ジョン・E・マグラー

建物をもたないオンライン劇場
ナショナル・シアター・ウェールズの挑戦

2013.03.19
ジョン・E・マグラー

© Warren Orchard/National Theatre Wales

ジョン・E・マグラーJohn E McGrat

ナショナル・シアター・ウェールズ(NTW) 芸術監督
劇場という特定の活動拠点をもたず、図書館、軍用基地、炭鉱などさまざまな場所でコミュニティを巻き込んだサイトスペシフィックなプロジェクトを展開しているナショナル・シアター・ウェールズ(NTW)。

ウェブ上に立ち上げた誰もが参加できるコミュニティ・サイトをもうひとつの“壁のない劇場”として掲げる芸術監督のジョン・マグラーとは?
聞き手:岩城京子[ジャーナリスト]
意外にもイギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)には、10年前まで国立劇場が1つしかありませんでした。俳優ローレンス・オリヴィエが劇団ナショナル・シアター・カンパニーを1963年に立ち上げることから始まり、1979年にロンドンのサウスバンクに本拠地を構えたロイヤル・ナショナル・シアター(通称:NT)です。しかし、00年代に立て続けに3つの新しい国立劇場が誕生します。まず03年にウェールズに、ウェールズ語劇専門の国立劇場シアター・ゲンドラトゥル・カムリュ(Theatre Genedlaethol Cymru)が、その3年後にスコットランドにナショナル・シアター・オブ・スコットランドが、そしてさらに3年後に再びウェールズに、英語劇専門のナショナル・シアター・ウェールズ(通称:NTW)がオープンします。なぜ00年代に英国内で国立劇場がいっぺんに増えたのでしょうか?
 97年に政権を握ったトニー・ブレアによる政治方針の変更から国立劇場が増やされていきました。労働党政権が権力の座に就いたとき、彼らはまず「デボリューション(地方分権)」というラディカルな地方分権改革を実行したんですね。ご存知のようにイギリスは異なる4つのカントリー(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)から成る連合王国ですが、ブレア政権はイングランド以外の国に対して独立議会の設置を認める措置を実現していったのです。そしてこの中央政府によるデボリューション政策には、医療、教育、文化、各分野の地方への権限委譲が含まれていました。
興味深いことに、デボリューションが施行された際、最初に見直されたのが文化面の政策でした。イギリス国内にはロンドンにあるNTの他、国立オペラ劇場と国立ダンス劇場はあるものの、上記であげたカントリーには国立劇場がありません。そこでかなり早い段階で、まずはウェールズ語劇専門の国立劇場の設置案が持ち上がりました。ロンドンのNTでは、ほぼウェールズ語劇が上演されないため、この案はすぐ賛同を得ました。その後、視野はスコットランドに向きました。スコットランドは、ブレアの出身地ですし、そもそもウェールズよりも政治問題が盛んに議論される土地であるためこれも納得の選択でした。とはいえ、スコットランドでスコットランド・ゲール語を話す人口は極めて少ない(約1.2%)ため、ナショナル・シアター・オブ・スコットランドではゲール語劇ではなく英語劇が上演されることになりました。
このスコットランドの国立劇場の設置のあと、自然と議題に上がるようになったのが、英語劇を上演するウェールズの国立劇場の設置です。ウェールズでウェールズ語を話す人口は、確かにスコットランドでゲール語を話す人口よりは多いですが、それでもたったの25%です。逆に、100%の国民は普通に英語を話します。そこでアーツ・カウンシル(英国芸術協議会)で「ウェールズに英語劇の国立劇場が存在しないのはおかしいだろう」という話しになり、ようやく09年に、私たちのNTWが誕生することになったわけです。
同じ土地に2つも国立劇場があると、敵対心を持ったり、ライバル心を燃やしたりと、いろいろ問題が生じて大変ではないかと憶測してしまうのですが。2つの劇場の関係性はどのように保たれているのですか?
 現時点では、2つの劇場の関係性は極めて良好です。別々の劇場であるとはいえ、お互い同じ土地で助け合いながら劇場運営を進めています。ですから、近いうちに私たちは共同制作プロダクションを立ち上げる予定です。おそらく両劇場とも、同じ土地に2つの国立劇場があることをプラスに捉えているように思います。1つの国立劇場が、あれもこれもカバーしなければと妥協案に走るのでなく、2つあることでそれぞれの劇場が自分の得意とすることに特化した活動を進めていけるからです。それに何より幸いなのは、私たちも彼らも、本気で演劇を愛する人たちが劇場を運営しているということです。私たちが良好な関係性を保てている根本的な理由は、その点に尽きるように思います。
