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An Overview 解説

2010.6.9

Latest Trends by Genre:
Shôgekijô (Small Theater) Movement
小劇場演劇の流れと最新動向 坪池栄子(文化科学研究所)

小劇場演劇の流れ
 日本の演劇界は、明治以降の世の中全体がそうであったように、急速な近代化や欧米化の流れに乗って、歌舞伎に反発して新派が生まれ、歌舞伎・新派に反発して新劇が生まれ、新劇に反発して小劇場運動が生まれるといったように、それまであった演劇への反発を繰り返しながら、別の集団・表現をつくることで動いてきたところがある。

 こうした歴史的な経緯のため、日本では一口に演劇と言っても、古典から商業演劇、新劇、小劇場、舞踏、教育活動として行われている高校演劇など、さまざまなジャンルが併存しており、これらの領域の間の関係が希薄で、ほとんど相互交流がない状態が続いてきた(ただし、現在ではプロデュース公演の増加により、垣根が低くなってきている)。その中で現代演劇シーンを牽引しているのが、1960年代にスタートし、今も新しい才能を輩出し続けている「小劇場演劇」の領域である。

 1960年代、現代演劇を志す者は大手新劇団でリアリズム演劇をやるしかなかった時代に、既存の新劇に飽き足らなかった若い演劇人たちが劇団から飛び出し、また、当時、多彩な才能を擁していた学生劇団のリーダーたちが、自分たちの思想を表明し、表現を追求する場として次々に小劇団を旗揚げしていった。これが、現在に繋がる小劇場演劇の始まりである。

 小劇場演劇は一部の例外を除いて基本的にアマチュア活動であり、多くの場合、劇作家、演出家、俳優を強烈な個性と才能をもったリーダーが兼任している。こうした小劇場演劇の第一世代には、故・寺山修司、鈴木忠志(初代静岡県舞台芸術センター芸術総監督、SCOT主宰)、 蜷川幸雄 (現・桐朋学園芸術短期大学学長、現・彩の国さいたま芸術劇場芸術監督)、 唐十郎 (現・近畿大学客員教授、唐組主宰)、佐藤信(現・東京学芸大学教授)、故・太田省吾(残念なことに2007年7月に67歳で死去)、 串田和美 (現・まつもと市民芸術館芸術監督、日本大学芸術学部特任教授)など、錚々たるアーティストが顔を揃え、世界の前衛演劇をリードする勢いだった(この時代を代表する劇作家としては初期の鈴木忠志と組んだ不条理劇の 別役実 、蜷川幸雄と組んだ清水邦夫がいる)。

 現在、彼らの多くは、(いまだに前衛として大がかりな野外舞台での公演を続けている 松本雄吉 率いる維新派など例外はあるが)カンパニーのリーダーとしての活動に終止符を打ち、演出家として独立した活動を行う一方、公立劇場の芸術監督や大学の指導者という、これまで日本では第一線の演劇人が携ったことのない新しいポジションの開拓者としての重責を担っている。こうした第一世代がつくりだす新しい環境が、次世代の現代演劇シーンにどのような影響を与えるか、注目されるところだ。

 第一世代の小劇場演劇は、反体制運動、反新劇運動、前衛運動といった思想性・実践性の強いもので、観客もこうした考えに賛同する同志だった。しかし、70年代に登場したつかこうへい(小劇場演劇第二世代)が“誇りがあればどんな人間の欲望も肯定できる”という自虐的なコメディによりセンセーションを巻き起こし、小劇場演劇を娯楽として楽しむ若い観客層を開拓するとともに、次世代の劇作家たちに多大な影響を与える。これをターニングポイントにして、小劇場演劇はその時代の若者の感性に訴えるエンターテインメントへと大きく方向を変えることになる。

 80年代には、学生劇団を母体として、饒舌な言葉遊びと時間と空間が飛躍する劇構造で時代の寵児となった 野田秀樹 鴻上尚史 ら第三世代のリーダーが続々登場。破天荒な物語と個性豊かな演技スタイルで若い観客の支持を集め、「小劇場ブーム」としてマスコミの話題となる。

