An Overview 解説

地方分権化の実態
しかし、ラングがスタートさせた既述の一連の文化政策は、はたして企図どおりの効果をもたらしたのだろうか。また、それらは本当に、ミッテランが志向していたのとは対照的な、革新的な政策だといえるのだろうか。 キム・エリングの最近の調査によれば、この一見すると派手なフランスの文化政策は、見掛けほど革新的でもなければ、同時に中央集権的でもないようである。それどころかエリングは、フランスの文化政策における政策決定過程は、実際上はイギリスのように第三者機関が中心となったものとさほど変わらないと主張しているのである。 例えば地方分権化の実際に注目するなら、文化省は地方自治体へ完全に権限を委譲したわけではなく、現代美術地域基金(FRAC *3)や美術館購入地域基金(FRAM *4)、地域文化遺産委員会(COREPHAE *5)といった助成機関を設置することによって、分散化やパートナーシップを図った。また文化省は、地域圏文化局のネットワークを整備し、そこに人的財政的資源を投入していった。さらに重要なのは、契約政策という形式が拡大され、その中に地域圏文化局が組み込まれたことである。 これにより、文化政策に関する自治体の助成金使用の自由は、地域圏文化局と取り交わされる契約によって、実際上は制限されてしまうこととなった。つまり、この政策のおかげで地方への国家予算の分配が増大したのだが、一方でそこには、いわば家父長制度的な国家の温情主義が働く仕組みになっているのである。実際、現在に至るまで、地域圏文化局は優先的に支援すべき自治体の選定に関して、文化省から年度ごとに指導を受けているという。そしてこうした交渉事に精通していない地方当局が、文化省が「真の対話の産物」として提示する計画を素直に受け入れてしまっているというのである。 もちろん、こうした契約政策は地方自治体の意向を無視して行われたわけではない。支援対象が特定の地域に偏るということは事実上なく、82年の契約にはすべての地域がサインしており、そのうちのほとんどが契約更新に応じた。さらに、この契約は地方当局の投資活動を活発化させる役割を果たした。そして何より、こうした政策の結果、地方自治体の文化予算の総計は、文化省も含めた国家全体の文化関係予算よりも多くなっているのである。 しかしこれは、文化省が自らの懐を痛めないままに地方の政策決定に介入する権利を握っているとも解釈できるだろう。エリングによれば、地方自治体にとって文化省が文化政策のパートナーとなるということは、プログラムの「質」が保証されたことを含意するのだという。それだけ、文化省やその下部機関である地域圏文化局の価値判断は大きな力をもっているのである。 ところで、この中央と地方との不均衡に関してよりあからさまなのが、グラン・プロジェであった。国家の文化的支出は毎年増加傾向にあるものの、グラン・プロジェのための予算は81年にはそのうちの約15%を占めるにとどまっていたのに対し、86年には70%近くを占めるに至ったのである。このため、予算を他の芸術文化支援に回す余裕がなくなり、必然的に他の文化政策は規模の縮小を余儀なくされた。もちろん地方分権化政策も、このグラン・プロジェのせいで被害を受けている。例えば地方分権化に割り当てられた予算は、85年には1億2,600万フランであったのに、翌86年には6,300万フランと、約半分にまで削減された。それになにより、これらの建設計画はすべてパリにおいてなされたのであって、地方分権化という社会党の目標には反するものであったといえるだろう。 |
ロンドンのケース
それでは、ACE、RAB、地方自治体が、どのような政策、方針の下に実際にどのような活動を行っているのか、ロンドンを例にとって見てみよう。
ACEの芸術部は、ダンス、演劇、文学、音楽、ヴィジュアル・アート、地方公演、観客開発、放送・ニューメディアの8部門に分かれており、各部門の専門家が働いている。委員会の中にも彫刻家や作家など現場のアーティストが含まれ、芸術家と自由な討論を重ねながら、よりよい形で資金配分が行われるようになっている。 ACEから援助金を貰っている団体には、ロイヤル・シェイクスピア劇団、ロイヤル・オペラ・ハウス、サウスバンク・センターなどがあり、ACE予算の30%がRABに配分されている。文化省から貰った99年度予算は、約2億2,700万ポンド。