さて、設立当初からNTWは「世界初のオンライン国立劇場」として注目を集めました。NTWの誕生とは、立派な建築物の誕生ではなく、オンライン・コミュニティの誕生を意味しました。この冒険心に満ちた試みは、どのような経緯で生まれたのでしょうか。
 私がNTWの舵取りを08年に正式に任されたとき、私はまず自分にひとつの問いを課すことにしました。それは「現在地」「演劇」「国立」の関係性についての問い……、つまり「いまウェールズで国立劇場を設立する意味」についての問いです。私はこの問いを胸に、ウェールズ国内のリサーチを進めていきました。
リサーチの初期段階で顕著にわかったことは、この土地の人々は中央集権化を非常に嫌うということ。イングランド人と違って、ヒエラルキーを嫌うということです(笑)。ですから何か巨大な建物を1つ建てて、そこに人を無理矢理集めるという方法論はよくないことがわかりました。次に判明したのは、ウェールズには、イングランドやスコットランドと異なり、既存の劇場建築が少ないということです。この建物を好まない傾向はおそらく、ウェールズの歴史あるケルト文化の祭典「アイステッドフォッド」が毎年異なる野外広場で行われている伝統にも見てとれるように思います。
さらにわかったことは、ウェールズには元々実験劇を受け入れる土壌が1970年代から存在するということです。その証左として、ポーランドの演出家イェジィ・グロトフスキが初めて訪れた英国の土地が実はウェールズでした。彼はウェールズでワークショップを行い、この土地の演劇作家の多くに影響を与えました。そして私は劇場の方向性を決めるにあたり、いまお話しした3つの因子、つまり政治的に中央集権制を好まないこと、組織的に劇場体制を好まないこと、芸術的に実験精神に富むことを、21世紀のウェールズで国立劇場を立ち上げる際に反映すべきポジティブな事項として検討することにしました。
その検討の後に「シアター・マップ」と呼ばれるプロジェクトを立ち上げました。初年度の12カ月、12の異なる土地に赴き、12の演劇作品を発表することにしたのです。これは単に地方を良く知るための土地回りではありません。私たちにとってこの試みは、新しい「演劇」の探索と同義でした。つまりウェールズの異なるコミュニティを訪れて、各地に存在するアイデンティティを捉えて、それらを地図化していくことで、ウェールズにある土地だからこそ生まれる演劇を考案していけると思ったのです。
さらに付け加えるなら、08年はちょうど、英国内でWEB 2.0(オンライン情報の受信者と発信者が固定化されず、誰もがネット上で情報発信できるようになった状態)が一般市民にまで浸透したときでした。このテクノロジーの普及により、誰もが、どこにいても、ある種の「コミュニティ」をつくれるようになった。そこで私たちは、物理的に異なる土地にある12のコミュニティにアプローチすると同時に、このバーチャル・コミュニティの概念も取り入れて、新しい国立劇場を誕生させることにしました。そうして、09年に、Bingプラットフォームを利用して「ナショナル・シアター・ウェールズ・コミュニティ」がウェブ上に誕生したわけです。つまりNTWは、ナショナリティやコミュニティ・アイデンティティに密に接続された劇場であると同時に、デジタルにかつ双方向的に接続された劇場でもあるのです。ウェールズの人々は世界初のオンライン国立劇場というアイデアに興奮して、すぐにこのオンライン・コミュニティは活発に利用されるようになりました。現在に至るまで、NTWの中核はこのオンライン・コミュニティが担っています。
つまり、あなたがNTWで表現したいと願う「ナショナル・アイデンティティ」は、それぞれの土地で生きる人々の物理的なアイデンティティを反映すると同時に、特定の土地に根差さないデジタルなアイデンティティをもすくい上げるということですね。
 ええ、そうです。私は00年代におけるウェールズのアイデンティティを考える際、内側にではなく外側に意識を向けることが大切だと考えました。つまり、今、私たちが暮らすウェールズという「場所」はどんな所なのか? 歴史でも、民族でもなく、自分たちが今暮らす場所に目を向ける。その方法論こそが、私たちのアイデンティティを規定する最善策のように思えた。そして、その自分たちの立つ「場所」に目を向けた際、現代の私たちは常に2つの「今、ここ」に同時に生きていることがわかります。物理空間とバーチャル空間です。どちらか一方を無視しても、私たちのアイデンティティは損なわれてしまいます。ですから、私はこの2つの「今、ここ」に同時に目を向けて、NTWのナショナル・アイデンティティを確立していこうと考えたわけです。
