金城真次/仲嶺絵里奈/平岡あみ/村上佳子

金城真次/仲嶺絵里奈/平岡あみ/村上佳子

特集・舞台芸術でめぐる沖縄<2>国立劇場おきなわ、那覇文化芸術劇場なはーと+カルチャースポット紹介コラム

ⓒ 北上奈生子

2025.08.12

独立国家であった琉球王国(15~19世紀)を経て近代に日本へ編入したことで、今も独自の伝統文化が息づく沖縄。第二次世界大戦では激烈な地上戦の場となり、戦後はアメリカの統治下に置かれて、1972年に日本へ復帰。その後も広大な米軍基地を抱えつつ発展するなかで、21世紀に入って新たな芸術文化施設が相次いで誕生している。

半世紀にわたり沖縄から問題作を発信し続けてきたベテランプロデューサーが運営を引き継いだひめゆり学徒隊(*1)同窓会館のホールから、コロナ禍に誕生した大・小劇場を含む那覇市直営の文化複合施設まで。2000年以降にオープンした5つの劇場やホールとそのキーパーソンへのインタビューと、沖縄に行ったら訪ねておきたいカルチャースポット紹介コラム、そして沖縄を代表する平成生まれの劇作家・兼島拓也とその戯曲についての深掘り 。計3つの切り口で3回にわたって沖縄の最新パフォーミングアーツ事情を取り上げる。第2回は、5つの劇場・ホール<後編>(第1回<前編>)の2つの公立劇場のプレゼンター・インタビューと、沖縄の舞台芸術を知る上できっと役に立つ、半端ない刺激と学びに満ちたカルチャースポット紹介。

取材・文/真栄城潤一

④国立劇場おきなわ

  • 国立劇場おきなわ
    沖縄県浦添市勢理客4ー14ー1
    開館年:2004年1月
    客席数:大劇場632席/小劇場255席

国の重要無形文化財「組踊」(*2)から沖縄各地の生活に根付いた民俗芸能、そして沖縄に影響を与えたアジア・太平洋地域の芸能まで、歴史と伝統の文脈を紡ぐ演目を上演。日本の伝統芸能系国立劇場の中で唯一、芸術監督の職責を務める金城真次さんに沖縄の芸能と劇場について語ってもらった。

沖縄に国立劇場があることの意義、そして沖縄の芸能についてどのような考えをお持ちでしょうか。
国立劇場は日本全国あらゆるところにあるわけではありません。なぜ沖縄にあるのかと考えると、日本本土のつながりと、その昔交易をしていた中国や韓国などの海外とのつながりの中間地点という意味合いも見いだせます。加えて、沖縄の芸能はかなり種類が豊富で、たくさんの引き出しを持っている。琉球舞踊(*3)や組踊など代表的なものもそうですけれども、それを支えている音楽にも、さまざまな伝統的な楽器があります。三線だけでも古典音楽から民謡まで幅広くて、歌の数も多いですし、沖縄芝居(*4)もあるわけです。
その意味で、伝統芸能の継承者は古典芸能の世界だけではなく、一般にもたくさんいらっしゃる。地域の民族芸能も、沖縄の芸能の大事な部分です。このように芸能がすごく身近にあるのが沖縄ではないかと思います。私たちはこの劇場でそういったものをできるだけ網羅して、皆さまに提供していく責任を感じながら運営しています。
なぜ芸術監督が置かれるようになったのかは、実は私もわからないんですが(笑)、沖縄の芸能の全てがわかる人がいないと成り立たないことが理由ではないか。そう思えるほど、範囲も種類も多いのは確かです。
  • 金城真次さん

国立劇場で披露される演目は具体的にはどのような内容の作品を選んでいますか。
年間を通して公演の種類をいくつかに分けて取り組んでいます。定期公演としては琉球舞踊、組踊、三線を中心とする音楽、そして沖縄芝居。さらに民俗芸能の公演と、それとは別のアジア太平洋地域の芸能公演も、それぞれ年に1回は必ずやっていますね。基本的には琉球舞踊や三線音楽、沖縄芝居、組踊では第一線で現在活躍なさっている皆さんを中心に出演してもらい、各分野とも、これから見始めますという人たち向けの普及公演には、若手実演家の皆さんに出演していただいていますね。
  • 古典女踊『稲まづん』 金城真次 ⓒ 公益財団法人国立劇場おきなわ運営財団