 しかし、90年代にはこうした劇団の多くが解散。文化庁の芸術フェローシップの門戸が小劇場演劇のアーティストにも開かれたことから、海外留学を経て再出発を図る新しい動きも生まれ、また、活躍の場は商業劇場やマスコミへと移っていく。加えて、それまでの小劇場演劇の特徴ともなっていた非日常的なスタイルへの行き詰まりから、日常生活に設定を求めた「静かな演劇」と呼ばれる会話劇を掲げた 平田オリザ (青年団主宰、現大阪大学コミュニケーション・デザインセンター教授)が登場。演劇書を多数執筆し、若くして公立劇場の芸術監督となり、大学でも教鞭をとる平田は、新世代の演劇人たちのオピニオンリーダーとなる。

 90年代後半には、小劇場演劇出身のアーティストが、商業演劇や映画、テレビで活躍するのが当たり前の状況となる。その筆頭とも言えるのが、日本大学芸術学部時代に結成した東京サンシャインボーイズを振り出しに、今やテレビドラマ、舞台、映画のヒットメーカーとして引っ張りだこのシチュエーションコメディの作家・演出家の 三谷幸喜 である。その他、劇画タッチのSF時代活劇をシアトリカルに展開し、商業劇場にも進出した劇団☆新感線率いる演出家いのうえひでのりと劇作家 中島かずき 、劇団をショービジネスとして成功させた演劇集団キャラメルボックスの 成井豊 などである。

 いずれにしても、現在は、小劇場演劇と他メディアの交流が活発になり、小劇場演劇から作家や俳優などの人材が台頭する、一種の円熟期を迎えている。
第五世代の台頭と最新動向
 90年代をリードした第四世代の中で、平田オリザと並び、次世代に大きな影響を与えたのが、さまざまな題材をとりあげながらシリアスコメディを展開しているNYLON100℃の ケラリーノ・サンドロヴィッチ と、コンプレックスを抱えた自意識過剰の業の深い主人公たちが活躍するデフォルメされた喜劇で高く評価されている大人計画の 松尾スズキ である(大人計画にはもうひとり、テレビ・映画の人気脚本家としても活躍している 宮藤官九郎 も所属している)。そのため、現在の小劇場演劇シーンの担い手として活躍している60年代後半から70年代生まれの第五世代( 長塚圭史 本谷有希子 、村上大樹など)の多くは、松尾チルドレン、ケラチルドレンと呼ばれている。

 こうした第五世代に共通しているのが、これまで小劇場演劇のスタイルをつくってきた集団性が極めて低いことだ。日本の小劇場演劇の特徴は、個々の劇団が排他的な集団活動の中で固有のスタイルを模索し、小劇場演劇シーン全体として舞台芸術の表現の可能性を広げてきたところにあったが、逆に言えばその集団性ゆえに、例外はあるものの、ほとんどの劇団はアマチュアから脱皮するために解散せざるをえないという宿命を背負っていた。

 しかし、集団活動を苦手とする若者が増え、こうした集団性に依拠しない劇団も多くなり、演技スタイルに格段の差もなくなったことから、現在では劇団の枠にとらわれない活動(プロデュース公演、気の合ったアーティスト同士によるユニット活動)が多く行われるようになっている。こうした背景としては、80年代末から90年代にかけて、東京都内に数多くオープンした劇場のプログラムとして若い観客に人気のある小劇場演劇の人材を起用したプロデュース公演が多数行われるようになったこと、小劇場演劇出身の制作者やプロデューサーが劇団を解散して設立した演劇の企画・制作会社が、そうした公演の制作を担い、俳優たちのマネージメントを行なうようになったことが挙げられる。

 もうひとつ、新世代の動向として押さえておかなければならないのが、地域演劇の興隆である。80年代の小劇場ブームの時にもいのうえひでのり、マキノノゾミら、後に東京で活躍する才能が生まれているが、特に90年代後半に入り、これまで圧倒的に東京に一極集中していた小劇場演劇シーンに異変が起こり、大阪、京都から次々と新しい劇作家が台頭し、演劇界を驚かせた。

