国際交流基金 The Japan Foundation Performing Arts Network Japan

An Overview 解説

2010.6.9

Latest Trends by Genre:
Hôgaku: Traditional Japanese Music
変革期に突入した現代邦楽 奈良部和美(ジャーナリスト)

邦楽の歩み
 日本の伝統音楽は「邦楽」と呼ばれている。「わが国の音楽」という意味で、宮廷音楽ともいえる雅楽や仏教音楽の声明、民謡も含む「日本の音楽の総称、ただしアイヌ民族の音楽と沖縄の音楽を除く場合が多い」というのが、大方の音楽辞典の解釈である。今日の日本では、様々な国の様々な音楽が日常的に聴かれており、その中における「邦楽」の占める割合は小さくなっている。

 「明治の文明開化でヨーロッパ文化に、太平洋戦争の敗戦で米国文化に、日本の音楽は痛めつけられた」と、ある音楽学者が言っているように、明治以降の日本の音楽教育は、ヨーロッパのクラシック音楽の原理に基づいて行われてきた。ベルカントのような発声が美しいとされ、義太夫や浪曲のような地声は汚いと教えられるなど、西欧のクラシック音楽こそ、音楽の中の音楽だと教えられてきた。そうした100年のツケが、邦楽を庶民の生活から引き離していった。

 例えば、ビートルズ世代後の人はギターを弾いた経験はあるが、三味線を弾いたことはほとんどいないだろうし、ピアノ教室に通っている子どもは多くても、箏を習っている子どもは極めて少ない。多くの日本人が邦楽から連想するのは、せいぜいお正月にテレビやデパートから流れてくる箏のBGM音楽ぐらいだろう。

 しかし、それでも邦楽にスポットがあたった時期はあった。第二次大戦後、伝統音楽と西洋のクラシック音楽の異種交配により「現代邦楽」という新しいスタイルが生まれたのをきっかけに、1964年頃から現代邦楽ブームがおとずれる。横山勝也の尺八、鶴田錦史の薩摩琵琶とオーケストラによる武満徹作曲の「ノヴェンバー・ステップス」や、尺八奏者山本邦山がジャズに挑んだ「銀界」は、西洋音楽と邦楽の枠を越えた新しい音楽の誕生を告げ、若い聴衆をつかんだ。現在、40代、50代の演奏家には、この衝撃から邦楽の道を選んだ人も多く、こうして現代まで続く現代邦楽の流れが生まれてきた。
1990年代以降の現代邦楽の動向
 1990年代に入り、「邦楽ニューウェーブ」によって再び邦楽に注目が集まるようになる。ワールドミュージックの流行を経て、若手演奏家がポップスなどの手法を取り込み次々にバンドを結成。当時、マスコミが話題にしていたバンドブームの流れに乗り、テレビにも進出したが、消滅したのも早かった。

 一方、実力のある若手演奏家たちも、同世代の聴衆をつかもうと模索し続けていた。義務教育で平均律を学び、欧米の音楽を聞いて成長した彼らにとって、邦楽と洋楽の区別は希薄でともに聴くに値する音楽であり、表現手段であることに変わりはない。

 例えば、津軽三味線(つがるじゃみせん)の 木乃下真市 は、民謡界の反逆児といわれた伊藤多喜雄のバックバンドにいる頃から、座って演奏するものだった三味線をストラップで肩から下げ、ギターのようにかき鳴らした。三味線や和太鼓、ギター、ドラムスなどで構成するロックバンドにも参加して活動した。

 三味線の伴奏で人情話や任侠話を語る浪曲師の 国本武春 は、「三味線ロック」と称して、黒眼鏡にジーパン姿で登場し、エレクトリック三味線を使って弾き語りを行い、絶滅寸前といわれた浪曲に新しい聴衆を呼び込んだ。長唄三味線の「伝の会」や能楽囃子方の 一噌幸弘 は、歌舞伎、能といった古典の舞台を勤めつつ、独自のライブ活動を展開して老若男女の幅広いファンを獲得している。

 邦楽ニューウェーブから生まれたこれらの動きを助走に、1990年代の終わりに、かつてない変化が表れる。これまで邦楽に興味のなかった人たちにもアピールする、芸能界で活躍するスターが誕生したのだ。

 先駆けと言えるのが、雅楽の篳篥奏者・東儀秀樹である。東儀は宮内庁楽部で雅楽を学び、退職して篳篥(ひちりき)のソリストとして活動を始めたが、癒し系音楽ブームに乗って多くの若い女性ファンの心をつかんだ。貴公子然とした容貌も手伝ってテレビドラマに出演し、写真集も出版されるなど、邦楽界では前代未聞の売れっ子になる。また、黒紋付きに袴という伝統的な衣装に、髪を茶色に染めた津軽三味線のデュオ、 吉田兄弟 の売れっ子ぶりも邦楽関係者を驚かせた。

 “成功”の要因のひとつは売り込み方法にある。多くの邦楽の演奏者は自分でマネジメントを行っているが、東儀も吉田兄弟もマネジメント会社に所属し、レコード会社が積極的にPRに関与している。この二つの成功によって、邦楽もやり方次第でブームを生み出す素材になることが証明され、レコード業界も「邦楽は売れる」という認識に立って、積極的な新人発掘に乗り出す。

 2000年に入ると、その成果が出始め、尺八の藤原道山や津軽三味線の 上妻宏光 のように、若く、美形で恰好いい演奏家がテレビを通じて知られるようになり、マスコミに登場した演奏家のコンサートには大入りが続く。津軽三味線奏者・木乃下真市のドキュメンタリー番組や、上妻宏光の密着ルポルタージュの出版が続き、ゴシップでスポーツ新聞を賑わせる演奏家も現れるようになる。