「普及」という言葉が出ましたが、特に伝統芸能となると一般的には近づきがたさを感じる部分があるかと思います。間口を広げていくため、魅力を知ってもらうために取り組んでいることはありますか。
おっしゃるとおり、近づきがたい作品も実際にあります。でも、そうでないものもあると思うんですね。それが沖縄のいいところです。例えば、各地域の自治会や婦人会の活動で「かぎやで風」(*5)を習っているとか、家に踊り用の扇子を1本持ってますよ、という方は結構いらっしゃいます。また、この劇場ができてからは小中学校の芸術鑑賞会で沖縄の各種芸能を観る取組ができましたし、地元の浦添市とは組踊ワークショップを毎年行っています。夏休みに親子でも楽しんでもらえるような普及公演では、どう見たら楽しめるかの解説をつけたり、音楽の鑑賞教室では実際に楽器に触れる体験コーナーを設けたり。楽しんでもらえて飽きさせないような“第一歩”をお届けしています。そこからより好きになってくれた方が、もうちょっと難しい演目も観に来てくれると嬉しいですね。
海外のお客様も、4、5年前には考えられなかったほど多く来館されています。劇場ウェブサイト(9か国語対応)のほか、ここはクルーズ船が停泊する港が近いこともあって、港に劇場のチラシを置いてもらっている効果もあるようです。館内ではいずれも英語・中国語・韓国語による場内アナウンスと、簡単な演目解説をお配りしています。
後継者や若手育成について、今後沖縄の伝統芸能を引っ張っていく後継者は育っていますか。
私の同世代は数少ないんですが、20代の方が急にポーンと出てきたりしますよ。開館の翌年から組踊研修(*6)が開始されて、2025年現在は7期生が研修を受けています。この制度を修了したメンバーは当劇場自主公演に出演するようになります。研修生は基本的には経験者の方々が応募してきてくれて、今のところ募集人数を超えた応募者がいますね、ありがたいことに。ただし、必ずしもこの人たち全員が芸能を生業にしていけるわけではないので、その点についてどうしていくべきかは、常に考えています。
  1. ひめゆり学徒隊

    第二次世界大戦で地上戦が繰り広げられた沖縄の戦場に動員され、主に看護活動に従事していた女子学徒隊の中で、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女学生で構成された隊を指す。文学や漫画、そして映画でも繰り返しテーマとして取り上げられている。

  2. 組踊

    琉球王国時代、首里王府が中国皇帝の使者・冊封使を歓待するために創作した歌舞劇。せりふ、音楽、所作、舞踊で構成される。琉球古来の芸能と故事を基礎に、能や狂言、歌舞伎などの大和芸能と中国戯曲にも着想を得ている。1972年、沖縄の日本本土復帰と同時期に国の重要無形文化財に指定された。

  3. 琉球舞踊

    沖縄の伝統的な舞踊で「古典舞踊」「雑踊」「創作舞踊」に大別される。古典舞踊は古くからあった祭祀芸能を母体にし、優れた芸術家たちによって磨き上げられていった。雑踊は古典舞踊に民謡や風俗が取り入れられて庶民の生活が主題となっている。そして戦後に隆盛した伝統芸能活動の中で生み出された作品を創作舞踊と呼ぶ。

  4. 沖縄芝居

    組踊などの宮廷芸能に対し、庶民の声を取り入れて民の暮らしを描いた舞台芸術で、「歌劇」と「方言せりふ劇」に分類される。歌劇は歌、せりふ、所作、舞踊で組み立てられた歌舞劇。一方、方言せりふ劇は日常的に使われていた沖縄の言葉(琉球方言)に近いせりふで演じられる。

