横山拓也

横山拓也

劇作家による自作ガイドvol.4─横山拓也が語る『粛々と運針』

Ⓒ 阿部章仁

2026.04.10
横山拓也

Ⓒ 阿部章仁

横山拓也Takuya Yokoyama

1977年生まれ、大阪府出身。劇作家・演出家・iaku代表。大阪芸術大学在学中の1996年、同級生と劇団「売込隊ビーム」を結成。実力を備えた若手注目株として人気を博し、2011年の退団まで作・演出を務める。2012年3月に演劇ユニット、iakuを立ち上げ、大阪と東京で創作活動を行う。緻密な会話が螺旋階段を上がるようにじっくりと層を重ね、いつの間にか登場人物たちの葛藤に立ち会っているような感覚に陥る対話中心の作品を発表。鋭い観察眼と綿密な取材を元に、人間や題材を多面的に捉える作劇を心がけている。身近にある社会的な問題を取り上げながら、エンターテインメント性とユーモアに富んだ会話劇に定評がある。「消耗しにくい演劇作品」を標榜し、精力的に再演を実施。iaku旗揚げ公演の三人芝居『人の気も知らないで』(2012年初演/第1回せんだい短編戯曲賞大賞)や『エダニク』(2009年初演/第15回日本劇作家協会新人戯曲賞)は、iaku以外でも多くの団体によって上演されている。2024年『モモンバのくくり罠』で第27回鶴屋南北戯曲賞、2025年『流れんな』の作・演出と『ワタシタチはモノガタリ』の作で第59回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。(2026.4更新)

iaku

戯曲を書いた作家自身に作品解説をしてもらうシリーズ第4弾は、親近感あふれる緻密な会話劇の名手、横山拓也の代表作『粛々と運針』。シンプルかつ普遍的な内容は、再演はもとより作者の手を離れたさまざまな上演形態を可能にしており、EPAD(舞台芸術アーカイブ+デジタルシアター化支援事業)やSTAGE BEYOND BORDERS(SBB)での映像公開により、国際的な受容も見込まれる。横山が演劇活動を始めた当初からよく知る同郷の編集者金田明子が、大阪にこだわりつつ全方位的な共感を獲得してみせる、その作劇術について尋ねた。

取材・文/金田明子

iaku『粛々と運針』(初演版)

  • 作・演出:横山拓也
    出演:尾方宣久、近藤フク、市原文太郎、伊藤えりこ、佐藤幸子、橋爪未萠里
    東京:2017年6月2日~6日 新宿眼科画廊 スペース地下、大阪:2017年6月9日〜11日 インディペンデントシアター1st 、2018年の再演ツアーでは東京・愛知・宮城・福岡・北海道・神奈川にて上演

【あらすじ】(ホームページより改稿)

築野家。長男の一と次男の紘の兄弟が入院している母の病室を訪れると、「金沢さん」という初老の紳士を紹介される。母と親しい仲らしい。膵臓ガンを告知された母は、金沢さんと相談の結果、穏やかに最期を迎えることを選んだという。一方、田熊家。子どもは作らないと約束して結婚した若い夫婦だが、妻の沙都子に妊娠の予兆。夫の應介に話を切り出せない。生活や仕事のことを考えると産むことは選べない。選びたくない。時間は刻々と進む。二組の家族の議論を見つめる、死にゆく命と芽生えた命。平凡な生活の内に潜む葛藤を周到な会話で描き出す。

【登場人物】

築野一(ちくの・はじめ)   築野家長男。独身。実家暮らし。41歳。
築野紘(ちくの・つなぐ)   一の弟。既婚。36歳。
田熊沙都子(たくま・さとこ) 應介の妻。38歳。
田熊應介(たくま・おうすけ) 沙都子の夫。38歳。
(ゆい)          縫う人。
(いと)          縫う人。

  • 横山拓也筆による『粛々と運針』 登場人物相関図

大学在学中から大阪を拠点に数多くの作品を発信してきた劇作家、横山拓也。2015年に自身のユニット「iaku」の活動拠点を東京に移してからも、大阪や関西の言葉にこだわり、会話を緻密に積み重ねた作品を書き続けている。ここで紹介する『粛々と運針』(2017年初演)は、リアルな会話劇に定評がある横山にはめずらしく、幻想的な構造になっている。時計の針や縫い方を意味する「運針」を命の進みゆきに重ねた本作に込めた想いを訊いた。