物理空間とバーチャル空間に「同時に生きる」感覚は、NTWの個々の作品にも演出的に反映されていますね。
 その通りです。その端的な例が、2012年4月に上演された『The Radicalisation of Bradley Manning(ブラッドリー・マニングの急進化)』です。ご存知のように、ブラッドリー・マニングは米国軍の最高機密情報をウィキリークスに大量リークしたために、現在カンザス州の陸軍刑務所に拘留されている若い米軍兵です。私たちは彼の人生を元にした芝居をつくり上げ、毎公演オンラインでライブストリーミング上演しました。
そのストリーミングは、刑務所で暮らすマニングを監視する感覚を観客に与えるために、いくつかの監視カメラの映像を通して行われました。また観客はその映像を眺めると同時に、様々なリンク先の情報に視野を広げていくことになります。つまり画面上に与えられたリンクをクリックすることで、主人公の人生、ウィキリークスの真相、アフガニスタンやイラクの事情、またマニングが高校時代を過ごした南西ウェールズの町ペンブロックシャーについての情報などを知ることができました。この作品では、通常の良い演劇客になることではなく、良いオンラインの演劇客になることが求められたわけです。つまりストリーミング映像を見ながら、いくつかのリンク先に飛んでサイトを開き、その隣で別のコラム記事を読んで……というようなマルチタスク作業を行うことが演劇体験として推奨されたわけです。これは極めて現代人の「今、ここ」性に似た、リアルな演劇体験だと言えます。
もうひとつ、2つの「今、ここ」に同時に生きる例としてあげられるのは、初年度の最終演目としてポート・タルボットという港町で上演された市街劇『ザ・パッション』(2011)です。これは4月のある週末を利用して、キリストの受難を72時間ぶっ通しで上演した市街劇です。そしてこれは、極めて大規模なサイト・スペシフィック公演であったと同時に、世界で初めて本当の意味でツイッター上に存在した演劇だったように思います。当時ちょうどツイッターが流行りはじめた頃だったこともあり、観客の多くは熱心に、街中で行われていることを盛んにつぶやいてくれました。その結果、観客は物理的に劇のすべてに参加することができなくとも、その時何が行われているかをリアルタイムに追うことができました。また何人かのお客さんは、街で行われていることをスマートフォンなどで撮影して、この公演のために立ち上げた公式ブログサイトに映像をアップロードしてくれました。そうして最終的にこの芝居には、オフラインとオンライン合わせて、約12,000人の観客が参加しました。人口35,000人の町で、ですよ!
とはいえ、誤解のないように言っておきますと、私たちはデジタル機器に精通した若い客層以外を排除したいわけではありません。ブラッドリー・マニングの公演も、ポート・タルボットでの公演も、上演場所に足を運んで観るだけでも十分に楽しめます。またNTWのシーズン演目には、例えばデジタル機器をほぼ使わないで普通に上演した、チェーホフの短編集を元にした『A Provincial Life』(2012)などという芝居もあります。ですから、私たちは盲目的に演劇のすべてをデジタル化していきたいわけではなく、公演ごとに、その公演に合った、フィジカルとデジタルの最適な分量を考えているわけです。
昨日、2013/2014シーズンのオープニング・パーティに参加させてもらいましたが、会場となった船便輸送用巨大コンテナーの中には、DJがいて、地元のストリートフードの屋台があって、さらに場内に何台ものラップトップが置かれ、そこでNTWのスタッフが休まず最新情報を発信していました。