  5. かぎやで風

    琉球古典音楽の代表的な楽曲。披露宴など、祝いの席の幕開けに必ずといっていいほど演奏され、沖縄県民ならば誰しもが耳に覚えのある曲。「かぎやで」と表記して「かじゃでぃ」と発音する。

  6. 組踊研修

    組踊の保存継承を目的に、優れた若手の立方(たちかた)・地方(じかた)を確保し、演者の技芸向上のため2005年から実施されている研修制度。3年間の研修期間で、代表的な組踊の6演目の習得を目指す。

⑤那覇文化芸術劇場なはーと

2021年のコロナ禍、那覇の街の中に開館。那覇市“直営”の施設として、土地の歴史と地域とのつながりを請け負うこと、劇場としての役割をどのように引き受けていくのか、企画制作主任専門員の仲嶺絵里奈さん、平岡あみさん、村上佳子さんの3人に聞いた。

那覇文化芸術劇場なはーとにはどんな特徴がありますか。
仲嶺 なはーとは旧久茂地小学校・幼稚園の跡地に建設されたのですが、その小学校中心に街が成り立っていたこともあり、近隣の人たちが動揺し反対運動まで巻き起こったという前段階があるのは特徴的かもしれません。劇場ができれば街も活性化します、ということを説明しながら工事中の現場の壁に絵を描いたり、市民参加型でどんな劇場にしたいかというワークショップを開いたり、いろいろと理解を求めるような活動に開館前から取り組んでいました。今となっては劇場の周りに飲食店も増え、街が賑やかになり、「休館の日には、ちょっと寂しくなる」と言われるぐらいにはなったんですけども。
そのため、小学校という「場所性」、土地が持つ歴史をちゃんと考えて作品を作ってくれるアーティストの方が多いのを感じることがありますね。地域の人たちとの関わり方も重要なミッションなので、その意味では結果的に小学校跡地でよかったかなと感じています。

平岡 演劇や舞台を見に来るのじゃなくても、人が集えるようなスペースになってほしいという思いも込められてできた場所なので、自主企画のトークイベントなども積極的に催しています。人と人とが対話できるきっかけを生み出すような施設になればいいなと。
  • 左から仲嶺絵里奈さん、平岡あみさん、村上佳子さん

前身的な位置付けの施設が2016年に休館した那覇市民会館(*7)で、長い間市民だけでなく県民から愛着を持たれた建物でした。なはーととの役割の違い、またはつながりはありますか。
仲嶺 沖縄本土復帰の2年前に開館した那覇市民会館は、落成記念行事に携わる現場の人々にとっては国立劇場が建つことに相当するという思いがあり、利用者の範囲が那覇市民だけでなく全県民的なニュアンスがありました。そのときの役割として、集会の場や公民館的な機能を担っていて、貸し館がメインで催事や展示会なんかもやっていました。
現在のなはーととも共通してるのは「沖縄の伝統芸能(*8)を育んでいく場」にしたいという思いがあること。三線や舞踊の発表会のメイン会場として長らく稼働していたので、地元の人たちからすると芸能を発信する拠点という意識もあるし、そのイメージを持っている方も多いのではないかと思いますね。
そういった沖縄の芸能をテーマにした公演は、なはーとでもやっていますか。
村上 沖縄の芸能を知ってもらうため、子どもたちでも両親や祖父母と一緒に、家族で観られるような値段設定の公演も企画しています。また、那覇市の指定無形民俗文化財に登録されている地域芸能を披露する「TSUNAGU」という公演は、地域行事でしか見れないものを広く知ってもらうと同時に、舞台でスポットを当てることによって自分たちがやっていることに誇りを持てることを目指す事業です。これは那覇市の文化振興課が2015年から取り組んでいるものを、なはーとでもつないでいます。
  • 地域文化芸能公演『TSUNAGU』