まずは作者である横山拓也さんから『粛々と運針』がどのような作品なのか、そして、書こうと思ったきっかけをお聞かせください。
『粛々と運針』は、「亡くなる命」と「生まれてくる命」、その二つを並べて、ある一定の時間の中で、そこに近い存在の人物たちが命について見つめる物語です。
 
『粛々と運針』を書くまでのiakuの作品は、上演時間90分なら90分というリアルな時間の中で、登場人物たちが会話をしながら、一つの問題に直面して右往左往する、という描き方をしていました。例えば『車窓から、世界の』(注1)という作品は、駅のホームでなかなか来ない電車を待っていると思いもよらない事態に出くわす、という設定だったのですが、観客から「閉じ込められているわけではないのに、そこに居続ける理由が弱い」と指摘されたんです。議論が白熱しているから居続けられるだろうと思っていたのですが、確かに行かなきゃいけない場所があり、時間も迫っている中、そこに90分も居続けるはずはない。そこで、自分自身は何にこだわって書いているのだろう、と自問自答してみたら、一つの場所に限定して書くことで筆力が試される、と思い込んでいたことに気づいたんです。時間と場所を限定することで追い詰められ、そうして枯渇したところから会話を掘っていく、という苦しみから生まれるドラマがあると信じていたけれど、もしかしたら、そのこだわりによって演劇の豊かさを自ら放棄していることになっているのではないか、と。それですぐに「実験的なことにチャレンジしたい」と思って、予定していなかった時期に無理やり公演をねじ込み、慌てて場所を押さえて書いたのが『粛々と運針』です。
どのようなことに挑もうと思われたのでしょうか。
まずは、自分の書き味、書きよう、持ち味を守りながら、場所と時間について自分なりにチャレンジできることを探しました。そして、全く違う場所、全く違う議論をしていた二つの家族がいきなり一つになるように描くことを思いついたんです。何の脈絡もなく会話を始めると、どういう議論になるんだろう、と思ったことがスタートでした。全く違う場所にいる、全く関係のない二組が急に混ざり合うことを強調するために、兄弟のせりふは標準語に、夫婦は関西弁にしています。そして「去りゆく命」と「生まれくる命」の話を合体させて、命の物語として描くことにしました。
 
その中で登場させた「生まれくる命」=〈糸〉と「去りゆく命」=〈結〉というファンタジックな存在は、二組の議論に影響を与えるだろうと思いました。二つの家族とは直接会話をしないけれども、書き手の僕自身にはもちろんのこと、何より観客に影響を与えるだろうと思ったんです。三つ巴と言いますか、二つの家族が混ざっていく感覚みたいなものが、自分の中では演劇的なチャレンジで、初稿ではせりふそのものをかなり研ぎ澄ませて書いた記憶があります。書き終わったとき、ひさしぶりに「書けた」という感覚を得ましたし、結果、自分の中でのターニングポイントになりました。
  • iaku『粛々と運針』(2017) Ⓒ 堀川高志

横山さんは以前、台本を書き始める前には十分に取材を重ねる、と話していましたが、急に上演を決めた『粛々と運針』はどのような取材をされましたか。
準備期間の短さもあって、身近なところを深掘りしました。当時、僕は40歳だったのですが、身近にいた同世代の演劇人の多くが、年齢的にいろいろな選択をしていた時期だったので、彼らに取材させてもらい、さまざま体験や経験を聞きました。
 
女性の登場人物は、特定の人物について描いたわけではなかったのですが、初演のときは、取材をしていない人からも「私、横山くんに何か話した?」と言われることが何度もありました。観客から共感の声が多く聞かれたのも、「これは私の話だ」と思われたからかもしれません。
男性の登場人物については、自分自身の感覚を使ったように思います。僕自身は妻と子どもがいますが、〈一〉と〈紘〉の兄弟の話には、僕と母、僕と弟、それぞれの距離感を持ち込んで大きく脚色しています。例えば、母親に「おはよう」と言わないのは僕自身の話です。決して仲が悪いわけじゃなく、照れくさいというか、起きていることがわかっているのに「おはよう」を言う意味がないと思ってしまうんです(笑)。母親の前では涙を流せない、恋愛について話せない、というような照れくささみたいなものは、多くの方が持っていると思いますし、そういう感覚、家族の距離感みたいなものを言語化して描きたいと思いました。
2017年・2018年には横山さんのユニット、iakuの公演として自身で演出されていますが、以後さまざまなプロダクションがあり、2022年にはPARCO PRODUCEとして「東京2020パラリンピック」開会式の演出を務めたウォーリー木下さんの演出版もありました。ご覧になって気づいた、作品が持つ力や特徴があればお聞かせください。
僕が演出した初演は新宿眼科画廊(注2)という小さなスペースでの上演でしたが、ウォーリー木下さんの演出はPARCO劇場(注3)での上演で、劇場空間が一気に広がったこともあって、こんなにも演出で遊べる余地のある作品だったんだ、こうして広げられる可能性のある戯曲だったと知ることができて、嬉しく思いました。自分では、文字で書き込んでいるので、せりふだけで成立してしまう(だけに自由が利かない)怖さがある台本だと思っていたのですが、演出家が手を出せる余白があるんだということを知りました。もちろん大きな劇場での上演に向けて、木下さんが余白を見つけてくださったのだと思いますが。
  • PARCO PRODUCE『粛々と運針』(2022) Ⓒ 御堂義乘 写真提供:株式会社パルコ  
    多岐川裕美(左)、河村花(右)