 実はあの会場には2階があって、そこではさらに多くのスタッフがツイートしたりビデオ映像をオンラインで流したりしていたんですよ。私ももちろん参加しました。これはとても大事なことです。芸術監督は月に1回ブログで何か偉そうなことを言うだけでは、本当の意味でオープンなコミュニティが形成されませんからね。誰もが平等に対話に参加してはじめてコミュニティが機能するのです。だから、例えば17歳の普通の高校生が何か公演についての意見をツイートしたとしても、私は時間の許す限りそれらのコメントに応答するようにしています。昨日のパーティーは、いわゆる国立劇場のシーズン・キックオフとしては異様な光景だったかもしれません。すごくカジュアルで、リラックスしていて、現代的で野心に満ちている。どこかのIT企業のパーティーに見えたかもしれない。でもいまや誰も背広を着て「サンキュー」とスピーチをするようなパーティーには興味を持ってくれません。特にそういうパーティーにはアーティストが全然来てくれない。だから今ではNTWのサクセスを目の当たりにした文化関連の政治家たちは、ウェールズのようにやらなきゃダメなんだと考えを改めているみたいですよ(笑)。
あなた自身の経歴についても伺わせてください。あなたは80年代にリバプールで仕事を始め、ニューヨークで10年間下積みし、帰国後の99年から08年までマンチェスターのコンタクト・シアターで芸術監督を務めました。また05年にはNESTA(英国国立科学・技術・芸術基金)のカルチュラル・リーダーシップの奨学金を得て、ヨーロッパや南アメリカで経験を積みました。国内でキャリアを積み上げていくことが一般的な英国においては、非常に珍しいキャリアパスです。
 そうかもしれません。でも私は、21歳になるまで海外に出たことがなかったにも関わらず、一度もイギリスの島国精神を身近に感じることがありませんでした。私の生まれはノース・ウェールズですが、両親の出身地であるリバプールで育ちました。リバプールには、あらゆる土地から訪れた多様な民族が雑多に共存しています。ですから私は常に海を渡ってどこか異国の地に行きたい、という冒険心を秘めて育ったように思います。今から振り返るとわかることですが、私は基本的に「予測不可能なこと」に導かれてキャリアを構築してきたように思えます。ニューヨークに行ったのも、イギリスにある通常のキャリアパス、例えば、まずロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのアシスタント・ディレクターの仕事を得て、その後、小さな劇場のディレクター職に就いて……、という道を進むのが嫌だったからです。もちろん、それはそれで素晴らしい経験だとは思います。でも私個人は基本的に、全く予想もつかないような場所に身を投げ出すのが好きなんです。安定よりも不安定を好む人種なんです(笑)。でもそのような普通じゃない経験を積んできたことが、現在のNTWの仕事に非常に生かされていると思います。間違いなく私は、イギリスの他の多くの芸術監督よりも、国際共同プロジェクトを手掛けることに抵抗がないですし、海外の組織やアーティストと築き上げてきたネットワークも自信になっています。ただNTWの芸術監督職がチャレンジであることに変わりはありません。そもそも私は「この仕事はまた自分を不安定な状態に投げ出すことができるチャンスだ」と思って興味を示したわけですからね。
マンチェスターのコンタクト・シアターは、あなたが芸術監督職に就くまで、どこにでもある普通の地方劇場として伝統的なストレートプレイを上演していました。あなたが99年に劇場を司るようになってから、若いアーティストの作品を育み上演するマルチジャンルな劇場としてブランド化されていきました。
 マンチェスター時代には常に、若くて面白いアーティストと仕事をすることに情熱を注いでいました。その時代に築き上げたアーティストとの絆が、今のNTWでの仕事につながっていることもあります。例えばNTWの初年度に上演された『ザ・ペルジャンズ』(2000)という芝居で、アイスキュロスのギリシャ悲劇を翻案してくれた劇作家のケイティ・オライリーはマンチェスター時代からの仕事仲間です。また同芝居の美術を手掛けてくれたポール・クレーはニューヨーク時代の仲間です。
私はこの二人をウェールズ出身の野外劇を得意とする演出家マイク・ピアソンと組み合わせることで、ブレッコン・ビーコンズという民間人は立入禁止区域の英国国防省が統括する異様な土地で本作を上演することにしました。ちなみにこの場所には1980年代の冷戦時代に、もしソビエト連邦と英国との間で戦争が勃発したら、おそらく戦いの一部はドイツで行われるだろうということを想定して「疑似ドイツ都市」が設えられた場所です。その軍事訓練地で、今ではドイツではなく、アフガニスタンやイラクに送られる英国軍兵士が訓練を行っています。その異様な土地のただなかで、アイスキュロスの戦争劇を野外上演したわけです(笑)。