芸術部門には、演劇、複合芸術、ヴィジュアル・アート、文学、ダンス、音楽の専門家を含む18人が働いているが、今後ACEからより多くの責任や業務を引き受けるため、4月からは芸術部門だけでも31人に職員を増やす予定。委員会には、芸術、経済、放送、教育、運営管理など現場で活躍する人たちが含まれている。 資金は主としてACEとクラフト・カウンシルから貰っており、99年度予算は1,574万ポンド。1組織への年間助成金は、5,000ポンドから5万ポンドで、現在は128の芸術組織やアーティストを助成し、その成果をモニターしている。ACEと比較すると、中・小規模の芸術団体の助成やコミュニティベースの芸術活動のサポートをしている。
86年まではロンドン市内の芸術助成は、ロンドンとその周辺全体を統括する地方自治体、グレーター・ロンドン・カウンシル(GLC)とその関連組織であるグレーター・ロンドン・アーツ(GLA)やインナー・ロンドン・エデュケーション・オーソリティ(ILEA)が行っていた。ところが、サッチャー前首相は、GLCが左翼的で何かというと政府の政策に楯突くので、86年にGLC自体を全面的に廃止してしまった。そのため、ロンドンとその周辺の地方自治体は、急遽これまでGLAやILEAが行ってきた芸術助成の一部を肩代わりして行わなければならなくなり、今日に至っている。 WCCの芸術課は教育部の中にあり、13年前は1人で業務を担当していたが、現在は2人に増員されている。 WCCはロンドンの中心部を管轄としているため、全国レベルの大規模な芸術団体がたくさんある上に、ロンドンのみの芸術団体、WCC地区のみのコミュニティ団体も存在するという特殊な立場にある。そのため、WCCでは、地域住民のためだけでなく、ロンドンを訪れる来訪者も含めて考慮し、芸術援助を行っている。 WCCに拠点を置く組織、プロジェクトやイベント、アーティスト・イン・レジデンスなど教育関係、新しいアイディアを発展させるイニシアチブ基金などに対して援助が行われている。 99年度の年間予算は120万ポンドで、芸術予算はロンドンの中でも多いほうだ。それは伝統的にWCCが芸術を大切だと考えていることと、芸術の発展が観光など地元の就業活性化に役立つという利点もあるからだ。 芸術援助を行うかどうかは、その組織やプロジェクトが地元の地域社会に関係あるか、その活動をしてほしいという要求があるかなどによって判定している。芸術援助の募集は、図書館などに張り紙を出し、年に4~5回異なった時期に、それから2~3カ月後の援助を求める団体やプロジェクトを募っている。 WCCでユニークなのは、地元住民で芸術文化に関心のある人に、外部のカード会社を使ってレス・カードという特別な住民用カードを発行していることだ。例えば、WCC地区のレス・カード・システムに加入している美術館や劇場で、このカードを見せれば、10~50%の割引が受けられ、割り引き分を美術館や劇場が後でWCCに請求し、芸術援助金から支払われるというシステムだ。現在地元住民の4分の1がこのカードを所有していて、大変評判がよいという。
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韓国メセナ協議会
韓国メセナ協議会は、唯一のメセナ組織として1994年に社団法人としてスタートした。2005年3月現在、119社が会員として、次のような目標を持って活動している。(1)文化を通じた社会貢献に対する認識の普及、(2)大衆の中でのメセナ運動の活性化、(3)国際的に連携したメセナ運動のグローバルイメージの普及。その具体的な活動として、(1)企業と芸術文化団体との窓口、(2)メセナ大賞(1991年より施行)、(3)個人や老人ホームなどを訪問してのメセナ主催の行事、(4)公演チケットをはじめとする物品寄贈のメセナ・ドネーション、(5)メセナ優秀企業賞の授与などを行なっている。 2000年のデータ-を基にすると、文化芸術に対する支援としては、会員の自社財団所有の施設物に対する支援がそのほとんどであり、総支援金額の70%以上となっている。