  • 白神ももこ×兼島拓也 『花売の縁オン(ザ)ライン』ⓒ 仲間勇太

これからなはーとをどんな劇場にしていきたいですか
平岡 なはーとの管理運営計画では5年ごとに目標があって、最初の5年は土台作り。間もなく開館して5年になるので、ここからは社会課題に文化芸術からどうアプローチしていくかが大きな目標だと思っています。例えばバリアフリーの問題や外国人の方々への芸術に触れる機会の提供などについて、文化芸術が果たせる役割が何かしらあると思っています。
 
仲嶺 舞台に関わる専門的な人材育成に取り組むこと、そして利用する方が本当に使いやすい劇場づくりをしなければならないと考えています。「敷居が高い」という一言をいろいろなところから聞くので、まちづくりと連携した劇場のあり方にもより一層向き合わなければならないですね。
 
村上 これまでの4年間でやってきたさまざまな事業には、単発で終わっているものもあるんですが、そこに可能性が眠っていることもあるので、きちんと丁寧に拾い上げていきたい。今までに作り上げてきた方々とのご縁も、次の5年の定着期を固めていくことにつなげたいと考えています。そして、なはーとは那覇市直営の劇場なので、その強みを駆使して他課との連携をしながら、社会包括的な分野でも芸術・文化による社会課題の解決を模索していきたいと思っています。
  1. 那覇市民会館

    米国施政権下の1970年に県内初の本格的舞台を備えた公会堂として整備された。沖縄各地から集められた資材によって、沖縄民家の伝統的な建築様式を採り入れて建設されており、建築家・金城信吉氏による設計も評価が高い。1972年の沖縄復帰記念式典の際には東京の日本武道館とともに会場として使用された。老朽化によって2016年に休館、25年5月現在は解体工事が進められている。

  2. 沖縄の伝統芸能

    かつて琉球王国として栄えていた沖縄は、中国や日本、東南アジアなどの近隣の国々から影響を受けながら独自の芸能を築いてきた。沖縄の芸能は「宮廷芸能」と「民俗芸能」の2種類に大別され、前者には「組踊」「御冠船踊」などがあり、後者は「獅子舞」「エイサー」「民謡」が代表的なもの。

  • ⓒ 那覇市

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<コラム>カルチャースポットで巡る沖縄(⑥~⑫)

複雑で特異な歴史を経て、独自のカルチャーが醸成されてきた沖縄。ここまで紹介してきた劇場で鑑賞する舞台芸術の深みを増し、沖縄をより一層理解する“解像度を上げる”ためのスポットをいくつか紹介したい。

第二次世界大戦における日本本土の地上戦で、民間人を含む約20万人が犠牲となった1945年の沖縄戦。「芸術の力」でこの悲劇に向き合う場として、まずは宜野湾市の米軍普天間飛行場(*9)のすぐそばにある⑥「佐喜眞美術館」に行こう。入り口から順路に沿って数々の常設展示作品を鑑賞して第三展示室にたどり着き、丸木位里・俊(*10)の夫妻が魂を刻み込んだ「沖縄戦の図」に直面すれば、心の震えとともに脳裡に思考がうごめく感覚にあらがうことはできない。

佐喜眞道夫館長はコレクションのテーマを「生と死」「苦悩と救済」「人間と戦争」と述べている。館内の作品を堪能した後は、沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」(*11)の6月23日に合わせた6+23段の階段を踏み締めて普天間飛行場を望む屋上に足を運んでみてほしい。

佐喜眞美術館から車で10分ほど北東に進むと、注目の若手劇作家・兼島拓也の代表作のタイトルにもある巨大ショッピングモール⑦「ライカム」(イオンモール沖縄ライカム)が目に入る。さらに北上すると、米軍嘉手納基地(*12)の米兵たちで賑わい、アメリカンカルチャーの影響をダイレクトに受けた独自の空気感漂う沖縄市コザだ。ここには、知る人ぞ知る街の映画館⑧「シアタードーナツ」(通称:シアド)がある。館長を務めるコザ出身の宮島真一さんは、映画少年として過ごしながら、街の移ろいを見届けてきた。その経験を踏まえ、多くの人に今一番届けたい上映作品を選定している。
そんなシアドの最も大きな特徴は、全ての上映回に宮島さんの前説・後説がつくことだ。沖縄県ではない日本のどこか、あるいは日本ではない海外のどこかを舞台とする映画を観た後でも、宮島さんの言葉を介して、今立っているコザの街の匂いと映画のワンシーンがつながる瞬間がある。その心地を味わいに、そしてシアドを訪れる人たちとゆんたく(おしゃべり)しに、扉を開けてみてほしい。