話が少し逸れましたが、いずれにせよ私は、今も昔も新進気鋭のアーティストと新しくてエキサイティングなプロジェクトを考えることを好んできました。マンチェスターの劇場で仕事をする前には、インディーズなカンパニーとサイトスペシフィック公演を打つことを主に行っていたため、今までのキャリアのすべてがNTWの仕事につながっていると言えるかもしれません。ただ繰り返しになりますが、NTWでの企画の多くは、私の個人的な人脈と同じぐらい、オンライン・コミュニティでの出会いから立ち上げられていると言えます。
あなたはPerforming Arts Network and Development Agency (PANDA)というノース・ウェスト・イングランドで活躍するパフォーミング・アートの新進芸術家をサポートするNPO法人の設立者でありチェアでもあります。この組織はどのような主旨で04年に設立されたのでしょうか。
 PANDAはマンチェスター時代に設立した組織ですが、私は実はこの組織に携わるべき人選を行い、ディレクターを任命して、それでウェールズに来てしまったので運営にはあまり深く関わっていません。ただ「若手芸術家の育成と発信」というPANDAの主旨は、いま私がウェールズで行おうとしていることと深くつながっていると言えます。
ウェールズでは、3つの方法で若手アーティストを支えています。1つは「WalesLab」というプロジェクト。これは作家、演出家、役者、振付家、デザイナー、パフォーマンス・アーティスト、インスタレーション作家、マルチメディア・アーティストなど様々な新進気鋭のアーティスト……、特に年齢的に若くなくてもいいのですが(笑)、とにかく斬新なアイデアを持った人間がその発想の芽を伸ばして具現化できるためのサポートと発表の場を与えるプロジェクトです。
2つ目は、先ほどからお話ししているオンライン・コミュニティです。アーティストはこのサイトに、自分たちがNTWで発表したいと願う企画について書き込み、あるいはNTWと全く関係ないブログを立ち上げて主旨を説明し、外部協力者を募ることができます。ウェールズのアーティストが一堂に集えるサイトとして非常に上手く機能していると言えます。
そして2つ目は「Go-and-See Commitment」というプロジェクト。これは、公演の少なくとも1カ月前に、何らかの方法でNTWに連絡をくれた場合、私たちのスタッフ18名のうちの誰かが必ず公演に足を運びますよというコミットメントです。どうしてもスタッフが忙しい場合は、懇意にしている外部アーティストに代わりにお願いすることもありますが、基本的にはスタッフの誰かが行きます。ですから、私はマンチェスター時代から常に、若手アーティストの育成に力を注いできたと言えます。もちろんNTWでは、国際的に有名なアーティストとの共同プロジェクトも行っていますが、10年〜20年後も共に仕事をしていたいと願うのはウェールズの若手アーティストたちです。
ウェールズに来てから仕事をするようになったアーティストを何人か教えてください。
 ウェールズで仕事をするようになった人の中で、特に面白いと思うアーティストのひとりに劇作家のアラン・ハリスがいます。彼はNTWのこけら落とし公演『A Goodnight Out in the Valley』(2010)の脚本を担当してくれました。また彼は2013年4月に東京の新国立劇場で上演される新作『効率学のススメ(The Opportunity of Efficiency)』の作家でもあります。アランは素晴らしいストーリーテラーです。と同時に、人々の声に耳を澄ますのがとても上手い作家でもあります。例えば『A Goodnight〜』を執筆するにあたって、演出家である私を含めた創作チームはまず、ウェールズ南西部の盆地にあるかつての炭鉱町に足を運びました。そこで何カ月もかけて、地元の人たちに「NTWの作品で、この町にあるどんなストーリーを伝えたらいいと思いますか?」と聞いてまわりました。そしてそれらの意見をもとに、アランが短いストーリーを書き上げ、いくつかのミニパフォーマンスを上演した。そして上演後、再び地元の人たちに「どのストーリーが面白かったですか?」と意見を聞いてまわった。彼らは「全部おもしろいよ!」と言ってくれたので、ちょっと困ってしまったんですけどね(笑)。でもアランは最終的にとても上手く、地元の人たちの物語を紡ぎ合わせてくれたように思います。
もう一人、是非とも知ってもらいたいアーティストの一人に、演出家のマイク・ピアソンがいます。彼は長年にわたりウェールズでサイトスペシフィックな野外劇をつくり続けてきた作家です。彼がいなければ、先ほどお話しした『ザ・ペルジャンズ』という素晴らしい野外劇が成功することはなかったように思います。アイスキュロスのギリシャ悲劇を民間人立入禁止の英国軍用地で上演するという奇抜なアイデアは、彼が発案したことですからね。