民間の文化芸術団体に対する支援は、美術がもっとも多く約13%、音楽、舞踊、演劇などの舞台芸術に対する支援は全体の8%余りとかなり少なくなっている。この数値で留意しなければならないのは、これが韓国メセナ協議会の独自の支援数値というより、各会員企業の文化芸術に対する支援金額をすべて合わせた数値であるという点だ。つまり、韓国の企業メセナ活動はメセナ協議会の次元で行われているというよりは、各企業別あるいは企業家別に行われているとみなければいけない。 つまり、劇場や舞台芸術団体が、実際に企業から財政的な支援を受けようとする場合、韓国メセナ協議会はそれほど有用な窓口にはなっていないということだ。韓国のメセナ活動について議論を行い、メセナ活動に対する理解を普及するのが、ここの大きな役割と言える。 企業独自の文化財団 韓国の数多い公益財団の中でも、特に公演芸術分野に支援をしているのは、錦湖アシアナグループの錦湖文化財団、教保生命保険(株)の大山文化財団、LGグループのヨンアム文化財団、三星グループの三星文化財団の4つの財団である。 錦湖文化財団は、クラッシック音楽と美術を集中的に支援する文化財団である。音楽部門では、室内楽専用ホールである錦湖ホールと財団直属の管弦四重奏団を運営し、特に若い音楽家たちを支援している。美術部門では錦湖美術館を運営し、韓国の現代美術を主に展示・収集している。 大山文化財団は、1992年より資金をはじめとする設立準備が行われ、97年に正式に発足した。主な支援対象は文学だが、この財団のキーワードが“農村”“青少年”“文学”ということで、舞台芸術団体は青少年演劇祭や地域演劇祭などのプログラム、および韓国の戯曲の翻訳と海外紹介について支援を受けてきた。 ヨンナム文化財団は、LGアートセンターを2000年に開館し、その運営とともに舞台芸術界を支援してきている。この劇場は事業収入よりもかなり多い金額が財団から支給されており、招聘公演であれ、貸館公演であれ、公演自体が間接的に財団の支援を受けて行われている。また、海外の優れた公演を時差なく韓国に招聘し、舞台芸術の新たな観客層の拡大と国際交流に貢献している。 三星文化財団は、三星文学賞を通じて舞台芸術を支援している。三星文学賞には戯曲部門があり、受賞した作品を公演する場合に公演団体に製作支援をしている。ここから多くの新人劇作家が巣立ち、現在の韓国演劇界を担っている。また、メンピストという韓国最初の民間海外研修プログラムをつくり、演劇人の育成と言う長期的な展望を持った支援も行っている。 公企業のメセナ活動 政府が出資したり、実際上の経営権を持つ公企業は民間企業より公共性が高く、それとともに社会公益事業に対する関心も高い。その中で、積極的に舞台芸術に対し支援をしているのは、韓国馬事会(非営利特殊法人)、ポハン製鉄、韓国電力公社、韓国煙草人参公社であり、それ以外にも韓国ガス公社、韓国土地公社なども比較的関心を持っている。これらの公企業の場合、一般企業のメセナ活動が興行性のある商業演劇に偏りがちになるのに比べ、公演の内容や意図に力点を置き、地味ではあっても公益性の高い、社会的意味がある舞台芸術公演に支援をしている。 その他のメセナ活動 直接的な支援の他に、後援会の会員として、劇場や文化芸術団体の年間スポンサーという形で製作費支援に比べれば小額ではあるが一定の支援を続ける企業もある。企業の広報活動の一環である広告費として一部製作費を提供する支援、また最近では実際の金銭ではなく、自社の製品を提供し、公演時に観客に配布するイベント型の支援など、多様な形がある。 |
フィンランドのダンスの特徴