 それには、85年にオープンして以来、大阪の小劇場演劇の拠点となっていた劇場、扇町ミュージアムスクエア(2003年閉館)と兵庫県伊丹市が開設した公立劇場、伊丹アイホールが果たした役割が大きい。いずれも若い演劇人のサポートに力を注ぎ、扇町ミュージアムスクエアが94年に創設したOMS戯曲賞の受賞者には、 松田正隆 鈴江俊郎 岩崎正裕 土田英生 などが並んでいる(松田、鈴江は時を経ずして劇作家の登竜門である岸田戯曲賞を受賞)。また、各地の公立劇場を足掛かりにして地域演劇シーンが活性化する傾向にあり、弘前劇場(青森県)の 長谷川孝治 や飛ぶ劇場(北九州市)の 泊篤志 など、すでに地域を拠点に活動しながら全国に通用する才能も生まれてきている。

 この他、小劇場演劇シーンの新しい動きとしてあげられるのが、ワークショップブームと小劇場のオープンラッシュの2点である。ワークショップブームについては、全国に多数建設された公立劇場が演劇教育プログラムをスタートしたり、演劇の技能を子どもの育成に役立てたいといった、これまで日本にはなかった社会的なニーズが生まれたことが大きい。小劇場演劇の演出家が自分たちの技能を作品づくり以外で発揮できる場が出来たことは、今後の演劇環境を考える上で極めて大きな変化と言える。

 小劇場のオープンラッシュについては、バブル崩壊を機に不動産価格が下落し、都心に空きビルなどの遊休施設が急増したのがきっかけ。現在、そうした場所を借りた小劇場がいたるところに生まれており、アマチュア活動の拠点となっている。冒頭でも触れたが、大学における演劇教育の大きな変化に加え、こうした創作環境、発表環境の変化が今後の小劇場演劇シーンをどのように変えていくか、注目したいところだ。
最新トピックス
 最新トピックスとしてふれておきたいのが、2004年度と2005年度に岸田戯曲賞を受賞した 岡田利規 三浦大輔 のセンセーショナルな登場である。第五世代のトップランナーである阿佐ヶ谷スパイダースの 長塚圭史 が人間の暴力的で生々しい裏面をファンタジー(物語)として描いて新境地を見せたのに続き、岡田と三浦は「リアル」をキーワードに、現代の若者の「生理感覚」から発想した演劇表現で注目されている。若者の私語「超リアル日本語」と彼ら特有の身振りを舞台化した岡田のユニット「チェルフィッチュ」や、俳優の生々しい反応を引き出す究極の手法として舞台で赤裸々に性行為を取り上げる三浦率いる「ポツドール」の登場は、小劇場演劇の活力がいまだに失われていない証拠とも言えるのではないだろうか。また、2006年度の岸田戯曲賞は該当者なしという結果だったが、他人を責め立てる過剰な自意識をもつ主人公を描き続ける 本谷有希子 が注目を集めた。

 こうした若い世代の感受性を代表する作家に対し、時代と向き合う社会派・庶民派とも呼べる作家の創作意欲が目立つのも最近の傾向となっている。引き籠もりや自衛隊問題などジャーナリスティックな視点で作品を発表し、海外の実験劇も積極的に取り上げている燐光群率いる 坂手洋二 、第二次大戦後の価値観の変化や庶民の生活を批評性のあるコメディとして描く 永井愛 、在日韓国人3世としての人生経験を踏まえたタフでコミカルなマイノリティの群像を描き、映画の人気脚本家としても活躍する 鄭義信 、現代社会の片隅のような場所に集う人々に光をあてる 青木豪 、昭和の失われた人情を描く中島敦彦、そして日本を代表する国民作家 井上ひさし の戦後をテーマにした作品の数々など、世代も表現方法も異なるが日本社会と向きあう姿勢に通じるものを感じる。