2026年3月~4月にはiakuの公演として『粛々と運針』を約8年ぶりに上演します。iaku立ち上げ当初より演出やドラマトゥルクとして参加している上田一軒さんの演出による上演を決めた理由は。
自分自身で演出した初演から9年が経ち、もう一度、戯曲を見つめ直すという作業をしてみたい、『粛々と運針』の普遍性を探し出したいと思うようになりました。ウォーリー木下さんに、楽しみながら立ち上げてもらったことを目の当たりにしたことも影響していると思います。そこで、『エダニク』の初演(2009年)の演出以降、iakuの公演に演出やドラマトゥルクとして参加してもらっている上田一軒さんと一緒に作業したいと思いました。一軒さんにはiakuが大阪を拠点に制作していた2016年まで演出をお願いしていたので、実はiakuの作品の90%は一軒さんとつくっているんです。
 
一軒さんは、僕が無自覚に書いているところを指摘してくれる心強い存在です。まずは台本を読み物として評価し、せりふの言葉の選択も一つひとつ面白がってくれます。そして、台本の中にあるエンターテインメント性を見いだしながら、作品の狙いを明確に捉えてくれる。文字から立体化するための行き先を一緒に見つけてくれる存在なんです。一軒さんは「スクエア」(現在休止中)というコメディ劇団のリーダーと演出を務めているので、いつもは笑いのために台本を立ち上げています。僕の作品は、何か問題に突き当たったときの苦しみを描写する中で、ユーモアを載せていることも持ち味の一つだと思っているので、一軒さんには笑いに真摯な一面と、文学や活字や哲学的なことを好むところを生かして、軽妙なタッチで書いてる僕の戯曲の中から、面白みを見つけ出してもらっているように思います。
上田さんと共にあらためて作品に向き合うことで、何か気づいたことはありましたか。
いろいろな演出家に上演してもらった経緯もあって、徐々に整理された気がしますが、一軒さんが演出するにあたって、つまずきそうなところを一つひとつ洗い出してもらったところ、9年経ってもまだ無自覚なところがたくさん残っているなと思いました。
大きなポイントは、〈糸〉=「生まれてくる命」というファンタジックな存在です。田熊家の夫婦は「産む/産まない」の議論をしているのに、妻の〈沙都子〉が「産まなきゃいけない」という方向に持っていかれるのではないか、と指摘されました。戯曲では気づきにくいのですが、舞台で実体化したとき、〈糸〉という登場人物がいる以上、実在感によって「産むこと」がゴールに見えてしまうのではないか、果たしてそれはこの戯曲が狙いたいところなのか? いや、そうではないでしょう? と問われて、そのとおりだと思いました。何かをジャッジする話として書いていないので、〈糸〉が生まれるということが担保された話になってしまうことは本意ではない。田熊家の夫婦には、曖昧さと言いますか、選択の自由さ、選択の広さを持たせたいんです。〈糸〉というのは、僕の戯曲の中ではめずらしい登場人物で、その描き方については、初演を演出したときからずっと悩んでいます。何度も話し合って改訂し、稽古でさらに解消しようと俳優とも話し合っていますが、リアリズムな自分の書きようの中では、個人史がない、実在しない者のせりふを書くことは難しいのだと思います。
  • iaku『粛々と運針』(2026)Ⓒ 堀川高志