〈コラボレーション〉 フィンランドでは、さまざまな他ジャンルのアーティストとのコラボレーションが活発で、とりわけメディア・アーティストや照明家などとのコラボレーションが盛んだ。個人的な印象だが、フィンランドのダンスには照明デザイン的に美しいものが多く、繊細な表情を持つ照明美術の発展は、夏は白夜で白く輝き、冬は闇が圧倒的に支配して、極北ではオーロラも観察されるというフィンランドの風土が持つドラマティックな側面と無縁ではないような気がする。 ◎ ミキ・クント(Mikki Kunttu) フィンランドを代表する照明デザイナー。冒頭で紹介したサーリネンの作品では、ミキ・クントの自然光を模した照明が、禁欲的な生活を通して宗教的な高みへと至ろうとする精神性をテーマとする作品の世界を抽象化するのに貢献した。 ◎ マリア・リウリア(Marita Liulia) マルチメディア・アーティスト。ストラヴィンスキーの音楽『春の祭典』をモチーフにしたソロ『Hunt』では、無音から音楽とともに身体が弾け出し、終盤、マリア・リウリアの映像が肉体に照射され、映像と身体が溶け合い、存在の多重性を浮かび上がらせる。情報化時代の身体を視覚的に表現して秀逸だった。 ◎ キンモ・コスケラ(Kimmo Koskela) 映像作家。気鋭の振付家アリヤ・ラーティカイネン(Arja Raatikainen)の代表作『Opal-D』ではラーティカイネンのシンプルな振付にキンモ・コスケラの東京を映した美しく活気のある映像が絶妙のコントラストを生んだ。 〈舞踏の与えた影響〉 また、フィンランドのダンス界では、舞踏への関心が高く、舞踏を学んだり、その影響を受けた振付家やダンサーが多いのも特徴となっている。その背景には、自然と融和する伸びやかな自然観や、国民の大半を占めるフィン人の源流が遠く辿ればアジアともつながるという身体感があるのではないかと思われる。 たとえば、ヌードに対する感覚や姿勢は、フィンランド人の暮らしに溶け込んだサウナ文化とも関係がありそうだ。それは、ヨーロッパのほかの国、隣国スウェーデンのそれともまったく異なっている。裸は、フィンランド人にとっては、性を禁忌するタブーでも、逆にユートピア的な身体の解放でもなく、日常のなかを生きる極めて自然な存在のありようなのである。その意味で、肉体の真実や生の暗部を見つめ、病や死もダンス表現のなかに包含しようとする舞踏への関心が深いのも頷ける。 フィンランドでは、クオピオ・ダンス・フェスティバルの芸術監督を93年から98年の期間つとめたアジア芸術の研究家、ユッカ・ミエッティネン(Jukka Miettinen)がいち早く舞踏に注目し、カルロッタ池田と室伏鴻、大野一雄、山海塾、古川あんずなどを意欲的に紹介した。これを契機に、第一線で活躍するダンサーや振付家の中には、舞踏を学びに来日した人も少なくない。たとえば、フィンランド国立バレエ団のバレエ・ダンサーとして活躍後、現在は自らテロ・サーリネン&カンパニーを率いるテロ・サーリネンの場合、東京で大野一雄舞踏研究所に1年間在籍し、舞踏を学んでいるし、アリア・ラーティカイネンやアリ・テンフラも大野一雄や古川あんずに師事している。 フィンランドを訪れた舞踏家のなかには、ほかに岩名雅記などもいるが、中でも何度もワークショップなどを行って指導してきた故・古川あんずの影響が大きい。古川あんずは、大駱駝艦で活躍後、田村哲郎とともにダンス・ラヴ・マシーンを結成、その後、ドイツに移住、ヨーロッパを拠点に活躍を続け、多国籍なダンサーを擁してダンス・バターTokioを設立した。独特の諧謔性が際立つワイルドなダンス・シアター風の構成と、デフォルメされた身体の使い方などに、ドイツ表現主義舞踊と共通するものを見出したのが人気の秘密であろう。 フィンランドの大学で客員教授もつとめた古川あんずに、市立劇場では共同制作作品を委嘱し、1994年には、『春の祭典』、1995年には舞踏作品『棒(Keppi)』と『白い水(Villi Vesi)』を現地のフィンランド人ダンサーを中心に踊らせている。前者をヘルシンキで見たが、エロティックな猥雑さのなかに、日本人舞踏家とは異なるダイナミックな踊りのエネルギーが発散されていて魅力的だったのを憶えている。フィンランド有数のダンサー、アリ・テンフラは古川の『春の祭典』で重要な役を踊っているし、東京のパルコ劇場で上演された『中国の探偵』には、アリヤ・ラーティカイネン、アリ・テンフラらが出演している。 また、フィンランドのダンサーたちは、活躍年齢が非常に長いことがひとつの特徴になっている。従来、西欧の舞踊概念では、ダンサーの第一線での活躍は40代くらいまでと考えられてきた。しかし、フィンランドでは先に説明した舞踏への関心の背景にある身体のリアリティを重視する意識、あるいは舞踏の影響からか、50代を超えて活躍しているダンサーは多い。 |