 この他、公立劇場の芸術監督の新たな動きにも注目があつまっている。蜷川幸雄(彩の国さいたま芸術劇場)が旗揚げした付属高齢者劇団「ゴールド・シアター」、狂言師 野村萬斎 (世田谷パブリックシアター)が伝統演劇と現代演劇を融合するというトータルシアターの試み、そして串田和美(まつもと市民芸術館)が歌舞伎の中村勘三郎と組んで演出する新歌舞伎「コクーン歌舞伎」「平成中村座」、鈴木忠志から芸術監督を引き継いだ宮城聡(2代目静岡県舞台芸術センター芸術総監督)など、その動向から目が離せない。

 また、三谷幸喜の代表作「笑いの大学」の英語版 『The Last Laugh』 、野田秀樹の英語版 『The Bee』 がロンドンで、松田正隆の韓国版・中国版「海と日傘」がソウル・上海で公演された他、日本の現代戯曲のリーディングも海外で行われるようになるなど、こうした傾向は今後ますます盛んになるのではないだろうか。


参考文献:「ぴあ」(1972年〜90年)、河竹繁俊「日本演劇全史」、嶺隆「帝国劇場開場」、扇田昭彦「日本の現代演劇」

歌舞伎
異様な振る舞いや風体を指す「傾く(かぶく)」が語源。江戸初期に出雲の阿国が京都で始めた「かぶき踊り」が始まりとされる。風俗取り締まりで女芸人の出演が禁止され、女形が生まれたことにより、様式性の濃い演劇として発展。江戸で1714年から幕府公認の劇場として興行を許されたのは、中村座・市村座・守田座の江戸三座だけであった。

新派
歌舞伎に対抗して発達した演劇ジャンル。明治中期に自由民権思想の宣伝のために行われた壮士芝居が始まり。次第に新聞ネタに題材をとった現代劇を上演するようになり、大正時代に入って『金色夜叉』『不如帰』で新派悲劇のスタイルを確立。

新劇
歌舞伎・新派劇に対抗してヨーロッパ近代劇の影響を受けて発達した演劇ジャンル。明治政府による歌舞伎の改良運動と翻訳劇の上演を目的に結成された自由劇場(1909〜19)が始まり。当初は歌舞伎役者が出演していたが、1924年にヨーロッパ近代劇の上演を行う常設劇場として築地小劇場がつくられ、リアリズム演劇ができる俳優の養成を始めたのが今日の新劇の基礎となった。代表的な劇団は俳優座(1944年創立)、文学座(37年)、民芸(50年)。

小劇場運動
新劇に対抗して、1960年代の安保闘争を背景に、反体制を掲げて生まれた演劇ジャンル。当時は貸ホールを借りて公演するのが普通だったが、小劇場の草分けである自由劇場が、「劇場をもち、劇場を維持することで新しい表現が生まれるのではないか」と六本木のガラス屋の地下に「アンダーグラウンド・シアター自由劇場」をオープン。早稲田小劇場、天井桟敷なども自前の小劇場をもったことから、彼らの演劇活動を指して「小劇場運動」と呼ぶようになる。60年代に劇団を結成した第1世代( 唐十郎 、鈴木忠志、 蜷川幸雄 、寺山修司、佐藤信ら)、70年代に第1世代の影響を受けて演劇活動を始めた全共闘世代の第2世代(つかこうへい、山崎哲ら)、80年代に学生劇団を母体として生まれ、若者文化としてもてはやされた第3世代( 野田秀樹 ら)に分かれる。

舞踏
1959年、当時31歳だった土方巽(ひじかた・たつみ)が、全日本芸術舞踊協会新人舞踊公演で『禁色』を発表したのが始まりとされる。三島由紀夫の同名小説をモチーフに、少年が股で鶏を絞め殺し、暗闇の中で男が少年を追いかけるというこの作品は、既成の舞踊が拠り所にしてきた一切の方法を捨てても踊りが成立することを示してセンセーションとなった。70年代には、土方を中心とした暗黒舞踏派、天才的舞踏手である大野一雄の即興舞踏派、笠井叡の天使館派の3派が軸となり、72年に 麿赤兒 が大駱駝艦(山海塾として国際的に活躍する 天児牛大 も所属)を結成するに至って、「白塗り、がに股、坊主、白眼」の異形の踊りが、舞踏の一般的なスタイルとして知られるようになる。国内よりも「BUTOH」として海外での評価のほうが高い。