ちなみにシーズン2年目には、彼ともうひとつ芝居を制作しました。それがシェイクスピア作を翻案した『CORIOLAN/US』(2012)です。マイクは今まで、シェイクスピアだけでなく、英国人作家の作品を手掛けてこなかった演出家です。彼の得意分野はウェールズ神話とギリシャの偉人伝ですからね。でもだからこそ、私にとってはマイクとシェイクスピアという組み合わせはスリリングに思えた。この芝居は結果的に大成功を収めました。本作は、第二次大戦中利用されていた飛行機格納倉庫で行われたわけですが、観客はサイレント・ディスコの技術を採用したヘッドホンを着用して格納庫に入室し、自分たちのまわりを無数の車が爆音で走り回る空間のなか、ヘッドホンを通して芝居の台詞を耳にすることになりました。この奇抜なシェイクスピア芝居を、ロンドン五輪カルチュラル・オリンピアードの総合芸術監督であるルース・マッケンッジーは、その年に行われた70を超えるシェイクスピア演目のなかで「抜群に面白かった芝居のひとつ」だと語ってくれました。本当に素晴らしいプロダクションだったように思います。
世界中のフェスティバルで売れている作品をただショッピングしてきて上演する劇場が多いなか、NTWではウェールズだからこそ実現可能な演目を海外アーティストと生み出しています。それら海外アーティストとのプロジェクトについても少しお話しください。
 英国国内でたとえあまり知名度が高くなくとも、私は自分自身が群を抜いておもしろいと思えるアーティストと仕事をするようにしています。と同時に、これがとても大切なのですが……、そのアーティストは私たちの仕事のやり方を面白がれる人たちでなければなりません。もちろん、作品内容はアーティストの自由ですから、あなたはウェールズのこの町に行ってこういう芝居をつくってください、と命令するようなことはありません。まず私が何をするかというと、直感的に何か呼応できそうなアーティストを海外から招聘して、それで実際の場所で、実際に一緒に時間を過ごします。それで何かウェールズの特定の場所だからこそ作品として成立するアイデアを彼らが思いついたら、その時点でクリエイションをお願いします。そうして一緒に仕事をするようになった海外アーティストの中には、ドイツの演劇集団リミニ・プロトコルや、アルゼンチン出身でベルリンを拠点に活躍する振付家コンスタンツァ・マカラスなどがいます。
ご存知のように、リミニ・プロトコルの作品の多くは、世界中のフェスティバルを巡回することを最初から想定して構築されています。でもそんな彼らがNTWではアバリスワスという田舎町でしか上演できない、完全にアバリスワス・スペシフィックな作品をクリエイトしてくれました(笑)。というのもこの作品では、アバリスワスの女性合唱団のおばさまたちのパーソナル・ストーリーを土台に脚本を練り上げ、そのおばさまたちの合唱を彼女たちが毎週練習する市民センターのような場所で聴くことを、一連のツアー・パフォーマンスの中核に組み込んだんです。だから別の場所では上演不可能だった。ちなみにこのツアーは、2011年の春から毎週火曜日に1年間上演され続けました。コンスタンツァの作品は、彼女と一緒にウェールズの森を散歩しているときに構想されました。彼女は今まで一度も野外でのダンス作品を発表したことがないのですが、フリントシャーの暗い森に繁華街のパーティー・ピープルを放り込んでダンスをつくるというユニークな発想を提案してくれました。この作品は今年おそらく、ベルリンの森のどこかで再演されます。
さて、2013/2014年の新シーズンには日本の新国立劇場での新作発表が含まれます。先ほどご紹介いただいた、アラン・ハリス作、そしてあなた自身が演出を手掛ける『効率学のススメ』です。NTWが選んだ最初の海外公演の場所が、東京になった理由を教えて下さい。
 日本の新国立劇場からご招待頂いたためです。私の知る限り、日本の演劇界の人々は世界の演劇事情に非常に精通しています。ですから私たちのカンパニーが何か新しいことをやっているということを聞きつけた東京の人たちがアプローチしてきてくれて、最終的にはNTWのレパートリーのひとつを持っていくのではなく、芸術監督の宮田慶子さんから「何か新作芝居を一緒につくりませんか」というオファーを頂きました。私個人としては、ウェールズの国立劇場の最初の「インターナショナル」公演が日本に決まったことを嬉しく思っています。多くのイギリス人がよく勘違いするように「インターナショナル」は「ヨーロッパ」と同義語じゃないですからね(笑)。また私たちと似通った、とても水平的で民主的なシステムの国立劇場に行くのではなく、正反対と言えるほど組織的な劇場に赴くことで、お互いにより多くのことを学べるのではないかとも思いました。