広東省芸術研究所の取り組み~芸術家にスタジオを提供
そのひとつの例が、前述した政府系芸術団体が採算重視の製作体制へ移行し始めたことである。これまでは基本的に劇団内部の人員で作品を製作していたが、最近は作品ごとに中国全土から優秀かつ適切な人材を集めて作品製作を行うプロデュース方式へと変化してきている。 北京人芸も天津人芸も同様の取り組みを行っているが、最も顕著な例が香港、マカオに隣接する中国南部の広州市にある「広東省芸術研究所」の試みである。「研究所」という名称がイメージさせるのは、作品製作ではなく学術研究であろう。しかし、広東省芸術研究所は「研究、実験、製作」を三位一体のものとしてとらえて活動しており、さまざまな分野の芸術の製作活動を行っている。現代劇、広東省の伝統劇、伝統楽器の音楽ユニットなどその対象は幅広い。 この広東省芸術研究所の斬新な試みとして注目されるのが、芸術家に自由な創作活動の場として独立採算制のスタジオをもたせていることである。例えば、所属している演出家の王佳納(ワン・ジアナー)は、2000年4 月、研究所内に「佳納(ジアナー)戯劇工作室」をオープンした。同時に、舞台美術家、音楽家、映像監督も各自のスタジオを持ち、彼らはしばしば共同で作品の製作を行なっていると言う。 このように研究所ではさまざまな分野の芸術家の自由な活動を支援すると同時に、これら現代的な経営感覚を持ち合わせた各分野の第一線の芸術家を擁して、研究所としての作品も製作している。また、研究所内の芸術家に留まらず、全国から適材を探す傾向はここも同様である。こうした状況を見ると、広東省芸術研究所は研究所というよりプロダクションといったほうがより理解しやすい。 なお、個人のスタジオはその後も増え、最近は広東省歌舞劇院で民間および伝統舞踊を主に手掛ける30 歳代の若手演出家、王向東(ワン・シアンドン)を新たに招き入れ、モダンダンスでは広東実験現代舞団の団長である舞踊家、高成明(ガオ・チョンミン)にもまたスタジオを用意した。広東実験現代舞団は92年に設立された中国初の現代舞踊団だが、舞台芸術監督である香港の舞踊家・曹誠淵(ウィリー・ツァオ)と最近資本提携をしたばかりである。香港は返還されたとはいえ特別行政区であり、外資と資本提携をしたという認識が強く、芸術文化領域でもこうした外資との提携の動きが始まりつつあるといえる。北京、上海と比較し、日本人には認識の薄い広東省だが、改革開放の風は南から吹くというとおり、改革の最先端をいっているのである。 製作に乗り出す政府系エージェント もうひとつ、民営化の動向としては、政府系エージェントが作品製作に乗り出したことがあげられる。これまで多くのエージェントは一時的な公演のマネジメントを主としていた。しかし、最近は独立採算型の体制への移行を目指して業務範囲を拡大しつつある。 57 年に設立された中国最大手のエージェントのひとつ、「文化部中国対外演出公司(中演)」は政府間の舞台芸術交流の仲介を主要業務としていた。しかし、海外での商業公演のノウハウがない上、著作権意識が低いため、往々にして価格を抑えられてしまうという苦い経験から、97年に「中演環球芸術制作有限会社」を設立し、独自の作品製作および海外公演のマネジメントに踏み切った。 第1 作の少林寺拳法をモチーフにした作品は、2000 年からの5 年間で、北米、オーストラリアなどで200 公演以上の海外公演を行い、40 万人以上の観客を動員した。また、系列の「中演都市劇場管理有限会社」は北京の天橋劇場(1200席)の業務を受託し、貸館公演のマネジメントを行っている。日中国交回復30 周年記念事業として行われた『蝶々夫人』が上演されたのもこの劇場である。 今後は蓄積したノウハウを活かして作品の自主製作を行い、さらに大きな収益を上げていく予定だという。現在、中演のようなエージェントは大手エージェント同士の提携を進めて市場拡大を図ると同時に、天橋劇場のような上演拠点をもち、長期的視点をもった公演マネジメント事業の展開に向かいつつある。 |
フランスの文化政策を検証する