日本の主な演劇賞

◎読売演劇大賞
歌舞伎や能などの古典演劇からミュージカル、商業演劇、新劇、小劇場演劇などまで、ジャンルを問わず、優れた舞台作品・演劇人を顕彰する。内容は「大賞」「最優秀作品賞」「最優秀男優賞」「最優秀女優賞」「最優秀演出家賞」「最優秀スタッフ賞」「杉村春子賞」「選考委員特別賞」「優秀作品賞」など。2007年までで第15回。読売新聞社主催。

◎岸田國士戯曲賞
新人劇作家の作品に対し与えられる賞。新人劇作家の登竜門とされることから、「演劇界の芥川賞」とも称される。1955年に新劇戯曲賞として設置され、1961年には「新劇」岸田戯曲賞、1979年に岸田國士戯曲賞と改称され、2006年に50回目を迎えた。原則として1年間に雑誌発表または単行本にて活字化された作品が対象。白水社主催。

◎紀伊國屋演劇賞
東京・新宿で紀伊國屋ホール、紀伊國屋サザンシアターの2つの劇場を経営する紀伊國屋書店主催。「団体賞」と「個人賞」に分かれている。2005年末で第40回。

◎鶴屋南北賞
その年に上演された日本語で書かれた新作戯曲の優秀なものに与えられる。2006年に10回目を迎えた。光文シエラザード文化財団主催。

◎ニッセイバックステージ賞
優れた業績を上げ文化の振興に貢献した装置、音響、照明、衣裳等の舞台技術者の功績を讃える。2005年までの11年間に30名を表彰。ニッセイ文化振興財団主催。

◎日本照明家協会賞
照明家を対象とした世界でも珍しい顕彰制度。舞台部門・テレビ部門にそれぞれ大賞(文部科学大臣奨励賞併贈)があり、優秀賞、新人賞、奨励賞、努力賞、技術賞などが設けられている。作品・番組だけではなく、技術開発、機器改良、施設照明設計なども対象になる。日本照明家協会主催。

◎伊藤熹朔賞
日本舞台美術家協会の初代会長の名を冠した舞台美術の賞。年間最優秀舞台美術作品(装置、衣裳、メーキャップ等のデザイン)に与えられる「本賞」のほか「新人賞」「奨励賞」「特別賞」。毎年3月に発表される。日本舞台美術家協会主催。

◎テアトロ新人戯曲賞
新人作家発掘を目的とした一般公募の戯曲賞。雑誌「テアトロ」(カモミール社発行)主催。2005年で16回。

◎OMS戯曲賞
関西発信の戯曲賞。2003年に閉館した扇町ミュージアムスクエア(OMS、1985年開館)の10周年記念事業の一環として1994年にスタートした。関西2府4県に在住、または関西を主たる活躍の場とする劇作家が前年に書き下ろし、上演された作品を対象とする。応募方式。2005年で12回。大阪ガス主催。

◎芸術選奨(芸術選奨文部科学大臣賞・芸術選奨新人賞)
演劇、映画、音楽、舞踊、文学、美術、放送、大衆芸能、芸術振興、評論等の10分野において、その年に優れた業績を上げ、新生面を拓いた者に、芸術選奨文部科学大臣賞または芸術選奨新人賞が贈られる。1950年度に発足。文化庁主催。

◎文化庁舞台芸術創作奨励賞
舞台芸術各分野において独創的な優れた舞台芸術創作作品を広く募り、優秀作品に創作奨励賞を授与するもの。現在、音楽分野の部門は、管弦楽・合唱曲・オペラのうち1部門と邦楽。演劇分野の部門は、現代演劇。1978年度発足。文化庁主催。

◎芸術祭賞
文化庁芸術祭において、演劇、音楽、舞踏、演芸の4部門と、テレビ、ラジオ、レコードの部門から優れた成果を上げた公演・作品に対して贈られる賞。それぞれの部門に「大賞」「優秀賞」「新人賞」などがある。2005年で60回。文化庁主催。