宮島さんによると、シアドは沖縄県内最北端に位置する映画館とのこと。ここからさらに10分ほど北西に走ると、沖縄市、北谷町、そして嘉手納町にまたがる嘉手納基地を眺められる⑨「道の駅かでな」に到着する。4階の展望所でその広大な規模を目の当たりにした後は、2023年にリニューアルオープンした3階の学習展示室で、基地を抱える町の現実や戦前・戦後の歴史などをわかりやすく学ぶことができる。

米軍基地の影響が色濃い中部を巡った後は、南に移動して県庁所在地・那覇へ。沖縄の戦後復興期を担い、県民の生活を支えてきた第一牧志公設市場(*13)の近くに⑩「桜坂劇場」がある。歴史を感じさせる建物は、戦後間もない1952年に開業した沖縄芝居を上演する「珊瑚座」という芝居小屋だった。翌年に映画館に姿を変え、その後は経営的な危機も乗り越えながら、地域の映画館およびカルチャーの発信地として独特の存在感を放っている。
沖縄関連の作品はもちろんのこと、ミニシアター系の映画作品の上映以外にも、音楽、お笑いなどのライブやイベントも開催されている。また、ワークショップ・プログラム「桜坂市民大学」も主宰しており、沖縄文化や映画・脚本を学ぶ講座を開いている。あたり一帯が焼け野原になった沖縄の戦後、当時の県民たちの唯一と言っていい娯楽である沖縄芝居の上演から歴史を刻み始めた桜坂劇場での映画体験は、なかなか得難いものになるはずだ。

最後に、沖縄の出版文化についても触れておきたい。沖縄には小規模な地元出版社が多数存在しており、出版文化が独自の発展を遂げている。県内の出版社で刊行された沖縄の本は「県産本」と呼ばれ、戦後から現在まで次々と新刊が書店に並んできた。そんな状況の中、これまで刊行されてきた書籍には版を重ねられず絶版になった本も数知れない。そこで、過去に出版された本にあたるにはまずは⑪「沖縄県立図書館」に行くのがいいだろう。
商業ビル内にある図書館の5階フロアは丸ごと沖縄関連本を扱っており、貴重な資料や県産本を所蔵する郷土資料室も合わせて347,268冊(2024年6月現在)もの蔵書数を誇る。全てを網羅しているわけではないが、アクセスしたい沖縄の情報があれば、ほぼ確実にその一端に触れることができるだろう。

また、最新の県産本をチェックするのであれば、那覇市牧志にある⑫「ジュンク堂書店 那覇店」へ足を運ぼう。
入店してすぐに目に飛び込んでくる棚には、沖縄本に大きなスペースが割かれており、最新刊や話題の本が通年で並ぶ。さらに店内の沖縄本コーナーには、歴史、経済、社会、文学、食、アート、音楽、写真……といったジャンル別で多くの県産本が陳列されており、手にとって読み始めると時間がいくらあっても足りない。加えて、県内の老舗の古本屋では新刊書店では購入できない多くの“県産古本”を扱っており、図書館やジュンク堂では見かけなかった掘り出し物に出会えることもあるかもしれない。

  1. 米軍普天間飛行場

    宜野湾市の中央にある海兵隊の航空基地。市域面積の約25%を占めている。

  2. 丸木位里・俊

    位里(1901-1995)は戦前、独創的な水墨画を発表して高い評価を受けた。俊(1912-2000)は油絵や挿絵を多数発表し油彩画家・絵本作家として活動。1941年に結婚して以来、数々の作品を夫婦共同制作で発表した。