また、果たしてラングが目指した「文化の民主化」が実際的な効果をもっているのかどうかも、実のところはっきりしない。文化の民主化や芸術教育などの施策を含んでいる「文化開発」という予算項目は、左翼政権誕生により、割り当てとしては前年度比で1,440パーセントもの上昇を果たした。しかしそれは、それ以前の「文化の民主化」向けの予算がないに等しかったからで、実は81年度の文化開発の予算は4,100万フランでしかなかったのである。それにこの予算枠は、グラン・プロジェへの支出などの影響により、次第に縮小していった。 それに対し、演劇や音楽といった主要な文化セクターの予算は、社会党政権誕生によって文化予算が倍額近くになったにもかかわらず、文化予算の内訳では従来と同じく高い比率を保ち続けた。すなわち、以前は無視されていた美術部門が123%の予算増加となったし、映画やオーディオ・ビジュアル作品が220%増となったものの、演劇や音楽のような伝統的なセクターも、それぞれ75%と50%の予算増加となったのである。つまり助成の配分の割合にはほとんど変化がなかったのだ。 このような事情を鑑みると、ラング以後の文化的多様性の保護・促進という政策目標は、現実的な効果としては限定的なものだったように思える。もちろん先述したように、耳目を引きつけるような大衆文化への諸々の支援策は実施されているわけだが、実はそれらも単発的なものが多く、予算規模的に考えてもそれほどの額ではない。つまり80年代以降のフランスの文化政策は、大きなパイを用意することで多様な文化活動が助成を受けるチャンスを与えはしたが、助成における伝統的で制度化された芸術の優位性は維持される結果となったのであって、実は見かけほどに革新的なものではないのである。 なぜこのような結果になっているのかという疑問に対して、エリングはインタビュー調査を積み重ねた結果、制度化された芸術分野に存在する強力な利益団体による政策形成への干渉、という回答を導き出している。すなわち、伝統的な芸術分野には十分に影響力のある利益団体が存在しており、それらが政策担当部局に対して強く働きかけ、自らの権益を確保する活動を行っているというのである。これは、国家主導型という、フランスの文化政策に対して従来から与えられてきたイメージに反する実態であろう。それに対し、利益団体が存在しえない「文化開発」のような予算項目や、組織力の弱い大衆文化や未成熟な創造領域は、利益団体による交渉力をもたないために政策担当部局の判断力が強く働き、その予算規模は時勢によって容易に左右されてしまうのだという。 したがって、82年以降の文化予算の発展は、結果的に支援対象のセクト化を推し進めるものだったとも考えられる。裏を返せば、文化の多様性を真に支援するために必要なはずの、セクト間の調整がほとんどなされなかったのだ。要するにラング以後の文化政策は、シンボリックなレベルでは文化的多様性の認知をした。だが同時に、伝統的な価値体系や文化的権威の温存にも貢献していたといえる。 フランスの事例から学ぶべきこと 以上のようにフランスの文化政策は、従来考えられていたほど地方分権化が進んでいるわけでもなければ、文化省が絶対的に政策決定権を掌握しているわけでもないようである。所詮制度は人が利用する道具であり、使い方次第でその効果は変化してしまう。単純な制度比較によって各国の文化政策を理解した気になってはならないだろう。 もっともこのようにさまざまな問題点を見出すことのできるフランスの文化政策だが、文化的価値基準の多様化した現代において、なおも積極的に文化支援の主要なエージェントたらんとしている文化省とその下部機関の姿勢は、やはり注目に値するだろう。 先述のように文化省、あるいはDRACの価値判断が文化的な「質」を保証するものとして認知されているということは、(もちろん支援対象の決定等の価値判断は独立的な専門委員会が担当しているわけだが)それだけ当該部局自体が文化に関する判断力を磨き、また部局の判断・決定に関して責任をもって臨んでいるということでもある。だからこそ、フランスの文化政策担当部局は政策の理念や目的を明示することを重視しているし、またそれを実行している。
(初出:2000年10月「地域創造」Vol.9)
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援助金歳入の内訳例