〈沙都子〉〈應介〉〈糸〉のせりふは関西弁で書かれていますが、ほかの作品でも関西弁という方言にこだわって書いています。
iakuの前、大阪芸術大学の同級生と立ち上げた売込隊ビームという劇団でつくっていたときは、関西以外から大阪に来たメンバーが多かったこともあって、いわゆる標準語で書いた作品が多かったのですが、iakuを立ち上げるにあたって「大阪から発信するんだ」という気負いがあり、関西弁でつくろうと思うようになりました。当時は、東京や三重や福岡などいろいろな地域で上演していたのですが、「大阪から来ました」ということが伝わる芝居を届けたいと思ったんです。
 
もう一つは、当時、大阪公演を行っていた東京の劇団、グリングさん(2005年『海賊』大阪市立芸術創造館)やモダンスイマーズさん(2008年『夜光ホテル~スイートルームバージョン~』精華小劇場)を観て、俳優さんたちがめちゃくちゃうまいと思ったのがきっかけです。どうしてこんなにうまいんだろうと考えたら、戯曲に書かれているのは標準語ではなく、彼らがふだん使っている東京の言葉だということがわかった。青年団の平田オリザさんが提唱していた「現代口語演劇」(注4)については知っていましたが、彼らのせりふはよりリアルに感じられたんです。だったら、僕たちがふだん使っている口語の関西弁で戯曲を書けば、関西以外の地域で上演したときに俳優たちの芝居をうまいと思ってもらえるんじゃないか、と。その目論見は見事にはまりました。大阪で活動を続けている一軒さんの演出も相まって、俳優たちは僕の狙いを体現してくれました。それは、iakuの作品に何度も出演してもらっている緒方晋さんの活躍にもつながっているのではないかと思っています。
『粛々と運針』をはじめとする横山さんの作品は、iakuの公演として全国各地で上演を重ねるだけでなく、さまざまなプロダクションによっても上演されています。
三人芝居などカフェでも上演できるような小さな作品だと、全国各地を回れるんじゃないか、小さな公演でも作品や俳優が面白ければ注目してもらえるんじゃないかと思ってつくった作品は、場所を選ばず、運営資金が少なくても上演することができるので、上演申請が多いのかもしれません。特に『エダニク』や『人の気も知らないで』がよく上演されるのは、「戯曲デジタルアーカイブ」(注5)に掲載していることが大きいと思います。アーカイブに掲載した理由は、誰かに演出してほしい、という以上に、戯曲にどんどん一人歩きしてほしい、多くの人たちに出会ってほしい、という想いから。いろいろなところで、いろいろな人に読んでもらいたいんです。
上演にあたっての条件はほとんどありませんが、改訂する場合は事前に読ませてください、とお願いしています。例えば、性別を変える場合、それで物語が成立するかどうかを精査しています。ただ、関西弁をほかの地域の方言に変えることは承諾していますし、どんどんやってほしいと思っています。
近年は海外でも『逢いにいくの、雨だけど』(注6)は韓国で、『エダニク』(注7)は中国・上海で上演されました。それぞれの反応はいかがでしたか。
韓国ではまだ観ることができていないのですが、上海戯劇学院の公演はとても面白かったです。日本で伝わったものが上海でも同じように伝わるんだと実感しました。演出の李旻原(リ・ミンユェン)先生に聞いたところ、中国ではエンターテインメント性を高めないと観客が退屈してしまうという考え方があるようで、終盤の屠畜銃を発砲するシーンで銀テープがバーンと舞ったんです(笑)。想像もしていなかったので驚きましたが、「面白い! こうでなきゃ!」とも思いました。ものすごくいい体験でしたね。
スノッブな作品だからといって守るばかりでなく、上演する地域の観客に受け入れてもらうための演出であれば、どんどんやってほしいと思います。おこがましいですが……、シェイクスピアやチェーホフの作品は今、当時では思いもつかないであろう演出で上演されているじゃないですか。そうやって戯曲が一人歩きしていくのは、劇作家にとっては幸せなことだと今は思っています。『粛々と運針』も海外で上演される機会があると嬉しいですね。兄弟の会話も夫婦の会話も日本的な感覚で書きましたが、語られることは普遍的でもあるので、もしかしたら世界のどの国どの地域でも同じような感覚があるのかもしれないなと思います。
  • 2024年、中国語版 『エダニク』上海戯劇学院公演の舞台で対談する横山(左から2人目)と演出の李旻原(右端)

