない)! ほかに道はないのですから。
通訳/辻井美穂
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マーサ・グラハムのアジア・ツアー
1974年、グラハムは米国国務省の協力のもと、ビルマ、香港、インドネシア、日本、マレーシア、フィリピン、台湾、シンガポール、タイ、ベトナムを巡演した。
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原住民アーティストの最初の劇団
例えば、1991年には原舞者(The Formosa Aboriginal Song and Dance Troupe)が台湾原住民族のアミ族の懐劭・法努司)とプユマ族の斯乃泱を中心に設立された。
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台北市、台中市、高雄市の国立劇場がNPACの管轄下に
台中市の台中国家歌劇院(2016年開館)、高雄市の衛武営国家芸術文化中心(2018年開館)は、1987年台北市に建てられた国立劇場(国家戯劇院)と国立音楽堂(国家音楽庁)とともにTPACの管轄下に入った。後述する台北パフォーミングアーツセンターは台北市政府の管轄。
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ADAM
2022年、ADAM創設から2021年までの取り組みをまとめた『ネットワーク化された身体:コンテンポラリーパフォーマンスの文化とエコシステム』(未訳)が台北パフォーミングアーツセンターから出版された。https://riverlin.art/project
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石神夏希さんには~
石神夏希は第3回(2019)に、台北市のコミュニティーをリサーチするプロジェクト『Performing (with/ in) communities: Relations, Dynamics and Politics』を立ち上げた。
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『ねばねばの手、ぬわれた山々』
『ねばねばの手、ぬわれた山々』はADAM 2023で生まれ、KYOTO EXPERIMENT 2024のプログラムとして初演された。2025年9月に、台北アートフェスティバルでの発表を予定。
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ラディカルケア
人種差別反対やフェミニズム運動に端を発する、集団的なケアのこと。『ラディカルケア』(2020、未邦訳 )では、植民地主義などの歴史的背景を経て、または新自由主義の結果として、構造的不平等にさらされつづける周縁的な集団が不確定な時代を生き抜く術であり、社会運動と不可分の概念として紹介している。
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「クルージング」はゲイカルチャーのスラング
「クルージング」とは、男性間性交渉者が一回限りの性交渉の相手を探すことをほのめかす隠語であったが、この語が徐々に一般化するにつれて同性愛嫌悪に用いられるようになった。
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クィアという語をアイデンティティやジェンダーだけでなく~
Thinkers’ Studio 思劇團によるYouTube配信「Connect with SEA (Gender Issue): Residency in the CLOUD|Visualizing Networking for Gender Issues Based Creation」(Dance Nucleusとの共催、2021年6月12日)。
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インタビュアーの川崎陽子と Ⓒ 守屋友樹
取材協力:KYOTO EXPERIMENT
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