芝居の内容自体は、日本と英国、双方の都市で生きる人々が呼応できるテーマを選びました。「効率性」についてです。イギリスでは今「効率性(efficiency)」と……、あと「緊縮経済(austerity)」という単語が、まるで時代を象徴する流行語のように使われていますが、これは日本でも少なからずあることでしょう。ただ我々イギリス人はいつも、自分たちよりも日本人のほうがうまく社会問題に対応できると思っているんですね。そこで我々が共有する「効率」という概念に焦点を当てて、日本とイギリスではどう「効率」に対しての対処法が異なるのか、また効率性がどう二国で有効活用され、また悪用もされているかを探求していく芝居をつくることにしました。
4月に東京を訪れる際には、ただ公演を行うだけでなく、先ほどもお話しした若手作家を育てるWalesLabや、また「Assembly」と呼ばれるオープン・ディスカッションなども同時に開催したいと思っています。Assenmblyは、NTWが初年度から行っているアウトリーチ・プロジェクトです。このプロジェクトではNTWの創作に携わる人間が、ウェールズの各土地に赴き地元の人たちと交流しながら「今この町で話しあうべき本当に大事な議題は何か?」「その議題についてどんな解決策があるか?」「それについて演劇は何ができるか?」と話し合いを深めていきます。その話し合いが、作品制作につながることもあれば、直につながらないこともあります。正論を決めつけ、それを効率良く伝播するのは演劇の役割ではありません。演劇では、理解不能な声、予測不能な声が、棲息する場所を確保しておく必要があります。そのためにAssemblyは存在するのです。このオープン・ディスカッションをぜひ日本でも開催したいと思っています。
最後の質問です。総じてNTWの活動は「演劇」の概念を再定義する試みであるように思えます。あなたにとっての「演劇」とはどんなものなのでしょうか? あなたの思う「演劇」の定義を教えてください。
 私にとっての「演劇」とは、自由な精神を持った観客との集いです。アーティスト、パフォーマー、観客という三者の集いがシアターを創造します。もちろんその集いは、ダンスや音楽のパフォーマンスでも実現可能です。ただ演劇は、それらすべての芸術ジャンルを包括し、且つそれらすべての芸術ジャンルで行われる対話を実現できます。簡略化して説明するなら、例えばダンス公演では身体言語で対話が行われますよね。コンサートなら、音楽が対話の媒介物になります。ただシアターでは、どのような言語を使うべきか、どのような媒体物を用いるべきか、観客との間で行われる最適のコミュニケーション方法を探るところから始めます。もちろん最終的な選択肢として、無言劇というベケットのような言語を選び取ることも可能です。また演劇では、空間との対話を進めることも大切です。例えばシェイクスピアのグローブ座や日本の歌舞伎座などを目にすると、長年の空間と観客との対話で、劇場空間が必然として生成されてきたことがわかります。あるいは逆に、演劇ではまったくゼロから公演場所を新しくつくり上げることもできます。
何が良くて何がダメだという固定化されたルールは演劇には存在しないのです。ただもし仮に演劇にルールがあるとするならば、それは「思考を続ける」というルールです。私たちは常に、観客と、パフォーマーと、空間の関係性を思考し続けなければなりません。この「集い」についての思考が止まるとき、演劇は死にます。そしてもはや、無作為に集まった人間が、無作為に舞台にある何かをぼんやり眺めるだけの、演劇に似た違うものになるのです。

新国立劇場
With─つながる演劇・ウェールズ編─
『効率学のススメ』
The Opportunity of Efficiency

2013年4月9日〜28日
新国立劇場 小劇場
作:アラン・ハリス
翻訳:長島 確
演出:ジョン・E・マグラー
出演:豊原功補、宮本裕子、田島優成、渋谷はるか、田島令子、中嶋しゅう

『ザ・パッション』
The Passion

(2011)

『ザ・ペルジャンズ』
The Persians

(2010)

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