2022年には『粛々と運針』を原案に書き下ろした、小説『わがままな選択』(河出書房新社)を発表されました。
大阪芸術大学の文芸学科で学んだので、小説を出すのは長年の夢だったんです。最初はオリジナルでの書き下ろしを探っていたのですが、『粛々と運針』をもとに戯曲の設定を大きく変えて書くことになりました。二つの家庭の問題を一組の夫婦にまとめて、〈糸〉の存在を少しミスリードさせる展開にしています。実は、先ほど話した一軒さんの指摘、〈糸〉の存在については、小説の中では鮮やかにクリアできたと自負しています。そういうチャレンジができたという意味でも、この小説は自分でも気に入っています。題材が普遍的だからこそ、小説としても難なく描くことができた。とてもありがたい経験をさせてもらったと思います。
『粛々と運針』を始め、横山さんは価値観の違いによって起きる人間関係の対立や摩擦を描いていますが、社会情勢や価値観が急速に変化している昨今、観客の多くがジェンダーやルッキズムについてなど社会の問題について敏感になっていると思います。
僕も自分の作品以外を観るときには敏感になります。自分の感覚は現代的だと思っているのですが、観客などから厳しい感想をいただくこともあります。自分が生まれ育ってきた環境から脱却しきれていないことで、観客が抱く感覚や感情が見えていないところがあるのでしょう。そういうときは、しっかりと向き合って糧にしています。また日本以外で上演されるときには作品から今の日本の姿を見る人もいるでしょうから、その自覚を持たなければいけないなとも思っています。
 
台本を書き始めてからずっと書きたいことは変わっていなくて、人間くささ、人そのものを描きたいと思っています。現代の人たちが突き当たってしまう問題に対してどう振る舞うのか、うまく振る舞えない状態をどうさらけ出すのか。人だからしょうがないというところを描く中で、僕たちはそれを責めずに許し合いながら生きていくことはできないだろうか、ということも描きたいと思っています。

【公演情報】

  1. 『車窓から、世界の』

    兵庫県立尼崎青少年創造劇場ピッコロシアターが1994年に設立した全国初の県立劇団・兵庫県立ピッコロ劇団が主催する実験的な企画「オフシアター」公演として2014年初演。2016年、iaku公演として上田一軒の演出で上演。

  2. 新宿眼科画廊

    東京・新宿にある2004年12月開廊の現代アートギャラリー。1階は現代美術・写真・映像作品などを展示するスペース、地下に演劇などを上演する20~40席の小さなスペースがある。

  3. PARCO劇場

    東京・渋谷の商業施設「渋谷PARCO」にある劇場。1973年にオープン(当時の名称は西武劇場)、2016年夏より休館、2020年3月に客席を458席から636席に増設して新たにオープンした。プロデュース公演の先駆けとして数多くのエンターテインメント作品を発信。

  4. 現代口語演劇

    1990年代に劇作家・演出家の平田オリザが、日常会話の言葉遣い(口語)を戯曲に取り入れることを提唱し、日本の現代演劇に大きな影響を与えた。

  5. 戯曲デジタルアーカイブ

    「一人でも多くの方に、末永く戯曲を味わってほしい、また適切な方法で演劇作品として上演してもらいたい」という思いで、2021年より一般社団法人日本劇作家協会が企画・制作・運営するウェブサイト。2026年3月現在、横山の戯曲は『人の気も知らないで』『エダニク』のほか、『仮面夫婦の鑑』(2011年初演)、『モモンバのくくり罠』(2023年初演)が掲載されている。https://playtextdigitalarchive.com/public/

  6. 『逢いにいくの、雨だけど』

    2018年に三鷹市芸術文化センター 星のホールで初演された作品。2022年、ソウル龍山区青坡路(ヨンサング・チョンパロ)の国立劇団ペクソンヒ・チャンミンホ劇場で朗読公演(翻訳:李惠貞(イ・ヘリ)、演出:イ・ヤング)として上演されて以降、さまざまなプロダクションが上演。

  7. 『エダニク』

    2009年に「真夏の會」で初演された横山拓也の代表作。国際交流基金の戯曲翻訳出版事業で中国語版(翻訳:郑世凤)が出版され、2024年には中国の上海戯劇学院によって上演された。演出は李旻原(イ・ミンユェン)。また、2025年にはスペイン語版(翻訳:マルタ・E・ガジェゴ)でマドリードを拠点とする劇団KATSUKOによって上演された。演出はサミュエル・ヴィユエラ・ゴンザレス、アルバ・エンリケス。『エダニク』

  • Ⓒ 阿部章仁
    協力:iaku