  3. 慰霊の日

    沖縄県が制定している記念日で、沖縄戦の戦没者を追悼し平和を願う日。日付は6月23日。毎年、糸満市摩文仁にある平和祈念公園で全戦没者追悼式が行われる。

  4. 米軍嘉手納基地

    沖縄本島中部に位置し、嘉手納町、沖縄市、北谷町にまたがる米軍基地で「極東最大の空軍基地」と呼ばれている。

  5. 第一牧志公設市場

    「市民・県民の台所」として親しまれてきた、那覇市にある公設市場。戦後に点在していた闇市が1950年に束ねられて那覇市営の牧志公設市場として開設された。

  • ⓒ 北上奈生子

金城真次

ⓒ 北上奈生子

金城真次Shinji Kinjo

1987年生まれ。幼少期より、琉球舞踊を玉城流扇寿会家元の谷田嘉子・金城美枝子に師事。国立劇場おきなわ組踊研修修了。沖縄県立芸術大学舞台芸術専攻琉球舞踊組踊専修修了。沖縄県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者。沖縄タイムス芸術選賞奨励賞(演劇部門)受賞。2017年「第一回 金城真次の会~舞抒情~」を国立劇場おきなわ大劇場にて開催。2022年「第二回 金城真次の会~舞春興~」を琉球新報ホールにて開催。2022年4月より、国立劇場おきなわ芸術監督に就任。玉城流扇寿会師範。琉球舞踊・組踊・沖縄芝居の公演を中心に、実演家・指導者・演出家として活動している。

国立劇場おきなわ

仲嶺絵里奈

ⓒ 北上奈生子

仲嶺絵里奈Erina Nakamine

沖縄県出身。沖縄県立芸術大学芸術学専攻を卒業し、同大学大学院舞台芸術専修を修了。琉球王国時代から近代沖縄の美術工芸担当の学芸員として県内博物館等で勤め、2021年から那覇文化芸術劇場なはーと企画制作主任専門員、キュレーターとなる。同劇場では現代美術の展覧会や舞台の企画制作を務め、展覧会「塩田千春 いのちのかたち」、照屋勇賢展「CHORUS」等や、開館記念式典の琉球芸能による舞台「こけら落としの儀」、オペラ「魔笛」の沖縄版「照屋勇賢『魔笛』」等を手掛ける。琉球舞踊家としても活動し、第6回国立劇場おきなわ「創作舞踊大賞」佳作を受賞。琉舞研究所を主宰する。沖縄県立芸術大学非常勤講師。

平岡あみ

ⓒ 北上奈生子

平岡あみAmy Hiraoka

1994年生まれ、東京都出身。那覇文化芸術劇場なはーと企画制作主任専門員、アートコーディネーター。2016年より那覇市在住。沖縄県文化振興会・沖縄アーツカウンシルプログラムオフィサーを経て、2020年より現職・那覇文化芸術劇場なはーとにて事業の企画制作を担当。開館前より携わり、2021年の開館初年度にはマームとジプシー『Light house』、2023年「なはーとジャズマンス」、2024年「なはーとベイビーシアタープロジェクト」等を担当。個人の活動として、2017年よりシェアハウス兼アーティストインレジデンスのできる施設を運営している。

村上佳子

ⓒ 北上奈生子

村上佳子Yoshiko Murakami

愛媛県出身。那覇文化芸術劇場なはーと企画制作主任専門員、プロデューサー。2002年より沖縄在住。開館の年度(2021年度)より現職・那覇文化芸術劇場なはーとにて事業の企画制作を担当。2021年「地域文化芸能公演TSUNAGU」、2022年「史劇『首里城明け渡し』」、2024年「ドーナツ盤からの唄声~沖縄民謡最盛期の情熱~」、「琉球諸嶋風物詩集~惣之助の詠んだ沖縄~」等を担当。個人の活動として、1997年より歌三線を始め、現在、国指定重要無形文化財「琉球舞踊」地方(三線)伝承者、県指定無形文化財「琉球歌劇」地方(三線)伝承者、県指定無形文化財「沖縄伝統音楽野村流」伝承者、琉球古典音楽野村流師範、琉球民謡師範として活動している。