 演奏の善し悪しより見た目偏重のブームとの批判もあるが、ジャズに例えられる即興演奏を特徴とする津軽三味線は、木乃下、上妻の超絶技巧が恰好よさに結びついているのであり、彼らを目指して演奏家を志す若者が増えるという手応えのある成果も見せている。

 こうした変化の背景には、このところ日本で起こっている自国の文化を再発見しようという風潮がある。加えて、ワールドミュージックの流行によりかつての欧米音楽志向に陰りが出たことも大きく影響している。どんな民族の音楽も自分の感性で聴くようになった人々によって、日本の伝統音楽は、ブルガリアンヴォイスやインドネシアのガムランのように新鮮な音楽として発見されたのである。
邦楽の義務教育化など激変する環境
 時代に呼応するように教育行政も変わっていった。1998年、文部省(現文部科学省)は学習指導要領を改訂し、2002年度から中学校の音楽の授業で和楽器を教えることを義務付けるとともに、小学校でも日本の音楽、和楽器を積極的に教材に使うことを指導目標に掲げたのである。音楽教師になるためには、日本の伝統的歌唱と和楽器を大学で必修科目として履修することが求められるようになった。130年ぶりといわれる音楽教育方針の大転換に、専ら西洋クラシックを学び、教えてきた教育現場は意識を改革して対応しようと必死になっているが、変化に追いつかないのが現状だ。

 変化にいち早く反応したのは楽器業界である。ヤマハなどの大手企業も参入し、新しい楽器の開発が盛んに行われた。伝統工芸ともいえる和楽器は非常に高価であり、自然素材で作られていて、補修も容易ではない。加えて、製作者は零細な企業が多く、学校の需要を満たす規模ではない。そこで、安く、手入れが楽で、大量に提供できる楽器の開発が必要となり、新和楽器とも呼べるさまざまな楽器が開発された。

 太鼓は、大木をくり抜いた胴に動物の革を張った何百万円もするものではなく、間伐材を張り合わせた胴にプラスティックを張って価格を下げ、箏は楽器の長さを3分の2に小型化して扱いやすくし、素材も高価な桐ではなく圧縮合板を用いた。邦楽は習いたいが高価な楽器に二の足を踏んでいた人々にも使ってもらい、愛好者人口を増やす狙いもあった。

 一方、より豊かな音を目指す演奏家の欲求を満たすための楽器の開発はそれ以前から行われており、1990年に開発されたエレクトリック三味線「夢絃21」はその代表といえるもの。この楽器の登場によって、三味線は大音量のドラムスやシンセサイザーとの共演が可能になり、若手演奏家の活動の場が一気に広がった。
流派の壁を越えた活動が活発化
 邦楽は長く、芸風を伝える核となる「家元」を中心に、弟子たちによる「流派」によって伝えられてきた。無形の文化を変わらぬ形で伝承する手段として有効だったが、そのために同じ楽器でも流派が違えば楽譜の記譜法も違い、他流の演奏家と演奏できない制約もある。ひとくくりに古典曲といっても、流派により演奏できない曲があるなど、こうした家元制度は、邦楽の音楽的発展を阻む要因のひとつにもなっていた。

 しかし、現在、若手演奏家の台頭とともに流派の壁を超える動きが活発になっている。象徴的な出来事が21世紀に入って尺八界で起こった。虚無僧寺で伝承されてきた琴古流の本曲(独奏曲)は琴古流が最も尊重する曲であり、他流の演奏は許されなかった。しかし、虚無僧尺八は演奏家が一度は演奏したい曲。精神性を追求する奥深い曲想に憧れて尺八を始めた人も多く、流派は違うが演奏したいとの希望が絶えず、ついに都山流が琴古流の演奏家を講師に招いて、勉強会を開いた。

 若手の活躍、邦楽専門のライブハウスの誕生、伝統楽器と伝統的発声を主体にした作品を対象にした「国立劇場作曲コンクール」の開催など、1990年代の邦楽界は「疾風怒濤の時代」といえる変化が起きたが、その変化も2005年あたりから終息した。邦楽専門ライブハウスは消え、国立劇場の作曲コンクールもなくなった。新たな若手演奏家の台頭もない。ブームが去り、邦楽と洋楽の垣根が低くなり、邦楽が洋楽と同じように聴かれる「音楽」に溶け込んだといえる側面もある。が、マスコミと大衆の興味は古典の世界にまでは届いていない。関心が高まったといっても、箏や尺八でビートルズやロックを演奏することが注目される段階であり、楽器を習う愛好家は箏も尺八も減少している。「古典こそ面白い」と尺八奏者の山本邦山は言うのだが、現代曲は巧みでも古典の弾けない演奏家も現れている。新しい動きの実体は、欧米音楽とのミックスに留まっているというのが現実であり、伝統に立脚し、現代を表現する邦楽の模索はまだまだ道半ばである。

 最後に、海外でも人気の高い和太鼓に触れよう。技術が習得しやすく、子どもから大人まで集団で楽しめる和太鼓の人気は高い。地域活性化の手段として町が率先して太鼓集団を結成するところも多く、アマチュアからプロまで、演奏グループは把握できないほど多数にのぼっている。第二次大戦後に、祭りなど地域の芸能の中から生まれたこれらの創作太鼓は“現代の民俗芸能”といえるものだが、パフォーマンスに偏った画一的なものも多く、音楽として鑑賞に堪えるプロは少ない。ソロ演奏家の領域を開いた林英哲が芸術性を追求した音楽と洗練された舞台構成で、アーティストとしてはず抜けた存在だ。グループとしては林の出身母体でもあり、多くの太鼓奏者を輩出している鼓童、林に続く世代では ヒダノ修一 レナード衛藤 東京打撃団 の活躍が目を引く。