「Annual Review of Westminster\'s Support for Arts 1999」より |
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ACE: | アーツ・カウンシル・オブ・イングランド |
LAB: | ロンドン・アーツ・ボード |
WCC: | ウエストミンスター・シティ・カウンシル |
Earned: | チケット売上げ、ワークショップなどからの収入 |
Trusts: | その組織が非営利団体の場合、寄付や財源からの利子など |
Commercial: | 本屋、カフェ、レストラン・バーなどからの収益 |
その他のアーティスト
〈アーティスト〉 すでに述べてきたように、フィンランドのダンス界では活動期間の息が長く、ベテランから新進気鋭まで層が厚い。前述したヨルマ・ウォティネンやテロ・サーリネンのほかにも、多数のアーティストが活躍している。 ◎ レイヨ・ケラ(Reijo Kela) 円熟の域に達し活躍をしている振付家・ダンサーたちのなかに、レイヨ・ケラがいる。ケラは、アメリカでマース・カニングハムの薫陶を受け、フィンランドに帰国後、60年代アメリカのパフォーマンス・アートとも共通する実験的な手法や野外パフォーマンスに挑み、社会的な問題意識や政治性を独自の表現に結実させている。 ◎ トンミ・キッティ(Tommi Kitti) 出自はジャズダンスだが、バレエ、ショーダンスなど多様なスタイルを融合し、エネルギッシュな動きを駆使した力強い振付をする。 ◎ アルポ・アールトコスキ(Alpo Aaltokoski) 成年期になってダンスを始めながら、ソロ活動を中心によく鍛えられたシャープな動きと映像や照明を組み合わせたスタイリシュな作品で評価されている。 ◎ スサンナ・レイノネン(Susanna Leinonen) 2004年青山ダンス・ビエンナーレで来日した新進気鋭の女性振付家。クラシック・バレエの語彙をコンンテンポラリーな構成の中に巧みに散りばめる。フィンランド国立バレエ団委嘱の最新作『Trickle Green Oak』はチュチュような衣装をつけた4人の女性ダンサーが凍った滝をイメージさせるインスタレーションの前で踊る秀作。 ◎ イェンニ・キヴェラ(Jenni Kivela) 埼玉国際創作舞踊コンクールでグランプリ受賞。受賞作の『レッド・レター・デイズ(Red-Letter Days)』は、切れの良い動きで綴られるダンス・シアター的な作品。 ◎ ユルキ・カルットゥネン(Jyrki Karttunen) ヘルシンキ市立劇場ダンス・カンパニーで活躍した後フリーとして活躍。 ◎ ヴィルッピ・パッキネン(Virpi Pahkinen) ヨガや東洋的技法を取り入れて魅力的なソロ活動を展開。 〈カンパニーとダンススポット〉 フィンランドのダンス・カンパニーの規模は、国立バレエ団を除いて比較的小さい。たとえば、専属ダンサー10名を抱えるヘルシンキ市立劇場ダンス・カンパニーのパンフレットの記述には、この国最大と謳われており、国際的な活動を続けるテロ・サーリネンのカンパニーにしても数人が基本で、必要に応じてプロジェクトごとに適当なダンサーを採用している。プロダクションに所属するかどうかに関わりなく、多くの有能なダンサーが独立して活動しており、ソロ公演が活発なのもこの国のダンスの特色となっている。 ◎ NOMADI ダンスのプロダクションとして活発な活動を展開しているところの代表。アリア・ラーティカイネン、アルポ・アールトコスキー、イルキ・カルトゥネン(Jyrki Karttunen)などが所属。 また、公演を行う場である劇場やホール、スタジオについてだが、ヘルシンキ市内のナショナル・オペラ・ハウスを除いて、コンテンポラリー・ダンスのための大きなスペースはあまりない。ダンスを常時上演しているスペースとしては、ヘルシンキ市内の複合アート・スペース「キアスマ」と、工場跡地を再開発した「ケーブル・ファクトリー」が知られている。 ◎ キアスマ(Kiasma) ヘルシンキ中央駅のすぐ近く、街の中心部にあり、モダンアートのギャラリースペースでもある。デザインや映像、メディア・アートでもマルチ・メディアを駆使した先端的なビジュアル・アートに焦点を当てており、企画のコンセプトがユニーク。モダンアートの展示と連動したダンス企画もある。ダンスのワークショップや公演が活発に行われている。 ◎ ケーブル・ファクトリー 広大なスペースに幾つかのビルをつなげ、ワークショップ、リハーサル、公演などのほか、アーティストの育成にも力をいれている。 なお、フィンランドダンスが活性化した要因としてヘルシンキ・シアター・アカデミーの舞踊学科や、北欧で最も古い歴史をもつクオピオ・ダンス・フェスティバルの存在があることを忘れてはいけない( ピルエッタ・ムラーリ氏インタビュー参照 )。今後ますますフィンランドのコンテンポラリーダンスに注目が集ることは間違いなさそうだ。 |
民間劇場と民主化世代の台頭
これまで政府系の劇団、劇場、エージェントの動向を中心に述べてきたが、民間劇場の動きはどうだろうか。不動産系企業などによる劇場は、娯楽もしくはホテルに宿泊した観光客向けの演目をラインナップすると思われる。しかし、それとは別に民間で政府系芸術団体と伍しながら、中国演劇界に新風を送り込む動きも出てきている。 70 年代初頭生まれ、30歳代前半の袁鴻(ユアン・ホン)がプロデューサー兼芸術監督を務めている北京北兵馬司(ベイビンマースー)劇場、略称「北劇場」の存在である。北京の中心部の胡同(フートン、伝統的な住宅街を形成する小道)に静かに佇む約400席の小劇場だ。先に述べた中国国家話劇院の誕生に伴って空いた元中国青年芸術劇院の劇場である。 2001 年の時点では、袁鴻と意気投合した台湾の著名な演出家、頼声川(ライ・ションチュアン)が出資し、彼の率いる「表演工作坊」の北京の拠点になる予定だったが、台湾資本の受け入れが許可されず、結局袁鴻自らが経営を行うことになった。スタッフは皆本業をもち、袁鴻の活動を支持して集まっている人たちである。金融関係、報道関係、研究者など、各自異なる専門をもって作品製作や公演の実施に関わっている。 袁鴻の活動のテーマは「演劇の大衆化」「民衆への回帰」である。中国では、プロ集団である政府系芸術団体が歴史を重ね揺るぎない地位を築いてきた一方、表現様式が乏しく、内容が観客の生活とかけ離れすぎて現実味がないといった課題を抱えていた。また、曹禺(ツァオ・ユィ)が処女作を大学時代に書いたように、本来はプロアマ問わず誰にでも表現する資格はあるはずだ。しかし、現状は上演はプロのみに許された特権と化している。 こうした現状を打破し、想像力溢れる大学生たちに演劇界を開放し活性化したい、というのが袁鴻の思いだった。そこで、彼は2001年に「北京高校大学生戯劇展演」という学生演劇祭を企画。北京人芸の小劇場で6作品を上演した。それが第4回の2004年は、北劇場、北京人芸小劇場、国家話劇院実験劇場の3会場で31 作品を上演するまでに発展。また北京以外に、広州、上海にも会場が広がった。 現在、天津人芸も独自の大学生演劇祭の開催を考えているようで、こうした動きは今後中国各地に普及すると思われ、ここから将来どんな新人が出てくるのか楽しみである。決して潤沢な資金があるわけではないが、北劇場ではほかにも北京、香港、台湾小劇場演劇祭の開催や新人の育成、中国各地の巡演など、さまざまな企画を行っている。 民間で言えば、もうひとつ着目すべきはモダンダンス、コンテンポラリーダンスカンパニーの動きである。中国ではそのようなダンスの概念自体がまだ新しく、92年に広東省に初の舞踏団が設立されて以来、まだ10年足らずの歴史しかない。そのため若手が中心となっており、民営のカンパニーも多い。95年に北京市文化局の指導下で設立された北京現代舞団も2004年6月に民営化を遂げた。団長の張長城(ジャン・チャンチョン)もまた袁鴻同様30歳代前半で、海外公演や招聘公演を積極的に進めてネットワークを築くと同時に、若手芸術家支援のための基金の設立に尽力している。 現在30 歳代半ば前後の人たちといえば、89 年の天安門事件の頃、大学生だった世代だ。当時民主化を叫んだ世代が今、民営化の牽引役になり、芸術界をも動かし始めている。 |
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